39:私たちの為の、私たちの物語をここから始めよう
「私は自由だーーーーーーーーッ!」
解放感に満ち溢れた声が響き渡る。その声に山彦が何度か繰り返されるのが聞こえた。
「すぅ……私は自由だッ!?」
「二度目は流石にやかましいですよ、あと恥ずかしいので止めてください」
「り、理々夢ちゃん……! ひ、肘鉄が良い角度で入って……こ、呼吸が……!」
脇腹を抱えてプルプルと震えている相良さんに冷ややかな眼を向けつつ、私はそっと溜め息を吐きながら手に持った日傘をくるりと回した。
「旅行に来てテンションが上がるのは良いですけど、若い子たちが見てるんですから。ちゃんとしてください」
「う、うぅ……保護者役は辛いわね……はぁー、でも良いところだわ。思い切って来て良かったわねぇ」
しみじみとそう呟く相良さん。私たちの視線には絶景というべき光景が広がっていた。
なだらかな丘に敷き詰めるかのように花が咲き乱れている。私たちは丘の上にいて、それを見下ろすことが出来る位置にある。
更に遠くには山が連なっているのが見えていて、大自然の壮大さを直に感じ取ることが出来る。やはり街の中と違って空気も澄んでいるような気がして、相良さんではないけれど大きく息を吸い込んでみたくなる。
「あーーー、解放感が凄い。日々の疲れが癒やされるわぁ……」
「それに関しては本当にお疲れ様でした。あまり恥ずかしい行動をしなければ見逃してあげますから、羽を伸ばしてください」
「理々夢ちゃんだって根回し工作、忙しかったでしょ?」
「相良さん程じゃありませんよ」
「私が忙しくなるのは仕方ないわ。女神の影響の後始末をつけなきゃいけないのは、私たちが負うべき責任だもの」
遠くの景色に視線を向けながら、相良さんはぽつりと呟いた。
女神イヴリースが白久 真珠を依代として顕現したあの事件から時が流れていた。春の半ばだったあの頃から、今はもう春の終わりが差し掛かっている頃だ。
あの日から私たち、ネクローシスは多忙という言葉では片付かない程の忙しい日々を送っていた。
イヴリースの起こした浄化の影響で一般人の感情が一時的に麻痺していた。
その際に社会に残した影響は決して見逃せるものではなく、潜伏しているネクローシスの幹部たちの力も総動員して立ち向かわなければならなかった。
何せ、一時的に負の感情がなくなっていた訳だ。時間にしてわずか数時間程、それでも重要な会議が碌に議論も重ねられずに通ってしまった案件など知ってしまえば放っても置けない。
一度、そんな波紋が広がってしまえば次々と自分たちの契約を見直すべきなどと、企業間での混沌が発生し、社会に影響を与えるところだったのだ。
この影響を最小限に収めるべく、私と相良さんは駆け回った。いや、本当に目が回るような忙しさだった……。
「ご主人様」
「おわっ!? め、瑪衣ちゃんじゃない……驚かせないでよ? というか、今日ぐらいは私服でおめかしすれば良かったのに」
「こちら、新品で新デザインのメイド服ですから」
「そ、そうなんだ……?」
音もなく現れて、そっと相良さんに売店で購入してきたと飲み物を手渡す瑪衣さん。彼女は今日も今日とてメイド服を纏っている。
忙しい相良さんに付き合って、身の回りの世話を献身的にしてくれたのは瑪衣さんだ。おかげで相良さんが辛うじて人間としての体裁を保てているといっても過言ではない。
「瑪衣さん、御嘉たちは?」
「今こちらに来ます。私は一足先に飲み物をご主人様にお届けしたかったので。……あ、来ましたよ」
瑪衣さんがそう言いながら視線を向けた先、そこには両手に飲み物を手にした御嘉とリュコスにつけたリードを持っている文恵ちゃん。
……そして、もう一人。文恵ちゃんと腕を絡ませている少女がいた。
「お待たせ、理々夢、相良さん。はい、これ理々夢の分」
「ありがとうございます。……真珠さんは大丈夫ですか? 文恵さん」
「はい、お気遣いありがとうございます。大丈夫だよね? 真珠」
「…………」
穏やかに文恵さんが微笑みながら、腕を絡ませた少女――真珠さんへと視線を向ける。
文恵さんと腕を絡めた真珠さんは、初見であれば二度見してしまいそうな姿をしていた。
髪の色は真っ白に染まっていて、その紫色の目は虚ろで意志の光がない。文恵さんが腕を絡めながら歩いていなければ、とても一人にはしておけない様子だ。
女神の依代から解放された真珠さんは、あれからもうこんな状態だった。
その姿は変わり果て、自分から喋ることも自発的に動くこともない。意識もあるのかどうかも微妙なところで、現状は起きていても夢を見ているような精神状態だとしか言えなかった。
なんとか起きている間に世話をすれば食事なども取ってくれるものの、とにかく一人では生活もままならないといった状態だ。これでは家に帰すことも出来ないということで、真珠さんのご両親には私が暗示をかけて彼女を預かるということにしたのだ。
なので真珠さんは対外的には突然、才能を見出されて海外留学をしたことになっている。そのついでに文恵さんも預かったので、彼女たちは現在、学校には通っていない。
正直に言って、真珠さんがこれから回復するのかどうかは私にもわからない。
食事は食べてくれるし、こうして付き添えば散歩はしてくれるので生命維持には問題ない。しかし、意識が完全に復活するかもわからないし、記憶などもどうなっているのかもわからない。
それでも文恵さんは自分が真珠さんを支えていくと宣言して、こうして彼女と一緒に過ごす日々を送っている。
今、二人は私たちが住んでいるマンションの隣の部屋へと引っ越してきている。そこで食事などは一緒に食べて、すぐに手助け出来るようにしてある。
「何かあったらすぐに言ってください」
「はい、ありがとうございます。ご主人様」
「……今はいいですけど、人前でその呼称は気をつけてくださいね」
「わかってますよ」
クスクスと、そう笑う文恵さんはとても安定した様子を見せている。
基本的にぼーっとしていることがほとんどな真珠さんだけれど、時折傍にいるのを確かめるように文恵さんを見ていることがある。文恵さんはそれに気付いているのだろうか。
希望はまだ見えない。それでもゼロではない。そして今、少なくとも文恵さんは苦にした様子はないようだ。それなら見守っていくことが私たちに出来ることだろう。
「それじゃあ各々自由時間! 集合時間は守るようにね!」
両手を腰に当てた相良さんがそう宣言すると、文恵さんはリュコスと一緒に真珠さんをエスコートするように花畑が続く道へ向かっていく。
相良さんは瑪衣さんを連れてまた別の道へ。何やら文恵さんたちを指さして話しているところから、相良さんが文恵さんたちの方へ瑪衣さんを行かせようとして失敗しているようだ。あんなべったりなのだから離れる訳がないというのに。
「……こうして穏やかに過ごすのも久しぶりだね」
ふと、御嘉がそっと呟いた。
今日の彼女は麦わら帽子に白いワンピースと、よく映画のワンシーンなどで使われるような服装だった。
その姿がなんだか昔の彼女を思い出してしまいそうで、少し不安になってしまう。思わず伸ばした手が彼女の手に触れる。
「……理々夢?」
「……あの、今度から白を着るのは控えてくれませんか」
私がそう言うと、御嘉はきょとんと目を丸くした。
それからおかしくて堪らないと言ったように笑い出す。その姿に少しだけ私の中に羞恥心が芽生えてしまう。
「笑うことはないじゃないですか……」
「ふふ、ごめんごめん。……私も出来れば遠慮したかったんだけどね。これは相良さんセレクトなので」
「後で〆ておきます」
「私も外してはいないと思うんだけど、理々夢がどうしてもって言うなら今度から控えるね」
触れ合っていた手に指を絡ませるように。私が差していた日傘に二人で収まるようにしながら、私たちはそっと花畑へと続く道を歩き始めた。
「あ、そういえばね」
「はい? 何ですか、急に」
「相良さんがね、忙しすぎるから私に昇進しないかって」
「は? 昇進? あの人は何を言ってるんですかね……」
「えーとね、状況が変わったからネクローシスも再編したいんだって。だから案外、私が本当に次の総帥になる日が近いかも?」
「なんですか、その笑えない冗談は……」
「だって、私は理々夢のパートナーですから。ねぇ? 私たちの女神様? 組織のトップは総帥でも、私たちの理念は理々夢によるものだものね? いっそ、女神様の信徒として布教活動しちゃおうかなぁ」
この人、本当にネクローシスを乗っ取るつもりなのでしょうかね?
相良さんの姿を見ていると、とてもではないけれど総帥を代わりたいとは思えないけれども。
……あんなに忙しくなるなら、御嘉とこうして過ごせる時間が減るかもしれないし。仮に御嘉が総帥になっても相良さんは仕事漬けにしてあげよう。絶対に逃がさない。
「そういえば、忙しいと言えば御嘉の方はどうでしたか? 私たちはそちらにあまり関われませんでしたが……」
「ごめんね、そんなに有力な情報はまだ。ただ、今後もちょっと気を遣っていきたいと思うんだ。ミトラがいなくなった以上、魔法少女たちがどうなっているのかは私も気になってるところだから」
ミトラがいなくなってから、魔法少女の姿はぱったりと見なくなった。
けれど、まったく活動をしていないという訳でもない。まるで私たち、ネクローシスと同じように潜伏活動を行っているようなのだ。
とは言っても、こちらに被害が出ているかというとそういう訳でもない。恐らく、ミトラがいなくなったことでバラバラになりそうだった魔法少女たちを誰かが纏めているのかもしれない。御嘉はそう推測を立てていた。
「魔法少女たちはまだ子供だからね。その力を悪用なんて始めたら目も当てられない。これから魔法少女がどうなるのかわからないけれど、出来ればその道が悪いものにならないようにしてあげたいんだ」
「……私たちが言うのもどうかと思いますけれどね」
「悪人だからね、私たちは」
人が悪い笑みを浮かべながら御嘉はそう言った。けれど、その笑みもすぐに穏やかな表情へと変わる。
「確かに私たちは悪人だ。でも、こうも思うんだ。だからといって道を踏み外さなくて良い子たちまでこっちに来る必要はないってね」
「……御嘉」
「それに私たちは好きにやりたいようにやる。これまでも、これからもね。魔法少女たちを気にするのもちょっとしたついでだよ。人生は少し無駄なことをした方が豊かになるでしょ?」
「前向きでよろしいことかと。私は御嘉が楽しそうならそれが一番ですから」
「あれれ? 女神になることを決意した人がそれで良いの? もっと壮大な使命感とか持たなくていいのかな?」
ニヤニヤと笑みを浮かべて、御嘉がからかうように言いながら私の腕に絡みついてくる。
そんな彼女の顔を見つめた後、不意打ちで流れるように口付けをする。
「私は私のための、そして貴方のための女神ですから。特に信徒は募集してませんよ、勝手に崇めるのは自由ですけれどね」
「……不意打ちは、卑怯」
「えぇ、卑怯で結構。……悪者ですからね?」
ぷく、と頬を膨らませた御嘉。けれど、それもすぐに堪えられなくて声を出して私たちは笑い合う。
「そうだね。私たちは悪者だから……ちょっと人目なんか気にしないでおねだりがしたくなっちゃうかな」
「どうせ、誰も見てませんよ」
そして、私は日傘を肩にかけて御嘉との距離を詰める。
人が来そうな道から私たちの姿を隠して、互いに吸い寄せられるように口付けを交わす。
深く繋がって、そのまま御嘉と溶け合うように。世界に私たち二人しかいなくなったと錯覚してしまいそうな程に。
繋がりの余韻が糸を引くかのように離れながら、潤んだ瞳で見つめ合う。
「――心から愛していますよ、私の堕とした
「――同じ言葉を返すよ、私を抱いてくれた
未来がどうなるのか、それはまだわからない。
女神を否定した私たちは、自らの足で世界を歩んでいかなければならない。
誰も庇護してくれない。誰も責任を取ってくれない。全ての選択と責任は自らに降りかかる。
そして何をどう言い繕うと、気まぐれで善行をしても、私たちの本質は悪に傾いている。
でも、それの何が悪い? そうでもなければ欲しい未来を得られないのだから。世界に合わせるだなんてもう真っ平ご免だ。
まだ欲しいものを全て手には出来ていない。世界も、未来も、幸福も。
あぁ、まだまだ足りない。味わい尽くしていない。だから、これからも欲深く生きよう。
こんなにも欲しいのだと、そんな気持ちを教えてくれた貴方と一緒に。
いつか、こう言えると良いと心の中で祈る。
――貴方を愛したこの人生は素晴らしかった、と。
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