第27話 神の治める国の名は

「やっぱ国名は必要だと思うんですよ」

 朝食を食べながら先輩は言った。

「国名?」

「日本政府と交渉することになりますよね、これから。だったらこちらも、国家としての体裁を取っておいたほうがいいと思うんです。相手は無主地なんて呼んでるわけですから、そうじゃないという意味でも、国となっておく必要があります」

「国家の資格要件、でしたっけ? 学部のときやった気がします」とヒカルは言った。

「住民、領域、外交能力、政府ですね」

 先輩の言葉にヒカルは考える。

 住民はいいだろう。ホモ・サピエンス以外のホモ属が要件を満たすかはともかく、メラハンナたちには、ボグワート以外にもいくつもの集落がある。

 領域は少し怪しいが、問題はない。アシェリアは地球で言うアナトリア半島北部に広がる広大な土地に影響力を持ち、ホモ・サピエンスの立ち入りを排除している。支配していると言って問題ないだろう。

 外交能力と政府が絶望的だ。政治体制はアシェリアによる神権政治と言えなくもない。しかし少数のシャーマンがいるだけで、統治機構があるわけではない。

 法律もない。信仰に基づく律法のようなものがあるだけだ。

 これでは、国家に満たない緩やかな繋がりでしかない。

「だからこそハッタリのために近代国家風の国名が必要なんですよ」

 そういうものかとヒカルは思う。

 目の前で巡礼者の一団が到着する。美しい色とりどりの体毛を持つ部族だ。そのぶん、服で覆われた面積は極端に小さい。腰に布を巻いているだけだ。

「あの毛、一本でいいから貰えませんかね」と先輩は言った。「ヒカルくん、サンプル提供の交渉してきてくださいよ」

「無理ですよ。そこまで複雑なこと伝えられないっす」

 メラハンナたちの共通語である『森の言葉アウラ・ニカ』は、シンプルなかわり、あまり複雑なことを表現できない。

 たぶん、ほとんどのメラハンナは複雑な言語を理解できないのだ。

 メラハンナたちが国を持たなかったのも同じ理由だろうと、ヒカルは思った。

 複雑な言語は、国や神話や芸術を作り出す能力と同じく、ホモ・サピエンスに特有のものだ。この能力は、7万年前に起こったホモ・サピエンスの脳の変化によって獲得された。

 他の化石人類、例えばネアンデルタール人はホモ・サピエンスより大きな脳を持っていたが、神像や複雑な洞窟壁画を残すことはなかったし、ましてや国を作ることもなかった。

 巡礼者が敷物を敷き、宝石を並べはじめた。トルコ石にルビーのようなものもある。 

 巡礼者たちは自身は、宝飾品を身につけていない。彼らにとっては、宝石は物々交換の品の一つでしかないのだろう。

 高価値なので、長距離を移動してくるのに荷物が減っていいのかもしれない。

 彼らは、言語を持ち、宝飾品の価値を理解しているが、服装も言語もシンプルなものに留まっている。

 女たちが集まってくる。エミルの姿もある。

 独自の言語を発達させているボグワードの人々、特に宝飾品や工芸が大好きな女性は、例外的にホモ・サピエンスに近い脳を持っているのかもしれない。

 エミルはこちらに気づくと、駆け寄ってきて先輩の胸に触れると、また走り去った。

「あの子、なんかおっぱいが好きみたいなんですよね」

 先輩は呆れたように言った。「昨夜も寝袋にいきなり入ってきたと思ったら、おっぱい吸いだしてそのまま寝たんですよ。信じられない」

 成長しても女性は子供のような体格のままのボグワートでは、豊満な乳房が珍しいのだろうとヒカルは思った。


 アシェリアは国名をつけることを嫌がった。

 イシュタルでは、国を呼ぶときは、その国の存在する場所の地名で呼ぶのが一般的らしい。

 中華や日本、地球のこの地にあったオスマン帝国が名乗った『至高の国デヴレティ・アリイエ』といった美称を用いることもなければ、王国や共和国といった体制を付ける慣習もない。

 ただし例外的に、神の治める国であれば、神の名を冠した名を名乗る。

「じゃあ決まりですね」と先輩は言った。「神聖アシェリア帝国。これでいきましょう」

「駄目っ!」

 即答だった。

 いくつか候補を挙げる。アシェリア国まで妥協しても、彼女は断固拒否した。

 恥ずかしいらしい。

「じゃあもう地名にしましょう」諦めたように先輩が言った。「この森はボグワートでは、なんと呼ばれていますか?」

「イルマ・アシェーリア」彼女は小さく言った。

 アシェリアの森という意味だという。

「イラハンナの国からはなんて呼ばれているの?」ヒカルが尋ねる。

「……日本語で言うと……悪魔の森」

 悲しそうなアシェリアを見るのは、本当に辛い。

 結局、地球の地名を拝借して、日本での国名を決めた。

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