38:日蝕と月蝕、二つの金環、誓いの輪はここに成る

 力が漲り、万能感が心に充足を与える。はらりと降り注いでいた女神の慈悲が私の嘲りによって虚しく燃え尽きていく。

 この光景を見て笑わずにいられるのか。否、そんなのは無理だ。思わず唇を指で撫でながら、僅かに舌を出して唇を湿らせていく。


 幻惑、それは神が築き上げた世界を偽るもの。そして魔法とは意志の力によって霊的世界から干渉して現実を書き換えるもの。

 今までの私では、自分の力を幻としてしか出力することが出来なかった。けれど、神の奇跡に対してだけは例外となる。


「――〝事象反転〟」


 神の奇跡に対して、その奇跡を反転させて無効化キャンセルさせる。

 神の奇跡なくば為し得ず、しかして神の奇跡あればこれを悉く無力に落とす。

 これが神を嘲笑い、その在り方に反逆すると決意した私が得た新しい力だ。


「――――」


 私の妨害に気付いたのか、今までは積極的な攻撃に出なければ相手にもしなかった白久 真珠が私に視線を向けた。

 女神の依代となった彼女は、今まで歌っていた歌とは異なる旋律で歌い上げる。皆を捕まえようと伸びていた手が姿を変え、白い炎を纏わせた剣へと変わった。それが一斉に私へと向かって来る。


「あら、怖い怖い。そんなことしたら怒っちゃいますよ? ――ねぇ、エルシャイン?」

「あはは、まったく怒ってるのはどっちなんだろうね? ――正解はどっちもだけど!!」


 白炎の剣の群れ、それに対するのは黒い炎を纏った杖を振り回しながらエルシャイン。

 彼女は空中で舞い踊りながら杖を槍のように振り回し、または黒い炎を刀身のように伸ばして巨大な剣へと変え、一気に薙ぎ払った。


「そういえば、改めてのご挨拶が遅れましたね? かつての主上にして我が信仰、女神イヴリース」


 私は胸に手を当て、もう片方の手でスカートの端をつまみながら一礼をする。



「ネクローシスのクリスタルナ改め、神を嗤い、貶め、嘲る者――〝クリスタルナ・イクリプス〟、と。どうか地獄の底に落ちるまで、この名を覚えておいてくださいね?」

「じゃあ、ついでに私も名乗ろうか。エルシャイン・ダークネス改め、私の彼女の対として神を恨み、憎み、滅す者――〝エルシャイン・エクリプス〟。貴方を地獄の底に落とす者の名前をよく覚えておいてね!」


 私の隣に浮かび、エルシャインも不敵な笑みを浮かべてこの姿の時の名を告げた。

 この姿は私とエルシャインが心を通わせ、共に堕ちることでしか至れない特殊な形態だ。月と太陽わたしたちが重なることで生まれる二人の〝光を蝕む者Eclipse〟。


「さぁ、女神イヴリース。貴方の栄光を終わらせる覚悟はお済みですか? どれだけ泣こうが、喚こうが、叫ぼうが――塵すら残さずに消し去ってやるつもりですが」

「――――ッ!」


 私の言葉に反発したのか、先程よりも数を増した白炎の剣が展開されていく

 すぐさまエルシャインも迎撃に入るけれど、流石に一人で対処するには数が多すぎる。


「私は、もう以前の私ではありませんよ?」


 私は杖を構えながら、自分の方へと向かってくる白炎の剣と向き直る。

 今、私が使える力は神の起こした奇跡を媒介に呪いをかけて無力化させる〝反転〟。

 そして、もう一つ――。


「――〝転写〟」


 今、私とエルシャインの間には魂の繋がりが存在している。

 その繋がりを辿り、エルシャインを強く想い、その姿を己の魂に焼き付ける。

 月の輝きは日の光の輝き、日の光が反射することで月は輝く。

 元よりこの身は奇跡を起こし、幻惑を統べていた。そして神の理すらも騙る今なら――〝最強である彼女の力だって模倣出来る〟。


「――砕け散れ」


 私が振るった杖、そこから迸った衝撃波が一気に白炎の剣を飲み込んでいく。

 以前の私には逆立ちしても叶わなかった芸当だ。……とはいえ、本家であるエルシャインの七割の力も出せていないけど。油断は禁物だ。



『――ルナァアアアアッ!!』



 ふと、白久 真珠の横に半透明なミトラ――いえ、敢えてイヴリースと呼びましょう。彼女の姿が浮かび上がっていた。

 それは小人の姿ではなく等身大の人と同じ程の大きさとなった、一糸纏わぬ幽霊のような姿だ。その顔は憤怒と悲痛によって歪んでいる。


『貴方は、どうして、こんな仕打ちを私に!』

「自分の胸に手を当てながら考えてみたらどうです?」

『私に刃向かうのはまだ、まだ笑っていられたわ! けれど、これは何!? 神を騙る? 私の力を狙ってねじ曲げるだなんて……! それがどれだけ恐ろしいことかわかっているの!? 貴方は世界を滅ぼしたいの――!?』

「あぁ、それならお相子ですね? ――私の世界だって貴方に滅ぼされたんですから。じゃあ、貴方の世界が滅べば等価交換は成立です! 利子もつけて叩き付けてあげましょう、地獄の底まで落として差し上げますよ!」

『ルナ……貴方……! ルナ……ッ、ルナァアアアアアアアアアアアアアア――ッ!!』

「――ちょっと、さっきから人の恋人の名前を親しげに呼ばないでくれる? 鬱陶しいし、見苦しいのよ!!」


 私に気を取られている間に、いつの間にかエルシャインがイヴリースへと接近していた。

 エルシャインの杖に灯った黒炎の一撃がイヴリースへと叩き込まれる。すると幽霊のように透けた彼女の姿がブレて、絶叫が聞こえた。


『アァアアア――ッ!? エルシャイン……エルシャイン、エルシャインッ! 御嘉、貴方まで、私を裏切ったァ――ッ!!』

「自分が先に裏切ったくせに不貞不貞しい……本当に反吐が出るわね」

『何故、誰も理解してくれないの!? 何故なの!? どうして!? 私は、ただ貴方たちが傷つかないように、ずっと幸せでいられる世界を築き上げたかっただけなのに――!!』


 まるで悲劇に嘆くように、両手を顔で覆いながらイヴリースが叫ぶ。

 しかし、そんな彼女に投げかけられる言葉は冷淡なものだった。


「――それが神としての貴方の限界か。……虚しいですね、女神イヴリース」

『マルクティア……!』


 いつの間にか距離を詰めていたマルクティアが、寂しげにイヴリースを見つめながら呟いた。そのマルクティアの左右には、エルユラナスとエルユピテルがいる。


「改めてこうしてお姿を拝見しましたが……存外、つまらない相手だったのですね」

「貴方なんか女神を名乗るような奴じゃない! いいからさっさと真珠を返してよ!!」


 その二人も、イヴリースそのものには関心がないように言葉を伝える。エルユラナスに至ってはイヴリースが横に実体化しているからなのか、益々無機質な人形のようになっている白久 真珠にしか意識が向いていない。


「女神イヴリース。かつての貴方は我らグランエル王国の民を慈しみ、愛してくださった。そして我々も貴方を敬愛し、貴方が謳う未来を手にするために戦った」

『マルクティア! 私は今も貴方たちを愛しているわ!』



「――我々も、我が国の民も、そしてこの世界の人間も! 全て貴方のために生きている人形ではないッ! 貴方が愛と呼ぶ傲慢、実に許しがたい! さらばだ、我が神よ! 改めて告げさせて頂く! 私たちの未来に、貴方など必要ないッ!!」



 マルクティアが剣を掲げ、決定的な決別の言葉を告げる。

 ぶるぶると全身を震わせるイヴリースを見ながら、私はうっすらと微笑む。


「イヴリース。ネクローシスは私がその組織を結成しました。ただ最初はただ皆を救いたかったから。終わらぬ永劫の牢獄から解放してあげたかったから。でも、今ここまで来て思ったのです。私こそ、本当に彼等を救う救世主だったのかもしれません」

『――ルナ』

「どうぞ、安心してご退場して頂いても結構です。私が神を騙ってあげますから。貴方の代わりに、貴方より本物らしく、貴方より皆が望むままに。――ですから、どうかこのまま塵のように消えてくださいね?」

『――クリスタルナァァアアアアアアアアアアアアア――――ッ!!』


 イヴリースがその顔を醜悪に歪めながら叫んだ。

 あらゆる全てを否定された彼女は、その代わりに承認を得た私を許せないとばかりに睨んでいる。そこに慈しみもなく、愛おしさもなく、ただ燃え盛る炎のような憎悪があった。


『殺す、殺す、殺してあげるわ! 全部、全部、全部! 貴方が変わってしまったせいなのね! なら、貴方を殺し尽くしてしまえば全て元通りだわッ!!』


 そう叫びながら、彼女の周囲に浄化の力を宿した白い光が浮かび上がろうとして――それが形にならないまま消え去っていく。

 何か様子がおかしい。私は〝まだ〟何もしていない。なら、これは……。


『な……? 何が……? 何故、私の力が……!? ま、まさか――!?』


 イヴリースは混乱したまま、自分の隣に浮かぶ白久 真珠を見つめた。

 無機質な人形である彼女は黙して何も語らない。しかし、その目が確かにイヴリースへと向けられていた。


『貴方まで……! 貴方まで、私を否定するの! 貴方まで私をそんな目で見るの!? エルクロノスッ! 真珠……っ、真珠ゥゥゥウ――ッ!!』

「――――」

『止めなさい、止めなさい! 私を止めるのを止めなさい! 貴方だって世界を救いたかったのでしょう! それなのにどうして私の邪魔をするの! 私の言葉が聞けないのッ!?』

「……依代にすら見限られるなんて、無様で見ていられませんね。引導を渡してあげましょう、エルシャイン」

「わかってるよ、クリスタルナ」


 私の呼びかけに応じて、エルシャインが杖を掲げる。その杖に重ねるようにして、私もまた杖を掲げた。

 肩を合わせ、空いた片手を握り合う。互いに鏡合わせのように杖を構えた私たちの視線の先にはイヴリースがいる。


「――光、重なり」

「――闇、来たり」

「月に」

「太陽を」

「ここに誓いを」

「変わらぬ約束を」


 私たちの発した光が混ざり合い、それは黒い極点へと変わっていく。

 全ての光を飲み込む闇。私たちの光を濃縮して生まれた闇は、やがて余剰した力によって光の輪を描き出す。

 ちらりとエルシャインへと視線を向けて、彼女も私に視線を向けていたことに気付く。そして頷いて微笑み合い、更に身を寄せ合うように近づく。



「「――〝私たちは巡り会い、共に生きます〟エンゲージ!!」」

「これが!」

「私たちの!」

「「――貴方への絶縁状ッ!!」」



 臨界点を迎え、これ以上の力は込められない程に練り上げた闇を解き放つ。

 その闇の極点はイヴリースへと真っ直ぐ向かっていき、彼女に触れた瞬間に飲み込むようにして膨れ上がった。

 闇に飲み込まれながら、必死に闇から逃れようと藻掻くイヴリースがずぶずぶと闇の中に沈んでいき、飲み込まれた先から粒子になって散っていく。その粒子すらも闇に吸われ、塵一つ残らない。


 闇は女神の依代となっている白久 真珠からも光を吸い上げているけれど、彼女自身は軽く引き寄せられるだけで飲み込まれていない。

 更には、白久 真珠を押し留めるように左右からエルユラナスとエルユピテルが腕を掴んで闇から引き離そうとしているのが見えた。

 その光景を見て微笑ましい気持ちになりながらも、私たちは改めてイヴリースと向き直る。


『アァァアアアアアアアアアアアアアア――――ッ!! エルシャイン……ッ! クリスタルナ……ッ!! アァ、アァアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!!』

「地獄に堕ちて己の存在意義を問い続けてください。――これからずっと、永遠に」

「それじゃ、さようなら女神様。――貴方がいなくても、私たちは大人になるから」



「「――ご機嫌ようッ!!」」



 断末魔すらも闇に呑み込み、跡形もなく消えていく。

 イヴリースを飲み込んだ闇の極点は、そのまま役目を終えたと言うように消えていった。

 それを見届けてから、私はエルシャインへと視線を向ける。私たちの視線が重なり、互いに額を合わせながら微笑み合う。

 そして、唇と唇が触れたのはそれから間もなくだった。

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