第11話 再現性があるならば
そのあと、ヒカルはボグワートの人々に揉みくちゃにされた。彼らは何らかの恩恵に与れることを確信しているように、ヒカルに触れたがった。
喧騒の中で、ヒカルはアシェリアのことを考えていた。彼女は宙に浮いていた。たしかにあのとき、彼女は万有引力の法則の外にあった。
突き詰めていけば、万有引力も、ライオンが首筋を食い破ろうとする剪断応力も、同じく力の作用と言える。彼女にはそれが及ばないのだ。
それは、人が神を僭称するに足る『力』と言えるだろう。
物理や摂理の理解の及ばないものを目にしたとき、科学者の取る態度は一つしかない。再現性の確認だ。繰り返して起こる現象なら、そこには未知の法則があることになる。
その日の午後、ヒカルはアシェリアにもう一度浮いてみせてくれるよう頼んだ。
「いいけど?」
彼女はそう言うと、すーっと浮かび上がった。
まるで透明な最新式のエレベーターに乗っているように、彼女は一定のスピードで上昇し、ぴたりと止まった。
ヒカルは呆然と見上げる。
その時一条の風が、彼女の裾をめくり上げる。
「白い……」
彼女は慌てて裾を抑えた。
頬を紅潮させて、なにか言っている。
イシュタルの言葉だったが、意味はわかる。最低、バカと言っているらしかった。
とても神様には見えなかった。
ボグワートは一種の宗教都市だった。そう考えると全てがしっくりくる。
人口の割に多い聖職者。一見なんの機能も持たない、神殿のような草原。一般の住民には、触れる事の許されない果樹園。豊富な食材は人の往来の賜物だろう。
たしかに、ボグワートにはしばしば訪問者があった。
それは遮光器をかけた長身の男たちと小柄な女性の組み合わせとのこともあれば、肌が鱗のように見える人々のことや、南国の鳥のような派手な色の体毛に全身が覆われた人々のこともあった。
明らかにホモ・サピエンスではない複数の種類の人類に、イシュタル=地球仮説の自信が揺らいだ。
中には外見だけでなく、声帯のつくりすら違う種族もいるらしく、その時は例の手話が主な会話の手段となっていた。
「アウラ・ニカ」
その手話と、対応する音声言語のことをエミルはそう呼んでいた。森の言葉という意味らしかった。わざわざ森のというからには、山や海の言葉もあるのだろうかとヒカルは思った。
彼らは巡礼者だった。彼らは部族ごとの小さな集団で、たいてい朝に訪れた。
交易も兼ねているらしく、到着すると、朝食の広場で布や宝石や装飾品や珍しい食品を広げた。
持ち込まれる宝石は特に人気で、女達が群がった。
巡礼者には、アシェリアが葬ったライオンの牙や、骨で作ったナイフが人気だった。
一度に渡す数を制限しているらしく、巡礼者と老シャーマンが押し問答となることもあった。
まるで限定品のセールだな、とヒカルは思う。
彼らはホモ・サピエンスではなかったが、言語を理解し、交易を行うという現代的行動を身に着けていた。遮光器の複雑な文様も、芸術といえるだろう。
朝食が終わると、老シャーマンの案内で奥の草原へ消えた。明らかに重い病を患った子供が、帰ってくるときには飛び跳ねていたこともある。
それから巡礼者たちは、ボグワートの人々とともに午睡を取り、夜は巫女たちの歓待を受けた。
翌朝、ナンやナッツを手土産に彼らは去った。
明らかに困窮した一団の場合、持参した品が何もなくても、たくさんの食料を持たされていることもあった。
随分と平和な社会だなとヒカルは思った。
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