第28話 認識の及ばないものを知れ

「北アナトリア国ですか……」

 内閣府の植村は唸るように言った。

「今後、アシェリア・グリーファ・イル・イシュタルスを神に戴くこの地域は、日本語での呼称として北アナトリア国を名乗ります」とヒカルは言った。

「いい国名だと思います。しかし、トルコとの関係もあり、我が国では認められない可能性があります。せめてイシュタルにおける北アナトリア国としてください」

 植村の言葉に、ヒカルはそうしますと答えた。

「この前の条件、考えて頂けましたか?」

 ヒカルは尋ねた。

「やはり、今後の不干渉を確約は出来ません。調査は総理の意向です。地球帰還後、総理を含めた政府を説得するのに全力を尽くす、で妥協できませんか」

 アシェリアを見る。

「それで構わない」とアシェリアは言った。

「ただし、今後こちらに地球の者が来れば殺す」

 ヒカルは思わずアシェリアの腕を抑える。そんなことを言ってはいけない。黙って首を横に振る。

「物騒だな。せめて民間人の保護くらい互いに約束したいもんですが」と梶三佐が言う。「我が国がそんなことをするとは思えないが、どこかの国が侵略的意図でやって来たら、いつかは一人では限界が来ますよ。なにせ、地球と同じ資源が丸々手に入るんだ。日本ごと侵略しようって国が現れたっておかしくない」

「同じ。何人来ようと、みな殺す」

 ヒカルは梶が言うとおりだと思う。

 アシェリアは知らないのだ。地球でホモ・サピエンスが、どれだけ人を殺す技術を磨いてきたかを。

 大型のワーム・ホールが出現して、兵器が送り込まれたら、アシェリアは抗し得ない。

 ヒカルは前に、彼女に世界大戦のことを話した。核爆弾や戦車のことを、彼女は聞いている。しかし、知らないものを正確にイメージすることは出来ない。

 アシェリアにこのことを伝えたい。しかしここで口にすることは出来ない。日本政府に、アシェリアの力の限界を知られてはいけない。

「アシェリアちゃん、ちょっといいですか?」

 先輩が口を挟む。

 ザックからガスマスクを取り出す。

「これはガスマスク。なんのために使うかわかります?」

 アシェリアは沈黙した。

「地球では、毒ガスといってね、毒のある気体まで武器になっているんです。でも、ガスマスクをつければ、毒ガスの中でも平気なんです。これがどういうことか、わかりますか?」

「空気が毒となることがあるのは知っている。わたしなら、それに耐えられる」

「アシェリアちゃんが耐えられても、意味ないんです。地球の軍隊は、その気になれば北アナトリアの国民を一方的に殺すことが出来るってことなんです。誰もいなくなったこの森で、アシェリアちゃんは一人で戦い続けますか?」

 アシェリアは何も言わない。唇を一文字に結び、手を握っている。

 失い、憎まれることに疲れたと、彼女は言った。こんなことが彼女の人生には数多く起こったのだろう。

 これ以上、アシェリアに失わせたくない。

 ふと、ヒカルは思いつく。

 知らないのならば、学習すればいいのだ。

「これは仲介者としてではなく、個人的な提案ですが」とヒカルは言った。「アシェリアさんを地球に呼ぶことは出来ませんか?」

 アシェリアが驚いた顔でヒカルを見る。ヒカルは短く、信じてと言った。

「……どういった意図ですか、それは?」

 戸惑った表情で植村が尋ねる。

「日本政府との交渉に、彼女自身であたって貰います。あなた方と僕達はそれをサポートする」

「賛成だ! 確かにそれが一番早い」

 内田教授が膝を叩いて声を上げる。「どうかね、植村くん」

 植村は即答しなかった。前と同じように考える時間が欲しいと言った。

「わたしも、考える時間が欲しい」とアシェリアも言った。


 一時間後に再び交渉の場が設けられることになった。

「ヒカル、どういうことが説明して」

 テントから少し離れると、アシェリアはヒカルに詰め寄った。

「わたしを助けてくれるんじゃないの? それとも、ヒカルはやっぱり日本の味方なの? わたしを地球に連れて行ってどうするつもり?」

「僕は君の味方だ。よく聞いて、アシェリア」

 ヒカルはアシェリアの左手を掴むと、両手で包み込む。先輩が驚いた顔をするのが見えた。

「ワーム・ホールがどうなるかわからないんだ。もし大型化したら、アシェリア、君は送り込まれた地球の軍隊に勝てない」

「そんなことない。攻めてくるものは全員殺す。今までだってそうしてきた」

「地球の軍隊はもはや人じゃないんだ。無人機やドローン、ミサイル。どれも、君の見えるところに兵士はいない。見えない兵士を君は倒せない。君の力について、僕は多少は理解しているつもりだ。君の力は、認識の及ばないものは、どうしようもない」

「隠れているなら、そこを吹き飛ばせばいい。城壁を吹き飛ばして、兵士を殺す」

「そういうレベルじゃないんだ。地球の裏側から、無人のミサイルが降っててこの森を焼き払う。地球の戦争は、そういう戦いなんだ」

 ヒカルは、そうですよねと先輩に言った。

「I am become Death the destroyer of worlds. 我は死神なり、世界の破壊者なり」先輩は静かに言った。「一瞬でこの森を焼き払える核兵器を開発した、科学者の言葉です。残念だけど、ヒカルくんや梶さんの言うとおりです。地球の軍隊は、たぶん、アシェリアちゃんより強い」

 アシェリアはうつむく。ややあって、アシェリアは言った。

「わたしは、どうすればいい?」

「地球に来て学ぶんだ」とヒカルは言った。

 アシェリアが顔を上げる。

「何を?」

「地球の軍隊を、社会を、科学を、ホモ・サピエンスを」とヒカルは言った。「地球の知識で、アシェリアの認識をアップデートする。今は対抗できないミサイルにも、ロケットエンジンや電波について君が知れば、対抗できるようになるかもしれない」

「……無理だよ」アシェリアは泣き出しそうな声で言った。「地球になんて行けない。わたしがここを離れたら、蛇の子メラハンナたちはあっという間に滅ぼされる」

「20日、いや、15日なんとかならない? それだけあれば、君なら『死神』になれる」

 わかったとアシェリアは言った。

 それからアシェリアは、彼女の民に自身の不在を告げるために消えた。

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