僕たちは相棒だ【KAC20227出会いと別れ】
雪うさこ
僕と悠ちゃん
ここは、どこにでもある小学校の音楽準備室。木製の古びた棚には、所狭しと楽器ケースが並べられていた。僕のからだには、傷がある。からだに傷があるだなんて、嫌だあ、と思うかも知れない。けれども、僕はその傷を見る度に、彼女を思い出し、そして誇らしい気持ちになるんだ。
僕がこの学校に来てから十年が経つ。他の仲間は、それ以前からいる奴も多い。みんな僕同様に傷だらけ。あちこち凹んでいたり、傷がついていたりするんだ。からだの一部が、固まってしまって、思うように動けない奴も多い。それでも僕たちは、この場所が好きで、ここにいられることに誇りを持っているんだ。
「あー。この子は、Aね。こっちは、B。ああ、やばいね。この子はまずい。S。最優先ってことね」
ふくよかな中年女性——顧問の先生が、僕たちのからだを見てくれていた。隣にいた、若い男性の先生は「Sから修理に出しましょう」と言った。S認定をされた奴は、ちょっと自慢気だ。
「羨ましいな。お前」
周囲のやつらが口々に言った。
「仕方ないだろう。健太の奴。乱暴なんだから。この前なんて、床に転がされたかと思ったら、蹴られたんだからな。あいつ~。許さないからな~。修理から帰ってきたら、あっと驚くような音出してみせるぜ」
ホルン5はそう言いながら、男性の先生に抱えられて音楽準備室から出て行った。子ども達が授業を受けている午前中は静かなものだ。放課後のあの騒々しさを思い出すと、なんだかわくわくするような、ほっとしたような、そんな複雑な気持ちになった。
***
放課後。校内が賑やかになる。ほとんどの生徒が下校する時間だ。しかし吹奏楽部の子どもたちは、ランドセルを背負って、続々と音楽準備室に姿を見せた。そんな中、ころりんと太った男の子が、暗い顔をして俯いていた。
「どうした? 健太」
「おれの楽器。ない——」
健太くんの顔は、今にも泣きだしそうだ。トロンボーンの
「ああ、健太の楽器は修理に出した。しばらくは帰ってこないぞ。もっと大切に扱わないからそういうことになるんだ。修理から帰って来るまでは譜読みでもしていなさい」
健太くんは、じっと押し黙って床を見ていた。どんな気持ちなんだろう。楽器がなくなっちゃって、悔しいって気持ちなのかな? それとも、もっと大事にしておけばよかったって後悔しているのかな?
そんなことを考えていると、僕の相棒——六年生の
「遅くなっちゃった。ごめんごめん。さあ、今日も頑張ろうね。トラちゃん」
悠ちゃんは僕のことを「トラちゃん」って呼んでくれる。彼女と相棒になってもう一年が過ぎようとしているんだ。そう……悠ちゃんは、あと一週間もすると卒業するんだって。中学校に行っちゃうんだ。
僕と子どもたちとの友情は一年限定だ。小学校にはトランペットが六本ある。その中でも、一番新しくて、一番高価な僕は、六年生の楽器になる。六年生は、ソロも吹くし、アンサンブルにも出場する。僕は、六年生の子たちの相棒として、毎年、大忙しなんだ。
そう。やっていることは同じだ。いつも同じ。だけど、人が変わる。せっかく、この子と仲良くなったかと思うと、すぐにお別れ。そして、また次の子と相棒になる。それが僕の役割だから——。
トランペットって、吹奏楽では花形楽器なんだ。そのおかげか、トランペットを希望する子は、みんな目立ちたがり屋で、人前に出ても動じない子ばっかり。
ところが悠ちゃんは、この十年間で初めて出会うタイプの子だった。
彼女は引っ込み思案。同級生とも上手く話しができなくて、いつもみんなの後ろをくっついて歩く。五年生の時は、僕の仲間であるトランペット2を吹いていたんだけれど、ちっとも音が出ないって、先生に怒られてばっかりいた。こんな子が、六年生になって大丈夫なのかなって、ずっと心配していた。
案の定、六年生になっても悠ちゃんはちっとも音が出ないんだ。僕が悪いんじゃないかって、随分悩んだものだ。けれども、去年まで相棒だった
「音、ちゃんと出せないなら、真央ちゃんと交代させるわよ!」
顧問の先生の口癖だ。真央ちゃんっていうのは、五年生の女の子。悠ちゃんと違って、音だけはバカでかく出せる子だった。確かに、悠ちゃんは音が小さいけれど、とっても繊細な音を出す。そして、音符を丁寧に拾っていく子だ。真央ちゃんがトップを吹いたら、曲がめちゃくちゃになるってわかっているクセに、先生はそう言って彼女を脅かすんだ。
悠ちゃんは、決して人前で泣かない。みんなの前で先生に叱られたって、「はい」って返事をして、下唇を噛む。僕は彼女が泣いている姿を見たことがなかった。夏までは——。
夏。コンクールの地方予選の前の日のこと。
その日。本番を明日に控えて、顧問の先生たちもピリピリとしていた。悠ちゃんの音が思うように出ないからだ。先生たちは、何人かで集まって、明日のソロをどうするか話し合っているみたいだった。
いつもだったら、じっと座っている悠ちゃんなのに、さすがにその日は落ち着かなかったみたいだ。彼女は、僕をいつも立てるスタンドではなく、椅子の上に置き去りにして席を立った。その瞬間——。僕は、彼女のスカートに引っ掛かって、あっという間に床に落ちた。
「あ——!」
体育館に、僕が落下した音が響く。顧問の先生が慌てて飛んできた。悠ちゃんは今まで見たこともないくらい青ざめていた。先生は、僕を拾い上げると、凹んだ場所を示して、悠ちゃんを叱った。
それからあとの練習も散々だった。悠ちゃんはすっかり自信を無くしたみたいで、余計に音が出なくなった。練習後、片付けをしていた悠ちゃんのところに先生がやってきて言った。
「ソロのところの音が出ないなら、アルトサックスに変更するつもりよ。明日の朝までに、ちゃんとしてきなさい」
小さい声で「はい」と答えた悠ちゃんに、先生は厳しい口調で言った。
「楽器。持ち帰りなさい。納得いくまで吹きなさい。あなたの責任でしょう」
悠ちゃんは、僕を抱えて家に帰った。僕が彼女の家に行ったのは初めてだ。悠ちゃんは、僕を取り出して言った。
「蓮人さんの時は、堂々と鳴らせたのにね。私はダメだ。自信ないよ。みんなの前で吹くなんて。ごめんね。思いっきり鳴らせることができなくて……」
悠ちゃんの声は震えていた。大きな瞳から涙がポロポロと零れていた。
僕は、悠ちゃんが泣いたのを初めて見た。悠ちゃんはじっと気持ちを押し殺して、耐えていたんだなって思った。ああ、僕がもっと悠ちゃんの手助けができたらな。なんて無力なんだろうって思った。もっと、もっと、上手くなりたい。もっと上手く、大きく音が出せたらいいのに。
目元をごしごしとしてから、悠ちゃんは、僕のからだの部品を外して、隅から隅までお手入れをしてくれた。そして、ぴかぴかに磨いてから言った。
「ああ、せっかく綺麗なからだなのに。私が傷をつけちゃったんだね。ごめんね。本当にごめんね。——四年生の時。キミに憧れていたんだ。カッコイイもんね。キラキラ金色に輝いていて、堂々と音を鳴らしているキミに憧れたんだ。私、六年生になったら、絶対にあの楽器が吹きたいって思った。それなのに。ダメだね。傷をつけちゃうだなんて。トランペッター失格だ」
そんなことないよ。僕は知っている。四年生の頃からずっと見てきた。キミは、どんなに怒られても、「へたくそ。吹くな!」って言われても、大きな声で「はい」って返事をして、頑張ってきたじゃないか。ねえ、明日は僕たちコンビの初舞台だよ。僕は嬉しいんだ。悠ちゃんとステージに立てること。本当に嬉しいんだよ。
そばで見ていた二年生の妹ちゃんが僕たちを見て言った。
「お姉ちゃん。カッコイイね。トラちゃんもカッコイイね。ねえ、明日。楽しみにしているよ。二人で頑張ってね!」
悠ちゃんは、はっとしたように言葉を飲み込んでから、それから笑顔を見せた。
「そうだね。私、トップ吹いているんだもの。ソロまで吹くんだよ。明日は、絶対に一緒にいい音出そうね。ねえ。そうでしょう? トラちゃん。うん。そう。トラちゃって呼ぶことに決めた。私の相棒。蓮人さんみたいに鳴らせないかも知れないけど。私。やってみる」
それでこそ、僕の相棒。ねえ、明日は一緒に頑張ろうね。悠ちゃん。僕たちコンビの力を見せつける最初のステージなんだから——。
あれから。僕たちの快進撃は目覚ましかった。学校始まって以来の、特別賞をもらい、全国大会まで駒を進めることが出来た。ステージの上の悠ちゃんは輝いて見えたんだ。
出会いがあれば別れがある。卒業式の日。お別れの日だ。彼女は音楽準備室にやってくると、ケースから僕を取り出した。
「色々お世話になりました。キミのおかげで、トランペットが好きになったよ。本当にありがとう。——ずっと続けようと思っているんだ。中学校でもね。トランペットやるから。ねえ、また遊びに来るから。その時は、吹かせてよ。明日からは、真央ちゃんのこと、助けてあげてね」
わかっているよ。わかっているけれど。お別れは寂しいね。僕は、明日から真央ちゃんの相棒にはなるけれど——きっと悠ちゃんのことは忘れないからね。だから、ねえ、遊びに来てね。待っています。
—了—
僕たちは相棒だ【KAC20227出会いと別れ】 雪うさこ @yuki_usako
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