第12話 人と神の境界線
アシェリアはいつも昼前に、エミルを使いによこしてヒカルを草原に呼んだ。
真ん中の木陰に、彼女がはじめから座っていることもあれば、最初に出会ったときと同じように、無人の草原にいつの間にか現れることもあった。
午睡の時間より少し早い場合、巫女たちが働いていることもあった。彼女らは雑草や枯れた花を摘んだり、隣の果樹園で木々の世話をしていた。
アシェリアの食事も、巫女たちが運んできた。彼女らは銀の皿に果物やパンを載せて、供え物のようにアシェリアの前に置いた。
ボグワートで金属器を見るのはこのときだけだった。
アシェリアに触れることが許されているのも、巫女たちだけだった。アシェリアがそうさせているというより、ボグワート側の決まりのようだ。
ヒカルの指先がアシェリアに触れたとしても、彼女は気にする様子はなかったからだ。
アシェリアの肉体を独占することで、巫女たちは神秘性を保持しているのだ。
巫女たちは、香油でアシェリアの手や足を拭き、髪を櫛った。フェルメールのディアナとニンフたちのような、粛然とした場所がそこにはあった。
アシェリアは、まさに神として遇されていた。
一週間が経つとアシェリアは日本語を完璧に使いこなしていた。
会話を進めるごとに、ヒカルは彼女が人並み外れて豊富な知識を持っていることを知った。天体の運動や潮汐との関係、水循環や、立体の体積の求め方、灌漑やイネ科植物の栽培化の方法、狼煙や鏡の反射を利用した暗号通信、有用な金属の冶金について、彼女ははじめから知っていた。
それは、ボグワートにない農耕や漁労を通じて得られる知識だった。
だからか、アシェリアは実用的な知識より、神話や哲学のような抽象的な概念の話を好んだ。
ヒカルは天の岩戸やエデンの園やアスガルドの話をした。ヒカルはそんなに神話や哲学に詳しいわけではなかったので、話はいつも前置きなく始まったり、尻すぼみに途切れた。
ヒカルはアシェリアの質問、例えばニーチェのいう超人と神はどこが違うのかということにも、うまく答えられなかった。
人を超越し、神に代わって人を導くなら、それはもう神ではないのかとアシェリアは言った。
人と神の境界。考えたこともなかった。
生まれの違いだろうか。神の子は神になり、人の子は人のまま生涯を終える。
「それは違う」とアシェリアは言った。「わたしもかつて、人だった」
ヒカルは驚く。だが、そのほうが可能性は高い。彼女がいわゆる超能力者である可能性だ。
人は容易に神を作り出す。自らが神と信じる概念と一致した現象が起きたとき、実在の人すら神と崇める。
メラネシアでは、元々あった海の向こうから神が来て豊穣をもたらすという信仰と、白人がもたらした大量の物質が結びつき、カーゴ・カルトという宗教が生まれた。
そこでは米兵を模したジョン・フラムやイギリスのエリザベス女王の王配フィリップが神として崇拝されている。アシェリアも同じような神かもしれない。
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