第24話 白旗すら知らなければ、殺し合いは止むことはない

 文明の衝突が起きている、とヒカルは思った。

 お互いの属する文明の価値観が違いすぎて、目を閉じ耳を塞いで殴り合っているような状態なのだ。

 日本人の価値観からすれば、アシェリアたちは野蛮そのものだ。自衛隊の発砲は正当防衛であり、無関係な第三者に報復されるいわれもない。

 日本では国家が犯罪者を裁き、刑罰を課す。復讐や私刑は禁止されている。 

 ボグワートは違うのだ。日本で国家がやるべきことを、神が私刑として行っている。

 それがこの森では普通なのだろう。

 その常識が互いにわからない。だから徹底的に敵対するのだ。

 このままだと、本当に自衛隊は皆殺しにされるまで抵抗をやめないだろう。

 アシェリアを見つめる。

 再会を喜ぶより、この美しい女神が背負っているものの重さを知って胸が苦しい。

「僕が間に立つ」とヒカルは言った。「僕が彼らと話をする」

「ちょっと待ってください。それ、あたしも行ったほうがよくないですか?」

 先輩が口を挟む。「例えばもし、自衛隊が、アシェリアちゃんを日本の刑法で裁くべきと主張したら、ヒカルくんはどうしますか?」

「それは……イシュタルでは報復が認められていると説明します」

「やっぱりです。ヒカルくんはこの世界に詳しすぎるんです。イシュタルの価値観を知りすぎている。その知識は大事だけど、相手にしてみれば、公平でない仲裁者に見えかねないんです」

 ヒカルは言葉もない。

「だからあたしも行きます。ヒカルくんはアシェリアちゃんを擁護してください。あたしがグッドコップになる」

 グッドコップ・バッドコップは尋問の技術の一つだ。二人一組で片方が悪役を引き受け、もう片方は理解ある善玉となる。尋問される側は、悪役への恐怖や敵愾心から、善玉へ進んで協力するようになる。

「地球は恐ろしいとこなんだね」と、アシェリアは感心したように言った。「洗練された人を操る技術だ。イシュタルのホモ・サピエンスはここまで狡猾じゃない」

 二人を信用するとアシェリアは言った。

「彼らに大人しく帰ってもらえれば、それでいい。二人を連れて自衛隊のキャンプの側まで瞬間移動する。あと一つ大事なことなのだけど……」

 アシェリアが少し言葉を濁す。

「さっき瞬間移動する前、頭の中でわたしの声が聞こえた?」

 先輩はなんのことかわからないという顔をした。

「ヒカルは聞こえたよね」

 聞こえたとヒカルは言った。

『今度は聞こえたかな』

「あ、頭の中でアシェリアちゃんの声がする」と先輩が言った。「でも、なんて言っているかはわからない。不思議な感覚」

「あれ? 僕は言ってることがわかったけど……」

「それはヒカルとわたしが、互いによく知っているから」

 この力は言葉の通じないものや、よく知らないものに使っても、ただの耳鳴りか雑音にしか聞こえないという。

「そういえば、なんか耳鳴りがした気もします」と先輩は言った。

 話の通じるもの同士なら、強制的に意思を伝えられる。相手の意思もある程度はわかる。ライオンに襲われたヒカルの祈りは、あのときたしかに届いていたのだ。

 ただし、あまり遠くには届かないし、特定の相手だけを選んで届けることも出来ない。

「瞬間移動もね、よく知らない人だと、とても力を使うんだ。さっきも使ってしまったから、二人を連れて行くと、わたしの力はほとんどゼロになる」

「ゼロになると、どうなるんですか?」と先輩が尋ねた。

「人と同じ。銃弾も刃も防げなくなる」

 ヒカルは拳を握りしめる。

 交渉に命を賭けるとアシェリアは言っているのだ。

 彼女は日本人から見れば野蛮な文明の中にいる。それでも自衛隊員を皆殺しする代わりに、自らの命を賭けるアシェリアは優しいとヒカルは思った。


 少しでもアシェリアの力を節約するため、二時間ほど歩く。

 彼らの目の前に現れるときだけは、瞬間移動を使う。アシェリアの力に制限があることを悟られないためだ。

 ヒカルは、その間沢山の写真を撮った。自然科学者の習性のようなものだ。

 先輩は元々歩くのが遅い。おまけにひたすらアシェリアに話しかけている。

「アシェリアちゃんは彼氏とかいるんですか?」

 一体何を言い出すんだと思うが、聞き耳を立ててしまう。

「かれし?」

「んー。好きな男性。特定の、結婚してもいいかなぁって男性です」

「いないよ」

 ヒカルは少し安心する。

「へー。モテそうなのに。今までいた事ありますか?」

「そういうのよくわからないんだ。わたし、人と違うから」

「まあ、神様ですもんね」

「でも、結婚していたことはある」

 ヒカルは固まる。ショックが大きい。

「へえ。若そうなのに人生経験積んでますね。相手も神様ですか?」

「違う。地球で言うホモ・サピエンスの王たち。そういう国があったんだよ。神を娶ることで王の正統を示す国が」

 王? 

 アシェリアの姿を正視出来ない。盗み見た先で、彼女は懐かしげに目を細めた。

「いい王たちだったよ。神の子イラハンナで、あんな王たちは二度と生まれないと思う。蛇の子メラハンナを差別しないし、奴隷にすることも、虐殺もしなかった。いい国だったな」

「その国は、どうなったの?」

 小さな声でヒカルは尋ねた。

「滅びたよ。ほかの神の子イラハンナの国に滅ぼされた」

 淡々とアシェリアは言った。「お話はもうおしまい。もうすぐ自衛隊のキャンプが見える。準備はいい?」


 アシェリアの過去について、もっと知りたいと思う。多くの話をしたけれど、それでもまだ知らないことは沢山ある。

 心の中のもモヤモヤが強くなる。


 その自衛隊員は、いきなり現れた三人を見て、手にした小銃を構えた。

「待て!!」

 ヒカルは出来るだけ大声で叫んだ。

 手にした棒を掲げる。先端には白いタオルを結びつけてある。

 見張りなのだろう。他に自衛隊員の姿はない。アシェリアの言ったとおりだった。

「白……旗……」

 自衛隊員が一瞬安堵した表情を浮かべる。無理もない。見知らぬ土地で未知の存在と戦うのは相当なストレスだったろう。

「日本人だ。戦う意志はない。このアシェリアさんと貴官らとの停戦の仲介をしたい」

 ここに来るまでに何度も頭の中で練習してきた言葉だ。正式にはなんと言えばいいかはわからないが、意味が通じればいい。

 彼はすぐに直立不動の姿勢になった。

「部隊指揮官の元に、ご案内します」

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