この世に別れを告げる貴方へ

葎屋敷

具体的に言うと、8月末くらい


 久豆くず君。これから、貴方に想いの丈をぶつけます。このスピーチ原稿は、貴方に想いを伝える間、私が冷静でいられるように、前もって書いたものです。耳を塞ぐことも今の貴方にはできないでしょうが、一応言っておきます。ちゃんと聴いていてください。

 さて、では本題に移りましょう。いよいよ、今日、貴方はこの世を去りますね。私としては、君との別れが少々惜しいような気がしてきました。なので、ちょっと思い出話でもすることにしましょう。


 久豆君は、私たちとの出会いを覚えていますか? あの時、貴方は彼女に振られた直後でしたね。人気のない公園でブランコに座り、貴方はすすり泣いていました。私は寂しそうなその背中を見つけたと同時に、貴方の肩の上にさくらの花びらがくっ付いていることに気がつきました。私はそれを上から抑えるように、貴方の肩に手をかけたのです。突然他人に触れられて驚く貴方。貴方は私の方を見て、怯えた様子で誰何しました。

 私は貴方が私を知るよりも前に、貴方のことを知っていました。なので、そのことを包み隠さず言いましたね。

 ほら、思い出してください……。あの時のことを……。



 *



 夜桜の美しい公園。そのブランコで一人の男が黄昏れていた。理由は単純。昨晩、彼女に振られたのだ。方向性の違いという、ロックバンドの解散時のような理由をSNSのメッセージで送りつけられてから、男は彼女と連絡が取れないでいた。着信拒否、SNSのアカウント削除、引っ越し。すべてが男の知らない間に行われており、気づいた時にはもう、彼は彼女の痕跡ひとつ見つけられなかった。

 息の仕方も忘れるほど、彼は意気消沈していた。仕事もサボり、彼女と出会った桜の公園で、ゆらゆらとブランコに座るだけ。

 そんな彼を現実に引き戻すべく、その手は彼の肩を叩いた。


「あー、久豆龍之介君だよね?」

「え、は、はい。あの、どちら様で?」

「私ね、こういう者だけんども」


 男に声をかけてきた者は、なぜか男の名前を知っていた。その人物は名刺をスーツの内ポケットから取り出し、男に渡した。


「……『超健全信用保証金融』?」


 名刺には、おそらくその人物の名前と思われる「金森優介かねもりゆうすけ」という文字。そして、彼の務め先であろう会社名があった。

 久豆は改めて、自分に話しかけてきた男の姿を見る。大学のラグビー部に混ざっても違和感がないほど、服の外からもわかる筋肉量。肩幅はがっちりとしていて、二の腕は服がはち切れそうなほど盛り上がっている。少し視線を上に向ければ、サングラスの下、左目を斬ったかのような、大きな縦一線の傷が入ったおっさんがいた。

 おっさんはたばこを左手の指で挟みながら、煙を久豆の顔に吹きかける。煙草の匂いには慣れているつもりの久豆だったが、さすがに至近距離で副流煙を吸うのは望むところではない。彼はわざとらしく咳き込んでみたが、おっさんは久豆の苦痛など見て見ぬふりで、煙草を吸い続ける。

 久豆は思った。


(誰、この恐い人)


 おっさんは久豆の心の内を気にした様子もなく、渡した名刺を指差す。


「それな、俺の名前と会社な。金なくて困っとる人にな、金を貸すんだわ」

「えっと、いわゆる闇金……」

「言葉には気を付けい」


 余計なことを口走った久豆に対し、おっさんこと金森は容赦がなかった。己が吸っていた煙草の火を、久豆の額に押し付けた。


「ぎゃあっ!」

「年上は敬わんとなぁ、おい」


 久豆は煙草の火の熱さに仰け反り、ブランコから落ちる。後頭部で地面を擦り、広げた足はブランコに引っ掛かっただけ。そんな久豆の股間に煙草の煤を落としながら、金森は喋り続ける。


「あんなぁ、お前の元カノなぁ、男と高跳びしたんよ。金持って逃げて」

「うそぉ!?」


 無様に転がるだけだった久豆は、金森の言を聞いて飛び起きる。自分を振ったばかりの女が、すでに新しい男を作り、金を持って逃げる。そのような極悪非道な手段を取ったことが信じられなかった。


「嘘なわけあるか。じゃなきゃ、こうして私ら出会うこともないしのぉ」

「えっと、それで、金森さんは俺に一体なんのようで……」

「んなもん、保証人のあんたに金代わりに払ってもらわんとあかんからなぁ。ほれ、あんたのサイン」


 金森は懐から折りたたまれた一枚の紙を取り出す。彼はそれを丁寧に広げて、久豆へとそれを見せる。その紙は所謂借用書。超健全信用保証金融から元カノがお金を借りるというもの。保証人の欄には久豆の名前。


「ごせん……!? お、俺、こんなの書いた覚えが――」

「でも、お前の字だわなぁ? どうせ、彼女に言われるまま、内容も確認せずにほいほい書いたんだろ、ボケが。いいか? お前も二十歳とっくに超えたいい大人なんだから、定職にもつかず、ふらふらしてないで、大金稼ごう。なぁ?」


 金森は久豆の肩に腕を回し、にっこりと微笑む。冷や汗が滝のように流れ、シャツが背にくっついていることを久豆は自覚していた。彼は引きつらせながらも笑顔を作り、蚊のような小さな声で訊いた。


「あの、ちなみに、大金ってどうやって?」

「安心しぃ。仕事なら、私が紹介したるがな」


 金森は高笑いをしながら、久豆の背を叩く。久豆にとっては、相撲取りに張り手を決められるような感覚であった。



 *



 出会ったあの日、私は君に期待していました。いくら親の期待に背き、大学卒業後ただ遊んでいるだけのボンクラであろうとも、君は若く、特に病気なども持っていなかったからです。よく働いてくれるだろうと。そう思ったので、いくつか仕事をさせました。

 しかし、私の期待は無意味なものでした。君は最低な行動を繰り返す屑野郎だったのです。


 例えば、こんなことがありましたね。

 仕事を始めたばかりの頃、最初は真面目に勤めているかのように見えたのに、数週間後には無断欠勤。捜しに行ってみれば、パチスロを打っている君。



 *



「おいこら、てめぇ! 仕事バックレてなにしてくれとんじゃあ!」

「すみません、すみません! 台が俺を呼んでて!」



 *



 台パンしながらCR機にのめり込んでいる君を見つけた時、普通にイラっとしました。

 他にも、キャバクラのスタッフをさせてみれば、嬢のひとりに言い寄っている君。



 *



「嬢からクレーム出とるんよ。きもい顔で迫って来て、ただきもいって」

「いや、違うんすよ。あっちの方から色目使ってきて」



 *



 童貞の妄想には付き合いきれません。あの時は五発くらい殴ったと思いますが、すっきりはしませんでした。

 さらには、支払い日当日に振込がないため、なにかあったのかと捜してみれば、案の定競馬で金をつぎ込んで、手持ちを零にしている君。



 *



「おお? やってくれたなぁ、久豆野郎がよぉ……」

「いや、手持ち倍にして返そうと思って! あ、この後銀行レースあるんで、金借りていいっすか!?」



 *



 このように、お前は私の情けに金を返すどころか、追加で金を借りる始末。いい加減、私の我慢も限界でした。根性焼きでもしなければ、気が済まないとさえ思いました。

 そこで、君を拉致したのですが、君を拷問しようと道具を揃えていたところで、ひとつ思い浮かびました。

 そうだ。そもそも、この久豆に金を稼がせようとすることが無茶だった。なにせ、久豆という男は辛いこと、面倒なことから楽に見える方へ、すぐに逃げてしまうのだから。

 そこで、私は考えました。強制的にお前から金をとる方法を。


 では、久豆さん。今までありがとうございました。来世では、もう少し真人間になってくれることを願います。



 *



「――以上、金森優介。いやぁ、読んでる途中に何発が殴っちまって悪かったのぉ! イライラしててなぁ。でも、そういう気持ち、久豆にもわかるよなぁ? お前も、パチの時は結構台パンしてたもんなぁ?」

「あの、これから僕、ちゃんと働くんで! マジで! マジで!」


 久豆は椅子に両手両足を縛られたまま、金森に謝罪を繰り返す。しかし、金森は返事をしない。ただ、拷問道具を机の上に並べている。久豆の命乞いは、地下室中で響いて、声の主へと跳ね返るだけだ。

 しばらくすると、久豆の命乞いを鬱陶しく思ったのか、金森は声を被せるように歌を口ずさみ始めた。


「心臓は三千五百万~。両手両足二十万~」

「物騒な歌、歌わないで!? 俺、実は持病があって、臓器とか売れないと思うというか――」

「この世との別れ~。計三十五億~」

「わかりました、わかりました! なんでもします! 死ぬ以外ならなんでもします! 本当に! なんでもしますんで!」


 それは魂の叫びだった。このままでは死ぬ。その危機感が、久豆を覚醒させたと言ってもいい。その気迫が伝わったのだろう。金森の耳がピクリと動いた。


「なんでもするか」

「はい、なんでもします! 本当に、死ぬ気で働きます!」

「お前、元カノがこさえた五千万の他に、自分で俺から借りた四百万あるの、忘れたわけじゃなかろうなぁ?」

「全部お返しします! 死ぬまで働くんで、どうか! どうか!」


 ヘッドバンキングの真似事とも思えるほど、久豆は首を激しく上下させた。その様子を見た金森はため息を吐き、携帯を出す。そして、どこかへ一本で、電話をかけ始めた。薄暗い室内に小さく流れるコール音。相手が電話に出たのと、久豆が唾を呑み込んだのは、ほぼ同時であった。


「――おお、俺だけんども。――そうそう、若いのが入ったんよ。体力だけは無駄にあるわ。――――あ? いや、頭は回らん。普通に阿呆じゃ。こき使ってやり。邪魔になったら、適当に海から捨てとけ。ま、殴れば黙るからの。おう。じゃ、よろしゅう」


 金森は電話を切ると、ゆっくりと久豆の方へと顔を向ける。


 満面の笑みだった。


「久豆。海は好きか?」

「いやぁああああ!」



 *



 金森と久豆が出会ったのは、春の終わり。そして、久豆が俗世に別れを告げる今日は夏の終わり。


「出会いの季節は春。けど、別れの季節は夏やったんやなぁ」


 と、漁船に強制的に乗せられる久豆を肴にコーヒーを飲みながら、金森はしみじみと感じ入るのだった。

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この世に別れを告げる貴方へ 葎屋敷 @Muguraya

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