第35話 内閣府へようこそ

 10日目の夜の医師のオンライン診察が終わると、内閣府の植村が画面に現れた。

「体調はお変わりないようですね」と彼は言った。

「明日朝八時に車を迎えに行かせます。協議は午後二時。ご質問はありますか?」

 ありませんと三人は答えた。


 迎えの黒いワンボックスカーは、七時くらいから一階の車止めに停まっていた。あまりに早すぎて、別の車じゃないかと訝ったほどだ。

 運転席と助手席にスーツ姿の男が乗っている。

「お迎えに上がりました」

 助手席の男は表情一つ動かさずに言った。

 ヒカルと先輩はスーツ姿だ。ヒカルは手ぶらに近いが、先輩は大きな鞄を持っている。

 アシェリアはいつも着ている白いワンピースのような服に戻っている。先輩は通販で豪華なドレスを買い与えようとしたが、アシェリアがいつもの服装にこだわった。

 シンプルな服だが、かえって彼女の美しさがよく引き立つとヒカルは思った。


 東京までの道すがら、アシェリアはずっと窓の外を眺めていた。

 驚くべき光景だとアシェリアは言った。

「でも、もっと驚くべきことは、この光景を形作る発明のほとんどは、2百年以内の発見だということ。2百年前は鉄筋コンクリートも、ゴムタイヤも、アスファルトの道路もなかった。イシュタルでは、2百年前も今日も、ほとんど光景は変わらない」

 助手席の男がちらりとルームミラーを覗き見る。何も知らされていないのだろう。妙なことを言う娘だ、とでも思ったのかもしれない。

 ミラーごしに、いつの間にか黒塗りの車がピタリと後ろをつけているのが見えた。護衛か、監視だと思う。

 アシェリアはかすかな声で歌っていた。美しい声。物悲しいメロディ。聞き慣れない単語。拗音が多い、王と対峙したアシェリアが話していた言葉だろうか。

 車はトンネルを抜けて、市街地に入る。

 物々しいオフィスビルの玄関で、三人は降ろされた。

 連絡を受けていたのか、植村が出迎えた。

「内閣府へようこそ」

 植村は笑顔を見せた。最初に抱いた神経質そうな印象が和らいでいた。


 植村に案内されて八階に上がる。通された部屋は大学の大講義室くらいの大きさで、ちょっとしたコンサートホールのような感じだ。

 向かい合った名立ての置かれた長机。片側は1列で、入口に近い側は四列ある。互いの距離は五メートルは開いている。

 ヒカルたちは、一列側に座らされた。

 あまりいい形ではないのは、心理学の専門家ではないヒカルにもわかる。

 植村は反対側の最後列の端に座った。

「政府の方針に逆らったので、私達の立場は微妙なものになっています。基本的に今回、発言権はありません」と植村が言った。

 私達? とヒカルが思うのに合わせたかのように、六人の男たちが入ってくる。いずれもアシェリアがテレポートさせた、梶三佐と内田教授、四人のTN調査委員たちだ。

「お久しぶりです、女神よ」

 スーツ姿の梶は、美しい所作でアシュリアに敬礼した。

「息災なようだね。例の隊員はいかが?」

 アシェリアはいつものように言った。

「伊藤は両親のもとに。佐伯は今、自衛隊病院でリハビリ中です。先日見舞いに行ったところ、夫婦仲はかえって良くなったと言っていました」

 アシェリアがほんの少し、安堵の息をついたのをヒカルは見た。

「ようこそ地球へ」

 内田が近づいてきて握手を求める。アシェリアが応える。

「またお会い出来て嬉しいです。ワーム・ホールの調査を認めていただけると、更に嬉しいんですがね」と内田は言った。

 三日前に、要点を整理した書類が届いていた。

 日本政府からの、イシュタルにおける北アナトリア国への要求は四つ。

 一つ目はワーム・ホールの調査のための、観測装置の設置と設営隊の常駐。

 二つ目は学術調査隊の派遣。

 三つ目は邦人の通行の確保と保護。

 四つ目は、ワーム・ホールの拡大時の通商の保証。

 要はワーム・ホールが拡大するまでは、アシェリアの力を貸せということだった。

 アシェリアは一つ目だけは検討するが、あとは拒否すると回答した。

「君たちも久しぶりだね」

 内田は二人を見て言った。

「変わりなさそうでなにより」

「十日間、驚きの連続でした。まだ言えないけど」

 先輩は言いたくてたまらなさそうだ。

「そりゃあ聞くのが楽しみだ」と内田が言った。「我々も呼び方が変わってね。今は新世界調査委員会となった」

「イシュタル調査委員会じゃないんですね」と先輩が言った。

「その案もあったが、イシュタルは一部での呼び名ではないかという議論があってね。パーキンソンの凡俗法則というやつだ。どうでもいい議論ほど長くなる。この名前に落ち着くのに2時間かかったよ」

「地域によってグェス、バルットウ、ウージェイなどと呼ばれている。イシュタルに相当する概念を持たない部族もある」とアシェリアは言った。


 三々五々と人が入ってくる。彼らは机の上の名前を確認して席に着いた。内田も席に戻る。

 視線がアシェリアに集まっている。それらは無遠慮だったり懐疑だったり、あるいは純粋に容姿に惹かれたりしていた。

 二十人ほどが集まり席がほぼ埋まった頃、オーケストラの指揮者のように二人の人物が入ってくる。

 老人に差し掛かった背の低い女性と、目がギラギラした中年の男性だ。

 司会役の男が立ち上がり、協議の開始の宣言と出席者の紹介をする。

 最後に入ってきた二人は内閣府副大臣で、女性は外務副大臣、男は防衛副大臣を兼ねているとのことだった。

 この二人が政府を代表していると、司会役の男は言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る