次に会えるその日まで

紗音。

気付くには遅すぎて……

 ジリリッと鳴り響く目覚ましに、手を伸ばして消す。そして、もう一寝入りしようと私・荒巻あらまき一音かずねは眠りにつくのだ。

 卒業式を間近に控えた私達三年生は、自由登校になった。そうなってからは一度も学校へ行っていない。友人達とは連絡を取るが、遊びには行っていない。学校へ行かなくなった分、バイトを昼と夜でけ持ちするようになったからだ。

 昼間は家の近くにある美容室でバイトをしている。弟の完史かんじのクラスにいるミカちゃんママが美容室を開業しているのだ。ダメ元でお願いしたら、雑用からと採用してくれたのだ。

 夜は今までと同じ焼き鳥屋だ。以前、けいちゃんのお父さんに送ってもらってからはシフト数を増やした。会えるのは月に一、二回程度だ。それでも、一緒に帰れるのが嬉しくて、バイト先の先輩と店長には感謝しかない。


「いち姉⁇」

「んっ⁇」

 完史の声がして、私は声のするほうへ振り返った。幼稚園の制服を着た完史が私をじっと見つめるのだ。

「ようちえん、おくれちゃうよ⁇」

「……へっ⁇」

 私は目覚まし時計をつかむ。時間はもうじき八時半になるところだ。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」


「あのねぇ、何度言えばわかるのかしら⁇」

「すびばぜん……」

 髪だけかして、すっぴんのスウェットで全速力で飛び出したのだ。完史を乗せて全速力で自転車をいだため、梳かした髪もボサボサに逆戻りだ。久しぶりにこんなダッシュしたので、息が苦しい。

 なんとか間に合ったが、こんな登園をする私を園長先生はのがさなかった。玄関に上がって正座をさせられたのだ。またもお説教だ。

「……もう、高校卒業で専門学生になるんでしょ⁇そろそろ、大人らしく子どものお手本にならないかしら⁇」

「はぃ……ごもっともです」

 周りのお母様方に笑われていて、本当に恥ずかしい。園長先生もそろそろ、私を生徒みたいに扱わないでほしいものだ。

 ただ、今日は本当に残念だ。いつもの時間を過ぎてしまったので、もうけいちゃんのお父さんは行ってしまっただろう。そう思うと、悲しくてしょうがない。だが、こんな姿を見られなかっただけマシと思うべきだろうか。


「すみません、遅れました!!」

 玄関に響くこの声に、私は振り返った。汗だくになりながら、けいちゃんをかかえたけいちゃんのお父さんがいた。

 けいちゃんのお父さんはけいちゃんを下ろすと、けいちゃんはうつむいたまま園長先生に頭を下げた。そして、何も言わずに靴を脱いで教室に向かって行った。通り過ぎる瞬間、けいちゃんの顔が見えたのだが、目元が真っ赤にれているように見えた。

「おはようございます、けいちゃんのお父さん。大丈夫ですよ」

 私の時とは打って変わって態度の違う園長先生に、ムッとしつつ私は幼稚園の玄関を出た。

「あっこら!!まだお説教は終わってませんよー!!」

 園長先生の怒る声が聞こえてきたので、私は後ろ向きに手を振りながら、自転車を取りに行った。


「けいちゃんのお父さん!!」

「わっ⁉……完史君のお姉さん。おはようございます」

 驚いた顔をしたけいちゃんのお父さん、そんな顔も今みたいに礼儀正しく挨拶する姿も素敵だ。

「おはようございます。駅まで一緒に行っていいですか⁇」

「はい、もちろん」

 私は自転車を引きながら、けいちゃんのお父さんの隣を歩き始めた。学校へ行かなくなってから、けいちゃんのお父さんを駅までお見送りするのが日課となった。

 最初は完史やけいちゃんの話ばかりだったけど、最近は私の将来の夢や、けいちゃんのお父さんのお仕事のお話を聞くことが増えてきた。

 少しずつだけど、けいちゃんのお父さんについて知ることができて嬉しいのだ。

「あっ、駅に着いたから私はこれで」

「あっはい!!お仕事頑張ってください!!!!」

 私に頭を下げるけいちゃんのお父さんに、私は大きく手を振った。少し恥ずかしそうな顔で小さく手を振るけいちゃんのお父さんは可愛らしくてしょうがない。

「……へへっ」

 一人で笑い始めるなんて変な人でしかないと思っていたけど、本当に嬉しいと人の目なんて気にならなくなるものだ。私はけいちゃんのお父さんの後ろ姿が見えなくなった後、少しして家に帰った。今日は焼き鳥屋のバイトだけだから、夕方のお迎えでまた会えるのだと。


「えっ⁇」

「だーかーら、けいはきょうのおひるでおわかれだったの。おばちゃんがおむかえにきたよ」

 完史からの衝撃的な一言に、私はその場で固まってしまった。

 それじゃあ、これからはけいちゃんのお父さんに会えないのかと。周りに人はいるし、完史に心配かけるなんてとんでもない。私は必死に顔をつくろいながら、完史と手を繋ぎながら歩いて帰った。


 朝、一緒に駅まで行ったときにはそんなこと言っていなかった――


 奥さんとやり直したのだろうか。


 それなら、なぜお別れなのか。


 なぜけいちゃんは真っ赤な目をしていたのだろうか。


 頭の中でグルグルとうず巻きながら、私は歩いた。このままバイトへ行っても真面目に働ける気がしない。混乱しながらも私は家に完史を連れて帰り、その足でトボトボとバイト先へ向かったのだ。


「荒巻……今日はどうしたの⁇」

 気力の無い顔で、裏で箸詰はしづめをしている私を見かねた先輩が声をかけてきたのだ。

「ふへへへっ」

 大丈夫です、何ともありませんと言うことができないくらい、メンタルにキテいるようだ。出会って半年くらいだが、それまでにはぐくんだこの……友情⁇みたいなものがあったはずだ。それなのに、相手からは何も聞かされていないのだ。仲良くなれていたと思っていたのは、私だけだったと言うことだ。

「今日はこれが終わったら帰りな⁇」

「せっ先輩……」

 なぐさめてもらおうと先輩の方を見た瞬間、男性のお客さんが数名店に入ってきたのだ。

「いらっしゃいませー!!」

 先輩がお客さんの方へ行ってしまったのだ。私はため息をついて、また箸詰めをしようとした時だ。一番後ろにけいちゃんのお父さんが居たのだ。

「あああっ!!!!!!」

 私は指差しながら、裏から出てきてしまった。驚いた顔をした周りの男性客が一斉にけいちゃんのお父さんを見た。けいちゃんのお父さんはあせりながら、頭を下げてきた。


「……すみません」

「いえ、こちらこそ……すみません」

 私が頭を下げると、けいちゃんのお父さんも申し訳なさそうに頭を下げてきた。

 あの後、どうやら周りの男性客は、けいちゃんのお父さんの会社の人だったらしい。どんな関係なんだと騒がれて、けいちゃんのお父さんには悪いことをしてしまった。

 けいちゃんのお父さんに後でと言われて、私はそのまま仕事を続けた。そして、けいちゃんのお父さん達が帰る時に合わせて、私も仕事を終えて店を出たのだ。その後、帰り道にある公園のベンチに二人で座っていた。


「あの……けいちゃんのことなんですが」

 私は聞いてはいけない気がしたが、勇気を振り絞って聞いた。けいちゃんのお父さんは苦笑いをしながら答えてくれた。

「妻と別れまして……今日、実家に敬を連れて行くことにしたそうです」

「はっ⁇何それ!!」

 私は大きな声を出してしまった。ハッとして、私は謝った。

「それって、けいちゃんの意思なんですか⁇」

「いえ、子どもには母親が居た方が良いだろうと……」

「何それ⁇子どもの意思は関係ないの⁇」

 私がそう言うと、けいちゃんのお父さんは申し訳なさそうな顔をしながら、俯いてしまった。

 こんな顔をさせたいわけじゃない。こんな言葉しか出てこない私を、心底嫌いになりそうだ。

「けいちゃん……だから目が真っ赤だったんですね」

 そう言うと、けいちゃんのお父さんは身体をピクリと反応させた。けいちゃんはお父さんと離れたくなかった。だけど、大人の都合で離れざるを得なくなった。けいちゃんはとても可哀想だ。


 だけど……


 私はけいちゃんのお父さんの顔をおおうように抱きしめた。

「えっ⁇」

「誰も見てないです。大人だからって、辛いときに泣いちゃいけないことは無いです」

 最初は戸惑っているけいちゃんのお父さんだったが、徐々に小さな泣き声が聞こえてきた。私はギュッと抱きしめながら、背中をポンポンと優しくたたいた。

 けいちゃんのお父さんは子どもと離されて悲しくても、泣くことはできない。なら、誰が彼を慰めてあげられるのだろうか。

 その役目を私がして良かったのかはわからない。でも、この役目は他の人にはやらせたくなかった。


「はぁ……」

「荒巻、またか⁇」

 あれから数日が過ぎた。目を真っ赤にしたけいちゃんのお父さんは、私にお礼を言った。だから私は、お礼なら美容師としてデビューをしたら、一番最初のお客様になってと伝えたのだ。

 そう言ったら、けいちゃんのお父さんは笑ったのだ。胸の奥でまたギュッと締め付けるものを感じた。それが何なのか、けいちゃんのお父さんに会えばわかると思ったが、あれから会うことは無かった。

 ため息をついていると、お店に一人の男性がやってきた。まだお店が始まっていないので、先輩がそれを伝えに言ったが、戻ってきた先輩は私をその人の前に連れ出したのだ。

「荒巻に用だって」

「へっ⁇」

 男性を見ると、この人は……先日、けいちゃんのお父さんと一緒に店へ来た人だ。私は驚いて、頭を下げた。

「えっと……荒巻さんに伝言があって来たんだけど」

「えっ⁇」


 私は真っ暗な自室で、空を見つめていた。

「ありがとう、ごめんなさい……か」

 あの後、男性はけいちゃんのお父さんから私宛の伝言を伝えてくれた。彼は、次の日に海外転勤へ行ってしまったそうだ。

「なんで言ってくれないのさ……」

 目から一滴ひとしずくの涙がほぼれると、その後はぽろぽろとあふれてしまった。まるで、空が泣いているようだ。


 恋なんて知りたくなかった。


 こんな痛いなんて思いもしなかった。


 もし気づいていたら……何か違ったかもしれない。


 でも、もう遅い。私はこの痛みに名前を付けるのが遅過ぎたようだ。もう、彼はいない。


 明日からはまた、いつもの私に戻る。


 だから、今日だけは……このまま……

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次に会えるその日まで 紗音。 @Shaon_Saboh

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