桜散る、恋心。

羽鳥(眞城白歌)

初恋は、叶わないというけれど。


 私が彼女と出会ったのは、風もきらめく新生活の始まり、入学式の日だった。

 ふわっと癖がある髪はほんのりピンクに色づいた白。形の良い猫の耳としなやかな尻尾は桜色。肌はきめ細かく透き通るような色白で、白いブラウスと薄紅色のロングフレアースカート、お洒落なベレー帽がよく似合っていたのを覚えてる。

 桜のような淡い紅色の目は大きく、でも猫獣人ウェアキャットらしくまなじりはシャープで。

 迂闊うかつにもぼうっと見惚みとれた私に気づき、彼女が屈託なく微笑んだ、その瞬間。

 私は、きっと恋に落ちたのだ。




 魔法技術科を専攻した私は、彼女と様々なことを学び、実践する機会に恵まれた。彼女は真面目で慎ましやかで、しかし自分の好きなものへ傾ける情熱は素晴らしかった。

 猫獣人ウェアキャットの彼女はふんわりした外見によらず、格闘の技能を持っている。だからなのだろうか。

 清楚可憐な彼女にナイフを集める趣味があると聞いたときは、正直度肝を抜かれた。


 私たちは学生なので寮に住み、親からの仕送りや国の援助金でやりくりをしていた。彼女の両親は森の奥地に住んで狩りや採集で生計を立てているらしく、送られる仕送りは微々たるものだ。学業に集中しようと思えばアルバイトをする時間もない。

 それでも、いつ見ても彼女はお洒落で上品な身繕いをしていたし、彼女のナイフコレクションも見る度に種類が増えていた。やりくり上手な彼女を尊敬するとともに、彼女をそこまで魅了する刃物と、それを造る鍛治師かじしに、私も徐々に興味が湧いていた。


 彼女がす鍛治師の店を見てみたいと言ったとき、花が咲きこぼれるように微笑んだ彼女の顔は、一生涯忘れそうにない。私が興味を持ったのは刃物ではなかったのだけれど、彼女は私もナイフの魅力に目覚めたのだと思ったのだろう。

 お洒落な店が立ち並ぶ繁華街ではなく、無骨な工場がひしめく工業区画に、その店はあった。黒獅子工房、というセンスの欠片もない店名と、繊細な金属片を組み上げた芸術的な看板とのギャップは衝撃で、私の中に新たな扉を開いたように思う。


 店主の鍛治師は想像していたよりずっと若く、端正な容貌をしていた。

 鉄を打つだけあって大柄であり、肩や腕の太さが衣服の上からでもよくわかる。男らしい体格に獅子獣人ウェアレオンという貫禄は、まだまだ発展途上な私の体躯たいくとは比べるべくもなく、敗北感と悔しさが胸の内を駆け抜けたのを覚えている。

 しかし、当時の彼女は別に、鍛治師へ恋心を抱いていたわけではなかったように思う。

 桜色の目に乗せた憧れを隠すわけでもなく、たわわな胸にノートを抱きしめ、製法やこだわりを聞き出そうと彼にぐいぐい迫る様子には、恋情独特の恥じらいやためらいが見えなかったからだ。


 彼女が卒業後の就職先に黒獅子工房を選んだのは、ごく自然な成り行きだったろう。

 卒業と同時に寮を出た私たちは、学校が世話したテラスハウスに住んでいたのだけれど、彼女は本当に熱心に工房へ通っていた。恋しい男の元へ通う色気のようなものは一切感じられず、彼女の頭の中は本当に魔法技術のことだけだったが。

 私はこの頃、自分の恋心を彼女に伝えるべきか迷っていたように思う。


 彼女と同じ学生あがりの私では、経済的にも文字通りにも彼女を守ることはできない。私が黒獅子の鍛治師にまさっているところは何一つなく、想いを打ち明けて彼女と今の関係が壊れるのも怖かった。

 しかし、彼女も何やら黒獅子との関係を悩んでいたようで、あれだけ熱心に通っていた工房から不意に遠のき、別の就職先を探し始めていた。私に変な下心がなければ、相談に乗って、もしかしたらこの気持ちを伝えられたのかもしれない。

 臆病な私は彼女と黒獅子の間に何があったか聞くこともできず。

 事件は起きてしまった。


 彼女はその日、朝からごきげんだった。誘いを受けた技術研究所は彼女の理想と合致していたらしく、面接が上手くいけば採用してもらえるかもしれない、と笑顔を咲かせて饒舌じょうぜつに話していた。

 変だとは思ったのだ。今振り返ればあの違和感は、彼女が空元気を隠すため笑っていたからだろう。

 なぜあのとき、直感に従って引き止めなかったのかと、今も後悔している。

 私が勇気を出して踏み込み、事情を聞いて、彼女の心に寄り添っていたなら。あるいは、今とは違う現在があったかもしれないのだから。


 手紙が届いたのは明くる日の昼近く。文字が丁寧で読みやすく、文面も作法にのっとった真面目なものだった。黒獅子から届いたその手紙には、彼女が襲われ黒獅子が助けたこと、黒獅子の自宅で休ませているものの衣服がなく困っているので、調達して欲しいという旨が記されていた。

 目を通したとき私の中で起きた感情の乱れは、言葉で表すことができない。

 私が引き留めていれば、あるいは付き添っていれば。彼女が恐ろしい思いをすることも、他人である男に身体を晒すこともなかったのだ。ひどい後悔に襲われたが、自分を責めている場合でもない。急いで動かなくては、と自分を奮いたたせる。


 卒業のとき交換した想い出ノートで、彼女の身長とスリーサイズは把握している。黒獅子が私に手紙を寄越したということは、彼女の衣服を選ぶのに黒獅子ではなく私を頼ってくれたということだ。

 わずかな優越感が心地よく、そんな自分に辟易へきえきもする。彼女は今も傷つき苦しみ、心細く思っているだろうに。

 雑念を振り払い急いで衣料店へ出向いた。馴染みの店で彼女に似合いそうな白の下着一式と、ミルク色のブラウスを選んだ。ロングスカートを選ぶ段になって、迷う。彼女は、深みのある狩人緑ハンターグリーンや柔らかな孔雀緑ピーコックを選ぶことが多くなっていた。けれど私は、出会いの時に見た薄紅色のほうが好みだし、彼女に似合うと思っている。

 どちらを買うべきか、迷った。

 どちらが彼女に似合うか、というだけでなく。この選択は、私自身の想いを表明する選択でもあったからだ。




 結果として、私の決断は間違っていなかったと言える。

 買い物袋を提げて訪ねた私を黒獅子は出迎え、自宅へと通してくれた。奥の部屋で待っていた彼女が私を見てこぼした涙と、安心しきった顔。深い信頼が表れたその表情は、しかし私が抱き続けていた恋の終わりを決定づけるものだった。

 包みから取り出した深碧色ジャスパーのロングスカートを見たとき、彼女が見せた瞳の揺らぎは、彼女の憧れが恋に変化しつつあることを示していた。黒獅子は、誰よりもそばにいた私が見抜けなかった彼女の危機を察し、駆けつけ、彼女を救い出したのだ。


 結局なにも行動できなかった私では、ライバルにすらなり得ない。傷つく彼女の心を、今さら乱すようなこともしたくなかった。

 彼女が黒獅子を恋しい相手として想うのであれば。

 私は、同性の親友として彼女を応援し、支え、見守ろう。私は今でも彼女を愛していて、彼女の幸せを心から願っているのだから。


 腕を広げて、小柄ながら豊満な彼女の肢体を優しく抱きしめる。同性ならではの役得。警戒心を持たない彼女にこんな下心を隠して触れるのはずるいと思うけど、最後なのだから許して欲しい。

 子猫のように震える彼女のぬくもりと涙を全身で受け止め、おまじないといいわけして彼女の耳と頬に口づけし。

 私は、告げることなく散った初恋を、そっと手放したのだった。


 


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桜散る、恋心。 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

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