第3話 王にしては
不思議な気分だった。
王の前で尋問を受けるかと思っていたのに、今は風そよぐ草原を歩いている。
不思議なのはこの草原もだ。草は刈り揃えられ、芝生のように短い。
人の手によって切り広げられたのだろうか?
例えば山火事で森が焼けたら、一時的に草原が出現することもあるだろう。それにしては炭化した樹木もないし、低木の類が全く見当たらない。
人工的に作ったのなら、目的がわからない。もし牧場なら、家畜の姿くらいあってもいいはずだ。
草原を維持するのは、草刈りや施肥といった途方も無い労力がかかる。その割に食用になるものが採れるわけでもなく、負担にしかならない。
ずっと不思議なことだらけだ。彼らは一体何者なのか?
人は人だろうが、知っているどの人種とも違う。
「本当に異世界に来ちゃったのかもな……」
思わずそう呟いたとき、ヒカルはバックパックを背負っていた事を思い出す。
バッグを開いて中身を確かめる。ペットボトル、タオル、財布、車のキー、そしてスマートフォン。
祈るような気持ちで電源ボタンを押す。
何も起こらない。
電池切れか、もしくはどこかで壊れたのかもしれない。
ヒカルはスマートフォンを手にしたまま、肩を落とした。
その真っ黒な画面に、一把の長くて黒い髪がかかる。バラのような芳しい匂いがした。
顔をあげると、一人の少女がヒカルの手元を覗き込んでいた。
ここにいるからには、王? なのか?
深い琥珀色の瞳と目が合ったとき、ヒカルは何かを奪い取られたかのように思わず尻もちをついていた。
少女の顔が少し綻ぶ。
それから彼女は真っ白いワンピースのような服の胸元に手を当てて、よく響く声で名乗った。
その名前は聞き慣れない響きな上に長く、全部は覚えられなかったが、アシェリアという響きだけはわかった。
先程の老人が、祈りの最後に唱えた言葉だった。
愛くるしい、というのがぴったりだった。
身長はヒカルより頭一つ小さい。大きな瞳に、整った鼻と細い顎。
年は中学生か、高校生になったばかりといったところだ(この世界に学校があればの話だが)。
ワンピースのような真っ白な裾の広がった服が、日差しに映えてよく似合っている。ほっそりとしたシルエットの躯幹に、四肢はすらりと長い。
何よりその姿はヒカルのよく知る人類のものだった。人種もアジア系に見えなくもない。安堵が全身に広がる。
ふと、彼女がスマートフォンを持っているのに気づいた。
いつの間に、とヒカルは思う。
彼女自体、一体どこから現れたのだろう。
彼女はスマートフォンまじまじと眺めたり、ヒラヒラと太陽にかざしたりしながら、ヒカルに何かを話しかけた。
言葉の意味はわからなかったが、これが一体何かを聞いているようだった。
「それはスマートフォン。スマホだよ。とっても便利なんだ。時間もわかるし地図も見れるんだよ。何でも調べられるし、買い物もできる」
少女が首をかしげる。
全然使えないじゃないの、というような顔をしていた。
「電源が入んないんだよ。多分電池切れだと思うんだけど……電池ってわかる?」
少女が首を振る。
ヒカルはリチウムイオン電池について簡単に説明する。スマートフォンの中に電池が入っていて、イオン化したリチウムが電池の中で移動することで、充電と放電を繰り返している。
少女がふむふむという感じに頷いた。動きがいちいち可愛いが、理解しているかは不明だ。
少女はスマートフォンをじっと眺めていたが、やがて裏側を人差し指でそっとなぞった。それからヒカルに手渡して、にっこりと微笑む。
ぽかんとしていると、少女は何かを言いながら、ヒカルのスマホをとんとんと叩いた。
電源を入れてみろ、ということらしかった。
半信半疑で電源ボタンを押す。
すぐに画面に光が点った。
「マジかよ……」
思わず呟いていた。
しかしそれはすぐに落胆に変わる。
電波もないし、GPSも拾えない。しかも時計は21時を回っていた。
やっぱり壊れているのだろうか。
突然に少女が叫び声を上げて後ずさる。
待受の動物を指差して何やら呟いている。
「大丈夫」ヒカルは笑った。「これがスマホだよ」
ヒカルはギャラリーを開く。メディアは生きている。
友人や景色の写真に少女は、おお……と驚きの声を上げて喜ぶ。
ヒカルはカメラを立ち上げて、少女に手渡す。画面に映った自分の姿に、少女は歓声を上げた。
その様子にヒカルも思わず笑う。
撮った写真は、バズりそうなほど可愛かった。
少女はもう一度胸に手を当てて、今度はゆっくりと「アシェリア・イシュタルス」と言った。
先程よりも名前が短縮されている。フルネームでなく、略称のようだ。
アシェリア・イシュタルス。ヒカルは心のなかで繰り返した。
少女はヒカルを指差す。
名乗れということらしかった。
ヒカルも胸に手を当てて、「古谷ヒカル」と言った。
少女も腰を下ろすと、もっとなにか話せというように、口元で手を開いたり閉じたりをした。
「いいけど、言葉通じないよなあ……自己紹介でいい?」
ヒカルの言葉に、少女は大丈夫と言いたげに大きく頷いた。
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