第45話 サピエンスとデウス

 あとで梶たちに聞いても、誰もそんな夢は見ていないという。

 アシェリアも、エミルたちが火山の夢を見たという話は聞いていないと言った。

 アシェリア自身は、ワーム・ホールを通るとき、今回ほど鮮明ではないが、いつも同じ夢を見る。

「本当に神託かもしれませんね」と先輩は言った。

 三人で神託の内容を整理する。

 二度目の破局噴火の前兆。

 一度目の破局噴火は、その後数千年の寒冷化をもたらした。

 おそらく神である男女。外見はホモ・サピエンスイラハンナに近似している。

「一度目の破局噴火はたぶん……」

 先輩はヒカルを見る。

「トバ・カタストロフ」とヒカルは言った。

 約7万年前、インドネシアのトバ火山がウルトラプリニー式噴火を起こした。

 噴出物の量は、一説には5千立方キロメートルと言われる。これは、7千3百年前に南九州の縄文人を絶滅させた鬼界アカホヤ噴火の50倍に達する。

 この噴火により、地球は急速に寒冷化し、それは千年続いた。この大変動カタストロフを生き残ることが出来たホモ属は、サピエンスとネアンデルタール人ネアンデルターレンシスだけだ。サピエンスの祖先にあたるエレクトスは絶滅した。

 ホモ・サピエンスも無傷ではなく、わずか数千人にまで激減し、絶滅寸前にまで追い込まれた。

 このホモ・サピエンスの危機をトバ・カタストロフと呼び、原因となった噴火と寒冷化をトバ事変という。

「二人の神は、トバ事変を経験しているようだった」とヒカルは言った。

 アシェリアが頷く。

「二人の神から人を守ろうとする意思を感じた。これまで、ずっとそうしてきたようだった」

「神の起源が、トバ事変にまで遡れるのなら……」

 7万年前は、ホモ・サピエンスの脳に変化が起こり、想像力と認識力を発達させた時期だ。ホモ・サピエンスは、この後、急激に宗教性を帯びる。

 神の力もまた、想像力と認識力に依存している。7万年前に起こった脳の変化は、本当に神を生み出したのだ。

 ホモ・サピエンスが絶滅を免れたのは、神に守られていたからかもしれない。

 ちょうどアシェリアが、蛇の子メラハンナを絶滅から守っているように。

「そもそも、神ってどういう存在なんですか? あたしたちとは、何が違うの」

 先輩にアシェリアが天の神と地の神について説明する。地の神が天に昇ると、天の神になること。天の神は、奇跡のような事が出来るということ。

「じゃあ、あたしも神になれるんですか?」

「なれるよ」とアシェリアは言った。「すべての神は、かつて人だった」

 人が神になるには、いくつかの方法があるという。

 最も多いのは、天の神の力によって、神の子イラハンナが地の神となるものだ。

 その人の長年の善行や自己犠牲に対して、天の神が与える恩寵だとされている。瀕死の状態でも奇跡により復活し、神となったものも多い。

「わたしもこの中の一柱に入る。このタイプは、人だったときの行いで呼ばれている神が多い。わたしの他には、吊るされた聖女エトゥナ、見捨てられた子の守護者ウルシュラ、書の神キュエルなどがいる」とアシェリアは言った。

「アシェリアもそういう呼ばれ方してるの?」

「ただ一人のための神とか、蛇の子メラハンナの守護者と呼ばれているよ。詳しくは、いつかわたしの神話を読んで」

 アシェリアは詳細は検索、みたいな言い方をした。

 もう一つは、神の子イラハンナが地の神から神性を受け継ぐことで、地の神となるものだ。主に王である神が治める国で、この神性は代々受け継がれている。 

「後継争いのない、完璧な王位継承方法ですね」

 先輩が感心したように言った。

「欠点もあるよ」とアシェリアが言う。「神性を引き継ぐとその神は死ぬし、神性を引き継がずに死んだ場合、神性は失われる。王である神が突然死んで、崩壊した王国をいくつも知っている」

「死と引き換えの神性の継承。まるで金枝篇だ」

 ヒカルは呟く。「アシェリアの前に現れた王国の始祖の神は、命を守りたかったわけじゃなく、王権を守りたかっただけなんだね」

「残酷な話ですね。でも、待ってください。天の神なら、ほかの子孫を神にすればいいんじゃないですか?」と先輩が首を傾げる。

「人を神にするのは、とても力を使うんだろうね。わたしを神にした天の神は、そのあと二度と現れなかった。多くの天の神も同じ。多分、彼にはもう、人を神にできるほどの力が残っていなかったんだよ。傷を癒やしただけで消えるような、弱い神だったから」

 また、非常に稀であるが、神の子イラハンナが自ら神の力に目覚めることがあるという。

「イシュタルで最初に神になったものや、地球の釈迦やイエスは、このタイプの神だと思っているよ」とアシェリアは言った。

「それだと創造神話と矛盾しますよね。全ての神がかつて人だったなら、世界の創造の前から、人がいることになる……」

 でも、と先輩は続ける。

「二つの世界を作った。ではなく、世界を二つに別けた、だったら?」

「僕もそう思います」とヒカルは言った。

 創造神話。アシェリアのDNA。共通の生物種や地形。

 二つの世界が、かつて一つだったことを示す証左は多い。

 こうは考えられないだろうか。

 創造神話が生まれたのは、5から3万年前に、実際に神による創造が行われたからだ

 、と。


「夢で見た二人の神。わたしは、あの二人が創造の神じゃないかと思っている」とアシェリアは言った。

「問題は、なんのために世界を二つに分けたか、ですね」と先輩が言う。

「二人は世界のこれからに絶望していた。人を守るためは、もう一つ世界が必要だったのかもしれない」とアシェリアは言った。

「ヒカルくんは、どう思います?」

 わからないとヒカルは答えた。

「ただ、これから起こる噴火に絶望しているのは、僕も感じました」

「トバ・カタストロフを生き延びた神が絶望するほどの状況……」と先輩は言った。

「ヒカルくん、5から3万年前で、なにかそういう事変イベントはありましたか?」

 地球史についてはヒカルのほうが詳しい。

「5万年前は、ちょうど最終氷期の最寒冷期に向けて気温低下が始まる時期です。もう少しあとで、タウポ火山が火山爆発指数VEI8の噴火を起こしているけど、トバに比べれば、ごく小さな噴火です。それに、なにより、この頃のホモ・サピエンスは、簡単に絶滅する存在ではなくなっている」

 ホモ・サピエンスは、5万年前には絶滅させる側に変容を遂げていた。

 ホモ・サピエンスがヨーロッパにたどり着いたとき、ネアンデルタール人が絶滅し、オーストラリアにたどり着いたとき、大型動物相が絶滅した。

 その後の最終氷期の最寒冷期では、ホモ・サピエンスはアメリカ大陸に到達し、そこでも大型動物相を絶滅させている。

「手詰まり、ですね」と先輩は言った。

「一つ一つ、仮定の話を潰していきましょう」とヒカルは言った。「イシュタルでもトバ事変が起こっているのか。二つの世界という神話に普遍性があるのか。あと、5から3万年前くらいに、地球で起こったイベントがこちらで起こっているのか。イラハンナのDNAサンプルも欲しい。いつホモ・サピエンスと分岐したのかがわかれば、二つの世界がいつ分かれたのかの手がかりになる」

「まずはトバ火山の調査をしたいけど……」

 先輩はあたりを見回す。

「機材がなさすぎます。それに、イシュタルには飛行機もない」

「わたしを忘れていない?」

 アシェリアは、いつもの屈託のない笑顔を見せる。

「世界中どこでも、わたしが連れてってあげるよ。ちょっと、危険だけど」

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