後日談:お疲れ理々夢さん
真珠さんを依代として顕現した女神イヴリース。
かの女神を撃退した後、私と相良さんは多忙を極めていた。
問題だったのが真珠さんことエルクロノス、彼女の持っていた〝浄化〟の力を拡大した季節外れの雪。
それによって人々の認識が改竄され、一時的に負の感情が麻痺してしまった。
感情が麻痺していたのがごく短い時間とはいえ、それでも確実に影響は残った。
その影響によって生じた混乱を収めるために、私と相良さんは駆けずり回ることになってしまった。
相良さんは各地に散って、この世界に紛れながら潜伏しているネクローシスの幹部と連絡を取り合い、必要な対処を指示する。
その指示が及ばぬ、または対処が難しいところには私が急ぎ派遣されて、対象者に暗示をかけて混乱を収めさせる。
相良さんは次から次へとやってくる現状報告と進捗、その管理を一人で行い、私は東西南北を文字通り飛び回る。
そんな日々が続いて、あともう少しで事態の収束が見えてくると思った時のことだった。
「陛下、報告に上がりました」
「……はい?」
「……あっ」
思わずうっかり相良さんを昔の呼び方で呼んでしまった。
かつては偉大な女王として君臨していた凛々しい相良さんも、今となっては冷えピタを額に張って、目の下にクマを作りながら栄養ドリンクの山を築き上げていた。
昔と今の姿がまったく重なっていないのに、この忙しさがかつての空気を思い出させてしまったんだろうか。軽い頭痛を感じてしまい、思わず目元に指を添える。
「理々夢ちゃん。貴方、今から丸一日休みを取りなさい」
「え?」
「大凡、事態の収束は図れたわ。急を要する案件はないと見てもいいでしょう。後は私が各地に連絡して纏めておくわ」
「ですが……」
「良いから休む! ……疲れすぎて、私も昔を思い出してしまいそうなの。これは絶対にまともな状態じゃないわ。だから休むの、はい! 今から休み!」
パンパンと相良さんは手を叩いた後、素早くパソコンのキーボードを叩いてメールを送っているようだった。
それが終わるとパソコンの電源を切り、そのまま後ろに倒れるように腕を広げた。
相良さんの作業の手が止まったのを見計らって、すっかりメイドとして板が付いてしまった瑪衣さんがリビングに入ってくる。
「失礼致します、ご主人様」
「あー……うー……ありがとー……」
テキパキと冷えピタを変えたり、クッションを頭の下に敷いたり、アイマスクを相良さんにつけていく瑪衣さん。
相良さんはすっかりとリラックスモードに入って、返事がおざなりになってしまっている。そんな姿に瑪衣さんは満足そうだ。
(……相良さんがこんなんですし、私も休みますか)
そう思いながら、私は新しく住むことになった隣の部屋へと向かう。
部屋の中へと入ると、ふわりと良い香りが鼻を擽った。
「あ、お帰り。今日は早かったね、理々夢」
リビングに入るとエプロンをつけた御嘉が柔らかく微笑んでくれた。
休みを貰ったせいか、疲労感のせいか、その顔をなんとなくぼんやりと眺めてしまう。
そういえば最近は忙しさにかまけて、御嘉とちゃんと話した記憶がない。
ただ、御嘉が家事を引き受けてくれたことだけは辛うじて認識出来ていた。改めて自分の認識が危ういものになっていることに気付くと疲れが押し寄せてきた。
「今日もお疲れだね」
すると御嘉が苦笑しながら私の頬を撫でてくれた。
触れてくれる指の温もりが何故か鮮明にすら感じる。
「ご飯、少し早いけれど食べちゃう? それともお風呂にする?」
それは何気ない質問。御嘉だって普通に確認するために聞いただけだと思う。
だけど、疲れた私の頭はその台詞を言葉通り以上の意味で受け取ってしまった。
私は御嘉へと手を伸ばして、彼女に寄りかかるようにして抱き締める。
「わっ、なに? どうしたの?」
「御嘉、結婚しましょうか……」
「は?」
軽い驚きと、呆れたような声。それが耳元で聞こえる。それがなんだかおかしくて、同時に愛おしくて御嘉を強く抱き締めてしまう。
抗議するように御嘉が背中を叩いてくるけれど、これ以上動くのも億劫になって御嘉を抱き締め続けてしまう。
「ちょ、ちょっと理々夢! 何言ってるの?」
「結婚してください」
「二回も言わなくていい! あーっ、もう! いいから離して! 疲れてるなら休む!」
「……御嘉がいいです」
「はい?」
「御嘉がいい」
「何が?」
「……さっきの、定番の台詞ですよね?」
御嘉の肩口に埋めていた頭を起こして、彼女の顔を真っ直ぐ見つめる。
御嘉は何のことかと首を捻っていたけれど、何かに気付いたように目を丸くした。
それから顔が一気に真っ赤に染まっていく。その変化がとても可愛らしい。
「やっ、ちがっ! 普通にご飯かお風呂かって聞いただけで、そもそも選択肢に私は入ってない!」
「ダメですか?」
御嘉の台詞を食い気味に問いかけると、御嘉は顔を真っ赤にしたまま視線を彷徨わせ始める。
私は次に御嘉が口を開く前に顔を寄せて、御嘉の唇に口付ける。御嘉が驚いたように身を竦ませて、一瞬私を突き飛ばそうとするかのように力が入るけれど、すぐに身を任せてくれた。
おや、と思っていると、御嘉が恨めしげに涙目で睨んでくる。
「……です、けど」
「はい?」
「別にいいですけど!? わ、私は選択肢に入ってなかったですけど!? り、理々夢がそうしたいならそうすれば!?」
それはまるで、威嚇するように可愛らしく鳴く子猫のようで。
もし御嘉が本当に小猫だったらSNSで大人気になってバズってしまうのだろう。
それは、少し嫌だな。こんな彼女を知っているのは私だけで良い。そもそも御嘉は子猫でもないし、SNSに写真を上げたりもしないけれど。
思考が取り留めなくなっている。ただぼんやりする思考の中、一つの想いが胸を占めていく。
「御嘉、可愛いです」
「にゃっ!?」
「大好きです」
「うぐ……!」
「愛してます」
「うぅ……!」
私の方へと抱き寄せるようにしながら、彼女という存在を堪能する。
きっと幸せの擬人化があるとするなら、御嘉のような人になるのだと思う。
「……け、結局、理々夢はどうしたいの?」
「全部です」
「はい?」
「ご飯も食べて、お風呂も入って、御嘉も貰います。あぁ、一緒にお風呂に入るのは良いですね。背中を流しますよ、今日までのお礼も兼ねて。えぇ、指が鳴ります」
「そこは腕でしょ!? なんで指!?」
「今日から一日休みなので、御嘉もお休みですね」
「お休みする、じゃなくて休みにさせられる気配がするんですけど!? ちょっと、いつも以上に話を聞いてくれない!」
抗議する御嘉を抱き締めながら、私は口元が緩むのが抑えられなかった。
あぁ。私は今、こんなにも幸せだ。幸せだから頑張ろうという気持ちになる。
きっと、これが生を謳歌することなのだと、明日からも頑張ろうと思えた。
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