第25話 テラ・ヌリウス

 案内されたテントで、部隊指揮官は梶三佐と名乗った。三十代の、軍人というより、どちらかというと優秀な弁護士のような雰囲気の男だ。

 その顔には疲労の色が濃い。

 その脇に二人のアウトドアウェア姿の男が腰掛けている。

「ねえ、あれ」

 そのうちの一人、六十代の男性を見て先輩が言う。

「内田教授ですね。早稲田の」とヒカルは言った。

 TVのニュースや超常現象特集のコメンテーターで活躍する、有名な物理学者だった。全て科学で説明できるが口癖で、オカルトバスターなどと呼ばれている。

 ヒカルたちの視線に気づいた内田教授が口を開く。

「TN空間調査委員会の内田だ」

「内田先生っ! 民間人にそれは……」

 もう一人の男性が抗議の声を上げる。

「いいじゃないか。ここがそのTN空間なんだ。今更秘密にしてなんになる」

 男は渋々といった感じに引き下がると、

「TN空間調査委員会事務局をしています、内閣府の植村です」と言った。

 痩せ気味で神経質な外見のせいで、梶三佐より年上に見えるが、実際はあまり年が変わらなさそうだ。

「東北大学大学院の古谷です」

「同じく肉丸アヤです」

「学生かね?」

 内田が尋ねる。

 そうですとヒカルは答えた。

「一体なぜここにいるのかね?」

「十和田湖のほとりから、白い霧を通ってきました。この世界に来るのは、二度目です」

「あたしは一回目です」と先輩が言う。

「まさか民間人が先に発見していたとは……」

 植村が呟くように言う。

「一度目は偶然でした。同じように十和田からここに迷い込みました。ここで彼女、アシェリアに保護され、食料と寝る場所を与えられ、地球に帰してもらいました」

 ヒカルの言葉に、視線がアシェリアに集まる。

「アシェリア・グリーファ・イル・イシュタルス」

 胸に手を当てて、彼女は名乗った。

 ヒカルが続ける。

「彼女は、こちらの世界における、神の一人です」

「神ぃ?」

 内田が声を上げる。流石に声色が訝っている。

「神として崇拝され、人民を導いています。人を超越した力もある」

 ヒカルは言った。

「信じますよ、その言葉」

 梶が言った。「彼女には散々な目に合わされている。小銃を持った隊員が、二十人がかりで手も足も出ない。いつも突然現れて襲撃される。神の気まぐれだと言われたって、それを信じますよ」

「気まぐれではありません。彼女はこの地域の慣習に則って、あなた達と戦っていました」

 ヒカルはイシュタルの簡単な説明と、アシェリアが自衛隊と戦っていたわけを話した。

「木を切った……そんな理由で……」

 植村が呆れたように言う。

「文化風習が全く違うんだ。我々の価値観で物を言うのは感心できんな」

 内田が言う。「彼らにとっては神木のようなものだろう。無断で切られれば、激怒してもおかしくはない。彼らの地に土足で踏み込んだ、我々のミスだ。そこは謝罪すべきだと思うがね」

「そんな簡単にいきませんよ」

 梶が言った。「部下に殉職者も出ているんだ。理解が足りませんでした、すみませんと一方的に謝罪出来ませんよ」

 殉職、という言葉に頭を殴られたような気になる。アシェリアが人を殺したのだ。

 感情を殺してヒカルは言う。

「アシェリアさんの側にも、死者が出ています」

「先に襲ってきたのは向こうだ」

 重たい沈黙が生まれる。

「ちょっと、いいですか?」

 先輩が小さく手を挙げた。

「日本は、どこまでイシュタルの調査を進めているんですか?」

「……機密事項です」

 苦虫を噛み潰したような表情で植村が言う。

「隠さなくても、ほとんど調査されていないことくらいわかりますよ」と先輩は言った。「まず確実に、今回が一回目の有人調査ですよね。これだけの大径木の森だと、木を切らないとGPSが受信できないと考えたんですよね。空が見える場所が必要だった。あれだけ多くの木を切ったんです。気球も上げましたか? 今になってようやく地球じゃないってことに気づいた、そのくらいですよね」

 そのとおりだと内田は言った。

 テントの周りを思い出す。テントは三張しかないのに、あたり五十メートル四方の木々が切り倒され、流石にちょっとやりすぎではないかとヒカルは思った。

「それにそのTN空間っての、無主地、テラ・ヌリウスの略ですよね。つまり日本政府は、この地に系統だった政治機構があるとは思ってもみなかった」

 機密、と言いかけた植村を内田が制する。

「もういいじゃないか。見栄を張るのはもうやめないか。彼女の言うとおりだ。我々はこの地について何も知らない。この地に、無主地テラ・ヌリウスなんて領土欲丸出しの名前をつけたことも恥じるべきだ」

「もし、この場限りでも双方に協力関係が築けるなら」

 先輩は言った。「アシェリアちゃんは、あなた達を地球に帰すことが出来ます」

「本当かね」

 ややあって内田が口を開く。「正直なところ、帰る手段がなく困っていてね」

「向こうでも騒ぎになっていましたよ。ニュースにはなっていないけど、自衛隊が動いていました」とヒカルは言った。

「でしょうね」と梶が言う。「連絡が取れなくなった時点で、救助隊が編成されているはずだ。なのにいまだに我々がここに取り残されている。上は大騒ぎのはずです」

「一つ疑問なんですけど」と先輩が言った。「日本政府はなんで帰る目処もない場所に調査隊を送り込んだんですか?」

 内田教授の話によると、十和田にワーム・ホールが開いたのは三週間ほど前だという。

「ワーム・ホール、我々は十和田特異点と呼んでいたが、君たちの呼び方に合わせよう」と内田は言った。

 深い霧を訝った住民が地元の駐在に連絡し、警察を経由して気象庁に情報が伝えられ、気象台が調査を行った。

 霧の中にワーム・ホールを発見した気象台は、有線カメラを差し込み、その先に深い森が広がっていることを知る。

 日本政府によって有識者を集めた調査委員会が設置され、ロボットやドローンによる調査が行われた。

 大気の組成や一日の長さなどから、調査委員会はワーム・ホールの先を、地球のどこかの人の手の及んでいない場所と結論づける。調査隊が結成され、調査実務と護衛を兼ねた陸上自衛隊施設科の部隊が同行することになった。

「ちょっと待ってください」

 ヒカルは声を上げた。「じゃあ、その間、ずっとワーム・ホールは開いていたんですか?」

「ワーム・ホールは気象庁と自衛隊で二十四時間体制の監視と観測を行っていたが、二週間変化は無かった。大きくも小さくもならず、ずっと形を保っていたよ」と内田は言った。

 アシェリアとヒカルは顔を見合わせる。

 これほど巨大で持続時間の長いワーム・ホールが存在するとは、思ってもみなかった。

 イシュタルと地球の繋がりは、むしろ強くなっているのではないか。

「変化があったのは、我々がこちらに到着した直後だ。霧が晴れてワーム・ホールも消えてしまった。まあ地球のどこかだ。そのうち救助されるだろうと思っていたら、GPSも使えない、無線機には電波一つ入らない。おまけに未知の部族に襲われると、散々な目に合ったよ。だから調査隊を送るのはまだ早いと言ったんだ、植村くん」

「……総理のご意向ですから」

 名指しされた植村は、小さく言った。

「ワーム・ホールの大きさは、どのくらいでしたか?」

「直径二メートルくらいはありましたよ」と梶が言った。「ちなみに私も自衛隊の派遣には反対でした。未知の場所に部隊を送るなんて危険すぎる。武力衝突にでもなったらどうするんだと思っていました」

 植村が小さくなっている。ヒカルは少し彼に同情した。

「一ヶ月前に、この付近でワーム・ホールの調査をしました」とヒカルは言った。「ワーム・ホールはほとんどが直径数センチメートルで、一秒以内に消滅します。僕がこちらから地球に帰るときは、一平方キロメートル中に、直径三十センチのワーム・ホールが出現するのに八時間近くかかりました。直径二メートルは驚異的な大きさです。今回、僕達がここに来るときも、ワーム・ホールの頻繁な出現を確認しています」

「ワーム・ホールが巨大化、多発化するようになってる、と言いたいのかね」

 ヒカルは頷く。

「いいことじゃないですか。いつかはまた人の通れるワーム・ホールが開く。そしたら我々も帰れるんです」

 植村は万歳のように両手を上げて言った。

「喜んでばかりもいられないんです。イシュタルの神話によれば……」

 ヒカルはそう言ってアシェリアを見た。

「始まりの日、創造の二柱の神は、二つの世界を作った」

 静かな声でアシェリアが言った。神として振る舞うとき、彼女は凛としていてとても美しい。

「いつの日か二つの世界は交わるだろう。やがて世界は一つになる。そのとき、世界を滅ぼすほどの、大いなる災いが起こる」

 皆が口を閉ざした。

「……神話というより、まるで予言だ」

 梶が呟く。

「でも、それって神話の話ですよね? 作り話かもしれないでしょう」

 植村が疑問の声を上げる。

「今のところ、二つの世界というところまでは、事実を反映していると言える」

 内田が言う。「交わるというのが、今のワーム・ホールで繋がったり切れたりするような状態を指すのかは不明だがね」

「僕は交わるという言葉は、ワーム・ホールの出現する状態を指していると思っています。その状態から二つの世界間の物質の移動や、時間の経過でワーム・ホールは成長し、一つになるのではないかと思っています」

「だが、我々がこれだけの物質を持ち込んだのに、ワーム・ホールは消えてしまった。調査、検証が必要だな」

「その通りです」

 もう一つ、とヒカルは続けた。

「アシェリアさんもこの仮説を支持しています。彼女はあなた方に地球に帰り、これ以上干渉することがないよう要求しています。これが、あなた方が地球に帰るのに協力する条件です」

 三人は顔を見合わせる。

「植村くん、どうだね」

「……協力を頂きたいのは山々ですが……」 

 内田に促された植村が絞り出すように言う。

「私の一存では決められないんです」

「拒否すると、我々はどうなるんですかね。人が通れるワーム・ホールが開くまで、ここで待っていてもいいんですか?」

 梶が言う。

「ただちにあなた方は鏖殺される。そして死体になって地球に帰る」

「まず地球へ帰ることを優先したらどうです?」と先輩は言った。「日本政府の方針なんですよね。イシュタルの調査。あなたたちの独断じゃ、やめられないんですよね。だったら、地球に帰ったら総理を説得するとかで、妥協点を探りましょう」

 考える時間が欲しいと言う植村に、アシェリアは今日はここまでだと告げた。

 最後にアシェリアは、死者に祈りたいと言った。

 別のテントに案内される。

 箱を積んで、ベッドのようなものが組まれている。その上に、ファスナーが閉じられた寝袋が置かれていた。

「伊藤陸士長。いいやつだったよ」

 梶が、近づいてファスナーを開ける。

 若い男だ。血の気のない白い顔に、死をまざまざと見せつけられた気がする。

「遺体袋も用意してなくてね。連れて帰ってやりたいが、この気温だ。そろそろ埋葬も考え始めたところだった」

 アシェリアは遺体の前で膝を突き、手を組んだ。遺体が一瞬白く光る。ヒカルと先輩も手を合わせる。

「他に重症者が一人いる。早く適切な治療を受けさせてやりたいんだが……」

「死者がこれ以上痛むことを遠ざけた。少なくとも、あと何日かは」

 顔を上げてアシェリアは言った。「その間に、あなた達が素直に帰ってくれることを願う。二日後に、また来る」



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