第18話 雨音のレーダー
これまで話していた日本人の宗教観を元に、賽銭について説明する。
アシェリアは顔をしかめる。
「なんかそのお賽銭って、好きじゃないな。日本の神ってあまりに俗物的すぎない?」
「神が直接的に金銭を要求しているわけじゃなくて、人の作り出したシステムだよ。それに日本だけじゃない。アブラハムの神の信徒も、硬貨が箱に音を立てて入る瞬間に霊魂が天国へ飛び上がると言っている」
「もしこれが神への供物だとしたら……」
アシェリアは一枚の硬貨を手に取ると天にかざす。「地球の誰かが、神の力を借りて、二つの世界を交わらせようとしているのかな」
ヒカルは考える。そんなことを企む日本人がいるだろうか。
日本には、そもそも二つの世界という概念はない。それに似た、異世界や、平行世界や、死後の世界の概念はあるが、そことの繋がりを求めて、賽銭を投げ入れる者がいるだろうか。
アシェリアとの思考法の違いを感じる。
そもそも属する文明が違うのだ。イシュタルでは、神がすべての中心として世界は回っている
だから地球のことを考えると、原因と結果が逆転する。
「それはないと思う。これは現象の結果に過ぎない」
ヒカルは仮説を立てる。
ここと十和田を繋いでいたワーム・ホールのようなものは、地面に開いていたのではないか。一回に開く面積はそう広くない。硬貨数個分だ。日本人たちは、賽銭箱か、湖面かにそれが広がっているのを知らず、賽銭を投げ込んだ。
そして、開く場所も一定ではない。この近くのどこかに、ごく短い間、それは開き、次はどこに開くかわからない。
だから、広範囲に硬貨一つずつが見つかるのだ。
もし、あたり一面の空間ごと入れ替えるようなワーム・ホールなら、もっと大規模な物質の交換があるはずだ。
このあたりの植生がそっくり入れ替わったり、神社の残骸が見つかってもおかしくない。
ヒカルが通ったのは、例外的に大きなワーム・ホールだったのだ。
ヒカルは足を滑らせ、そこに落ちた。
「理屈は通っている」とアシェリアは言った。「でも、それだとヒカルはそう簡単に帰れないことになる」
アシェリアの言うとおりだった。
いつどこで開くかわからないワーム・ホールの中から、例外的に大きなものを見つけて、そこを通る。簡単ではない。
そもそも、次いつ開くのか、予想も立てられないのだ。
アシェリアはしばらく考えてから、
「雨を降らせる」と言った。
この森は、地球でいうアナトリア半島北部の広大な範囲に広がっている、とアシェリアは言った。
彼女はその気になれば、森で起こっている事象をすべて把握可能だという。
「でも今は、そこまで力が回復していない」
だからこの百メートル四方ほどに雨を降らせ、雨音を観測する。
もし地面にワーム・ホールが開いたなら、雨は吸い込まれ、そこだけ雨音が消えるはずだ。
アシェリアは巫女たちと3人の男に何かを指示する。彼らはあたりに散り、しばらくすると蔦や芭蕉のような葉を手に戻ってきた。
雨を凌ぐシェルターを作ろうというのだ。
イシュタルに来てから、そういえば雨を一度も経験していない。トルコ北西部の気候区分は、夏に雨の少ない地中海性気候だったか、地球に戻ったら確認しようと思った。
アシェリアは空中に浮かんでいる。
腕を水平に大きく開いて、ゆっくりと回転している。まるでレーダーだ。
森には小雨が降っている。
シェルターの屋根を雨が叩く音が騒がしい。
乾いた大地に雨は恵みだろう。草木の緑がこころなしか濃くなったようだ。
ヒカルはスマートフォンを見る。雨が降り出して30分が経っていた。
ワーム・ホールが開いたなら、アシェリアから連絡が来ることになっているが、いまだに音沙汰はない。
アシェリアの邪魔にならないよう、なるだけ静かにじっとしている。巫女たちも男3人も音一つ立てない。
老シャーマンだけが雨の中じっとアシェリアを見上げている。
そのとき、頭の中に声がした。
『開いた』
白い光に包まれたアシェリアが、右手の指を三本立てている。硬貨三つ分の大きさのワーム・ホールが開いたという意味だ。
八時間かけて発見できたワーム・ホールは二十個。
同時にアシェリアは力を使い果たした。
フラフラと地上に降り立った彼女を支えようとしたヒカルは、老シャーマンに一喝される。
アシェリアに触れていいのは巫女たちだけだ、的なことを言っているらしい。
やっぱり、監視だったのかと思う。
二十個のワーム・ホールを大きさごとに分類してグラフを描く。サンプル数が少なくてギザギザのグラフになるが、ワーム・ホールの大きさと出現頻度には負の相関がありそうだ。
そこから、ヒカルが通れる直径三十センチ程度のワーム・ホールが、何時間に一度出現するかを計算する。
答えは2百から3百時間に一度。意外と現実的な数字だった。
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