落ちしかない男の小噺

砂糖のカタマリ

落ちしかない男の小噺

「……あの」


「あなたですよ、あなた」


「そう、そこのあなた」


「あなたはどうしてこんなところに?」


「…………そうですか、やはりあなたも……」


「私ですか?……あなたと同じような理由ですよ」


「……聞きたいんですか?あなたも物好きな人ですね」


「別にいいですよ。時間も余るほどあるみたいですし」


「けれど、どこから話したらいいものか……始まりはきっとあなたと同じ、あの真っ白な何もない空間ですよ」


「気がついたらあそこにいました。しかも記憶がない状態で、ですよ」


「自分が誰なのか、自分はこんなところで何をしているのか、ここに来る以前は何をしていたのか……」


「あぁ、やっぱりあなたも何も覚えていなかったんですね」


「……お互い、覚えてなかった方が幸福だったかもしれませんね」


「それでも私は必死に思い出そうとしましたよ。あのおかしな空間でね」


「ふと気づくと周りにも人がいるんです。年齢はバラバラでしたが、皆どこか不気味な雰囲気で、顔にも生気がありませんでした」


「彼らからしたら私も同じようなものだったんでしょうが、いかんせん、自分の顔色なんて自分じゃわかりませんから」


「でも私が彼らを不気味に感じたのは顔色だけじゃないんです」


「並んでるんですよ。こうズラーッと一直線に」


「あなたは見たことないでしょう。……まぁ、見ていないほうが余計な希望を持たずに済みますから、私よりよっぽどマシです」


「事態をよく理解できなかった私は、この列がどこに向かっているのかを確認してみました」


「どこに向かっていたかって?遥か遠く、地平線の彼方まで」


「列の終わりは見えそうにありませんでした」


「あの列の先には何があったのか……今じゃ知りようもありませんが」


「え?……はい、私も試しに並んでみましたよ。そこにいてもやることがありませんから」


「始めは特に何も考えずに、ただボーッと、流れに身を任せていたんですが、やがて怖くなりましてね」


「このまま進めば、自分がどうにかなってしまいそうで……」


「ちょうどそんな時ですよ、あの女に声をかけられたのは」


「黒いスーツを身に纏い、ニコニコと気味悪いほど明るい笑顔を浮かべたその女は、列に並んでいた私の肩を叩いて、私の名前を呼びました」


「おかしいですよね?自分が誰なのかすら覚えていないのに、なぜか呼ばれた名前が私のだとハッキリわかるんです」


「…………えぇ、そりゃあ不思議に思いましたよ。だから聞きました」


「あなたは誰で、ここはどこで、私は誰なのか、なぜ私の名前を知っているのか」


『あなたはここにいるべきではありません』


「女は笑顔を崩さないまま私に言いました」


「何のことかまったく意味がわかりませんでしたが、女の話し方には妙に説得力がありました」


「私は女に連れられ、列から外れて歩きはじめした」


「道中も私は様々な質問を女に投げかけましたよ」


「そうすると、女はここが死後の世界だと言うんです」


「もちろんとても驚きました。でもそれと同時に女の言うことを嘘だとは思えませんでした」


「ここが死後の世界というのは周りの異常さを見れば何となく飲み込めるものがありましたから」


「そうやって女の話を聞くうちに、私はこの人とはどこかで会ったことがあるような気すらしてきました」


「……そんなのただの気のせいだって、自分でもわかってますよ」


「だけど記憶がない私にとって、自分のことを知っている人間というのはとても貴重な存在でした」


「自分という存在が確かに誰かに認められている」


「その事実は私の心に深い安心感をもたらしました」


「私の妄想はどんどん加速していきました」


「ここが死後の世界なら、私は生前にこの人と出会い、そして何らかの友好を深めたのではないだろうか」


「友人?家族?はたまた恋人かもしれない」


「もしや彼女は私をここから出してくれるのでは?そう思った私は半ば興奮気味で彼女を問い詰めました」


「しかし彼女は笑顔を崩すことなく、私の質問の一切に答えようとはしませんでした」


『ここの規則だから教えられない』


「何を聞いてもそれだけ」


「けれど私に彼女への疑心はまったくありませんでした」


「彼女が言うなら、きっとそうなのだろう」


「笑ってしまうくらい、妄信的だ。狂信的だと言い換えてもいい」


「そうして更に進んでいくうちに、やがて辺りは薄暗くなっていきました」


「まるで日向から日陰に移動していくように、やがて周囲は先程とは真逆の真っ黒な空間になりました」


「光一つ届かないような暗闇……しかし不思議と辺りの様子はわかりました」


「そこにも同じように様々な人たちがいましたが、皆どこか暗い顔をしてるんです」


「まるで何かに疲れてしまったような」


「彼女に彼らのことを聞いてみると、どうやらここにいる人たちは"望んでここに来た人間"だそうで……」


「要するに自ら命を断った人間がここに集まっているということです」


「……例えどんなに辛い状況でも、"命を手放す"なんていう選択肢は絶対にとってはいけない」


「命は大事にしなければならない」


「そんな当たり前のことも忘れてしまったのかと、私は彼らを心の中で軽蔑しました」


「彼らのことを何一つ知らないのに、彼らを生きることから逃げた弱者だと……私はいつから人に説教できるほど偉くなったんでしょうね?」


「辛さや悲しみは、その人自身にしかわからないのに」


「……今思えば他人の私がどうこう言うべきではありませんでした」


「そんな彼らには目もくれず、彼女はどんどん進んでいきます」


「置いていかれないよう、私は彼女の後を追いました」


「歩き続けてどのくらい経ったでしょうか……」


『もうすぐ目的地です』


「彼女は私に確かにそう告げました」


「やっと帰れる……私はそれで頭がいっぱいでした」


「だからですね、周囲が更に暗く、黒くなっていくのにもまったく気付きませんでした」


「周囲に人っ子一人いなくなっているのも、もちろん見落としていましたよ」


「足取りは軽くなり、心も軽くなり、私は彼女に感謝の言葉を告げました」


『これが私の仕事ですから』


「彼女は笑顔で私にハッキリ言いました」


「仕事?私はその表現に少しの違和感を覚えましたが、すぐに気にしないようにしました」


「人は自分に不都合なことからは避けて生きていきたいものです」


「まっ、そんなことだから私は今ここにいるんですけどね」


「そうして遂に彼女の足がピタリと止まりました」


『着きました』


「広がっているのはただの真っ暗闇でした」


「しかもここから先には道がない、正真正銘何もない空間です。一歩前に出ればそのまま闇に落ちていきます」


「私は彼女に何かの間違いじゃないかと問いただしました」


『ここで合ってます』


「彼女の表情が笑顔をから変わることはとうとうありませんでした」


「何も変わらず明るく笑う彼女に、私はそれはもうひどい恐怖を覚えました」


「心臓が慌ただしく跳ね上がり、背中に嫌な感覚が走ったのを今でも覚えてます」


「そして私は…………」


「突き飛ばされました」


「ドンッと女性のものとはとても思えない力で」


「体が空中へ浮き上がる、どこか懐かしい感覚に包まれながら」


「私は暗闇へと落ちていきました」


「落ちる寸前の、彼女の瞳に映る私の顔は誰かに似ていて……」


「あぁ、と私は思いました」


「あの顔は…………彼らと同じ」


「私も、望んでここに来た人間だったのです」


「そうして今も、私はこうして落下しているというわけです」


「……これで私の話は終わりです」


「どうです、満足しました?」


「……そうですか」


「それじゃあ今度はあなたの話を聞かせてください」


「……なぁに、どうせまだまだ落ちますよ」


「もしかしたら一生落ち続けるのかも」


「けどそれも仕方ありませんよね?だって……」


「それが私の望んだことだから」

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落ちしかない男の小噺 砂糖のカタマリ @amatoo0717

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