第17話 五円が繋ぐ縁

 翌日から、ヒカルの地球帰還の方法探しが始まった。まずはヒカルが発見された場所の調査をする。

「そもそもなんだけど」

 森の中を歩きながらヒカルは言った。「アシェリアの力で、僕を地球へ飛ばせないの?」

「そういう奇跡みたいなことは、出来ないんだよね」

 足元で小枝が折れてパキッと音を立てた。

 ヒカルをボグワートに連れてきた三人が先導してくれている。

 護衛のつもりか、老シャーマンも後ろから付いてくる。もっとも、これは監視かもしれない。視線の圧が凄い。

 他にアシェリアの身の回り品を持った巫女たちが四人。ちょっとした大名行列だ。

「アシェリアにも出来ないことってあるんだ」

「アブラハムの宗教の神みたいに、全知全能ではないよ。出来ないことのほうが多い」

 あまり自分やイシュタルのことを話してくれなかった昨日までと違い、アシェリアは随分と饒舌になっていた。

 決意と仲間意識のようなものを感じる。世界を救う仲間と思ってもらえたのかと、ちょっと誇らしく感じる。

 ヒカルは昨日の神について考えた。アシェリアのことが嫌いな神。アシェリアを殺そうとした男。

 あの男も含めて、アシェリアは世界を救おうとしているのだろうか。

「そもそも地球に行ったことないからね、わたし。行ったことない場所には行けないし、ヒカルを送ってあげることも出来ない。ヒカルは何かを作るときに、何もイメージせずに作れる?」

「作れないかな。完成形なり、参考とする形なりをイメージしていると思う」

「同じなんだ。わたしたちの力も。出来ると思えないものは、出来ない。起こったことを、なかったことにも出来ない。壊れたものを、壊れる前に戻すことも出来ない。死んだ人を、生き返らせることも出来ない」

 ヒカルはアシェリアの服が縫い合わされるように修復されたことを思い出す。あくまで修復であって、リセットではないのだ。

「そのかわり、実際に起きることなら、少し形を変えて起こすことができる。実りを早めたり、放たれた矢を必ず当てたり、身体を治すようなことは出来る」

「つまり、未知の災いをなかったようにすることは……」

「出来ない」

 アシェリアはきっぱりと言った

「それはどの神でも同じなの?」

「それぞれの神によって認識に多少差はああると思うけど、基本的には同じ。みんな元は人だったから。わたしたちは人だった頃の認識に大きく縛られている」

 でも、と続ける。

「天の神なら、奇跡のようなことが出来る」

 アシェリアたちは地上の神だという。イシュタルでの概念を訳すと『地の神』といった言葉になる。

 対して、天にも神がいるとされている。『天の神』という存在だ。

 天の神は地の神より遥かに強力な力を持つ。地の神では不可能な奇跡的な力、人を神にしたり、天地を創造するようなことが出来る。

 創造の二柱のほか、雷の神、豊穣の神、時間の神、死の神などがいるとされている、とアシェリアは言った。

「いるとされている?」

「そういった有名な神に会ったことないんだよね。わたし。ずいぶん長く生きてるけど、天の神に会ったことあるのは二回だけ。それも取るに足らない、小さな力しか持たない神だったよ。ほんの小さな奇跡を起こしただけで消えてしまった。正確に言えば、消えたかどうかはわからない。元々、天の神は肉体を持たない概念のような存在だから。わたしは、ほとんどの天の神は、人が作り出した幻想だと思ってるよ」

 随分ドライな思考だなとヒカルは思った。

 アシェリアは、ときに自らを神とも人とも言うが、その思考は神ゆえのものだろう。神ゆえに彼女は神を必要としていないのだ。

「創造の神が、いまだに生きてるって可能性はあるのかな?」

「ないと思う。世界を創造するなんて、とんでもない力を使ったわけだから、多分もう二柱は消えてしまっている」

「そっか。残念。創造の神に頼めば、二つの世界の繋がりを断てるかと思ったんだけど」

 ふと、疑問が浮かぶ。

「なぜ、彼らは自らを犠牲にして世界を作ったんだろう。しかも将来の災いのリスクがあるのに、わざわざ二つも。二人で一つの世界を作っていれば、消えずに済んだかもしれないのに」

 アシェリアはさあ、と首を傾げた。

「なにか、身を滅ぼしてでも守りたいものでもあったんじゃない。人って、そういうものだから」

 先頭の男が足を止める。森の言葉で、ここでヒカルを拾ったと言っている。ボグワートの言葉で詳しい説明が始まる。

「ここにうつ伏せで倒れていたんだって」

 アシェリアが通訳してくれる。

「最初は死んだように見えた。よく見たらかすかに生きていた。イラハンナに見えたが、変な服を着ていたので殺さなかった」

 さらっと怖いことを言う。

「はじめてのことだったので、森の守り神、あ、これ、わたしのことね、森の守り神に伺いを立てた。連れてこいと言われたのでボグワートに連れて帰った」

 あたりを見回す。

 なんの変哲もない森だ。百メートル離れた場所と入れ替わっても、ヒカルには区別が付きそうにない。

 よくあるように空中に穴でも空いていて、あっさり地球に帰れるかと思ったが、そんなに甘くはないようだ。

 男たちは警察の遺留品捜査のように、槍で下草をかき分けている。巫女たちもしゃがみこむが、すぐに野イチゴ狩りに夢中になった。

 アシェリアは宙に浮かぶ。

 ヒカルは十和田湖畔でのことを思い出していた。あのとき何があった?

 深い霧。向かい風。

 男たちの一人が声をあげる。何かを拾い上げると、捧げるように空中のアシェリアに手をあげる。

 ヒカルや巫女たちも駆け寄る。

 硬貨だ。丸く小さい。空中に掲げられたそれは、木漏れ日の中でまだ黄色い真鍮の輝きを保っていた。

 丸く空いた穴。日本の5円硬貨だった。地球が、ぐっと近づいた気がした。


「ヒカル、ヒカル」

 アシェリアの声に我に返る。

 いつの間にか涙を流していた。

「大丈夫?」

 アシェリアが顔を覗き込んでいる。

 彼女からはいつも、ほんのりとバラの香りがする。ヒカルは涙を拭って、大丈夫、と言った。

「地球のもので間違いないんだね」

「間違いない」

「すごく精巧だね。材質は……こちらではハミタルと呼ばれるものかな」

 ボグワートに金属があまり無いせいで、アシェリアは金属についての語彙はあまりない。

「僕らは真鍮と呼んでいる。銅と亜鉛という金属を混ぜて作る」

「ヒカルが落としたもの?」

「違うと思う。財布はしっかり持っていたし。小銭をポケットに入れたりもしていない?」

「こぜに?」

「大したことないお金という意味だよ」

 へえ、とアシェリアは感心した声を出した。

「大したものだね。こんなに手がかかっているのに。地球では随分と善政がなされているんだね」

 本来、貨幣とは使われている貴金属の価値と額面の価値が一致するものだ。

 額面より製造コストを下げれば、その差額は領主たちの収入となる。悪辣な領主の場合、わざわざ貴金属の少ない貨幣に鋳直して、遊興や戦争に使ったほどだ。

 昨日の神なんか、好戦的そうだし、絶対改鋳してるよなとヒカルは思う。

 一方、現代では管理通貨制度なので、額面より製造コストの高い貨幣が存在する。

 もしアシェリアが地球に来ることがあったら、貨幣制度の違いをどうやって説明しようかと、つい考えて、そんな日は来ないと思い直す。


 更に一時間ほど探すと、二十枚以上の硬貨が見つかる。

 ほとんどが五円硬貨で、次は十円硬貨だ。

 硬貨は捜索した百メートル四方くらいの中で、まんべんなく見つかった。捜索範囲を広げれば、もっと見つかりそうだ。

 一箇所で発見された数は最大で五枚。ほとんどは、一箇所に一枚づつ落ちていた。

「これらの地球の物資から、推察できることはなに?」

 アシェリアがなんだかテストみたいな言い方をする。

 これほど五円硬貨が集中する場所は、一つしか思いつかない。

 霊場でもある十和田湖の周りに、小さな神社が多かったことを思い浮かべる。湖畔には多くの鳥居が立ち、ちょっとした石の上にも賽銭が置かれていた。

 確かにここは地球と繋がっていたのだ。

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