37:汝は神を嗤い、嘲る者なり
――手、手、手。とにかく手だらけだった。
エルシャインの攻撃を受け止めた手に比べれば小さく、私たちの手と同じサイズ。そんな白い光の手が無数に迫ってくる光景はいっそ、不気味としか言いようがなかった。
剣を振るのと同時に黒い光を纏った斬撃を放つも、手の数は減る気配を見せない。
(ホラー映画も真っ青ね。それにしても数が多い!)
クリスタルナを逃がしてから白久 真珠を依代とした女神を討とうと試みているけれど戦況は悪い。
あちらは積極的な攻勢に出ている訳ではなく、近づけばあの無数の白い手で私たちを捕らえようと迫ってくるだけだ。決して殴ったり叩いたりして来ない辺り、女神の性質がよく現れている。
しかし、あの手に捕まってしまえば一気に力が削がれてしまう。だからこちらは捕まる訳にはいかず、進行を阻まれて状況が膠着してしまっている。
更に不味いのが延々と降り続けている浄化の雪だ。これがじわじわとこちらの体力や精神力を磨り減らしてくる。
(ジリ貧ね……!)
クリスタルナちゃんを逃がして良かった。大口を叩いてみたものの、これでは一太刀浴びせることも難しい。
そんな絶望的な状況に歯噛みをしていると、大きな衝撃音と共に空気が震えた。
「邪魔だぁああああああッ!!」
勇ましい声を上げて、手の包囲網を突破したのはエルユラナスだ。
無理矢理こじ開けるようにして白久 真珠の下へと疾走する彼女は無謀の一言だ。けれど、その無謀を通してしまえるだけの気迫が今の彼女にはあった。
「真珠――ッ!!」
あと五歩、それで手が届く距離までエルユラナスが迫る。
すると、初めて白久 真珠が反応を見せた。その視線はエルユラナスへ向けられる。
二人の距離があと三歩というところまで迫った時、一瞬だけ歌が止まった。
――ニ ゲ テ。
歌が止まった一瞬、私は白久 真珠の唇がそう動いたように見えた。
更にエルユラナスが一歩踏み込み、そしてあと一歩、手が届くと思われた瞬間――地面から突き出た手が、エルユラナスの足を捕らえた。
「あ、あぁぁっ、あぁああああああああっ!! 真珠、真珠……ッ、真珠――ッ!!」
足が捕らえられ、そのまま引き摺り込まれるように地面に押さえつけられるエルユラナス。そこに殺到するように手が集まり、彼女を包み込もうとしていく。
女神の力と反発し合った力が稲妻のように迸る中、苦痛に顔を歪めながらエルユラナスはそれでも手を彼女へと伸ばす。
「返せ……! 返してよ……! 真珠を、返してよぉおおお――ッ!!」
泣きじゃくるようにエルユラナスは叫ぶ。
その伸ばした手すらも地面に押さえつけようとする手を、横から飛び込んできた黒い影が斬り裂いていく。
「――エルユピテル!」
エルユラナスを解放するために飛び込んだのか。しかし、それは無茶だ。エルユラナスを押さえ付けていた手を切り捨てられても、既に彼女たちの逃げ場が残っていない。
それは彼女たちにもわかっているのだろう。エルユラナスが息を荒らげながらも、自分を庇うように立っているエルユピテルを睨み付けている。
「ッ、なんで、来たの!? これじゃあ貴方まで……!」
「一つ、勘違いされてるようですが。私、別に貴方のことが嫌いな訳じゃありませんから」
「何、言って――」
「――すいません、身体が勝手に動いたんです。……仕方ないですね?」
エルユピテルの表情は一切動いていない。けれど、肩を竦める姿は心の底から仕方ないと言っているかのようで。
エルユラナスは彼女の言葉を聞いて目を見開き、そして様々な感情が込み上げてきたのか顔をぐしゃぐしゃに歪めてしまった。
「――ッ、馬鹿ッ……! 本当に、馬鹿……!」
そして、二人を囲むように手が迫ろうとする。
二人の下へ辿り着くため、私は全力で駆け抜けていく。剣は今までよりも黒く輝きながら白い手を切り捨てていく。
「やらせるものか……」
このまま彼女たちの道を作って、離脱。
その為には一気に突っ切るための突破力が必要だ。流石の私でも出来るかどうか不安だ。
けれど、この踏み込みを躊躇う理由は――私にはない。
「私の民と騎士に、手を出すなァ――――ッ!!」
暴風が吹き荒れる。私が踏み出す度に振るわれた剣が手を切り飛ばし、白い光が散っていく。
一歩、二歩、三歩――! 二人との距離まであと少し、目の奧に血が集まって世界が狭まっていくような感覚に頭が痛みを訴え出す。
知るものか、私の身体ならただ黙って従え。行け、行け、行け――ッ!!
そして、私は彼女たちを背に庇うようにして迫っていた手を消し飛ばす。
「うそ……凄い……!」
「陛下ッ!」
「――二人とも、走れ! 道を開く! 殿は私だ!」
道を切り開く、そしてまずは二人を離脱させる。目の前に蠢く白い手を纏めて切り飛ばす為、深く吸った呼吸と共に特大の斬撃を衝撃波と共に繰り出す。
私の指示に素直に従った二人が走り出した。これなら包囲網を抜けられるだろう。私もそこに続こうと地を蹴って――。
「――ッ、上!」
「陛下、上ですッ!」
先に離脱した二人が叫んだ。上? と一瞬、疑問が浮かんだけれど、すぐに私は剣を盾にするように掲げて衝撃に備えた。
エルシャインを潰した特大サイズの手、それが空から勢い良く降ってきた。先程までは捕まえる程度の勢いだったけれど、癇癪を起こしたかのように叩き付ける勢いで迫ってくる。
「ぐ、ぁッ!?」
地に足がめり込みそうになる程の衝撃、頭上を抑えながら私を縫い止めようとする巨大な手、女神の力が私の身にへばり付くように這いずり回る。
あぁ、この感覚には覚えがある。人の気力を奪うような、眠りに誘うような悍ましい気配。これこそ女神の気配そのものだ。
こんなものを愛だと言って、こんなものを慈悲だと言って、こんなものを救済だと言って、あの女神は私の民から肉体も、未来も、死さえも奪った――ッ!
「ふ、ざける、なァ――ッ!!」
剣ごと頭上の手を押し返し、返す刃で切り捨てる。
圧力は消え去り、特大な手が光に散ったのを見届けて私は周囲を見つめる。
(……囲まれた、か)
完全に逃げ場がない。先程、二人を囲んだ時よりも念入りに囲まれている。
「陛下ッ! 今、行きます!」
「この、邪魔ァッ!!」
「――戻るなッ! お前たちの為すべきことを忘れるなッ!!」
私を助けようと戻ろうとする二人へ留めるように怒声をぶつける。
びくりと二人が身体を震わせ、足を止める。……そうだ、それで良い。
(……ここまでか。一太刀くらいは浴びせてやりたかったけど、それも叶いそうにない)
なんとも絞まらない終わりだと、思わず笑みが零れてしまった。
格好がつかない大人だ。自分なりに胸を張ってきたつもりだけど、これが限界か。
そう思い、全てを受け入れながら最後まで足掻こうと顔を上げた時だった。
――空が、突然夜になったように翳った。
「……え?」
先程まではまだ夕方、日の光は私たちを照らしていた。
その光が驚く程に弱々しくなっている。白い光の手が更にくっきりと見える程の暗さだ。しかし、何故突然?
そして、私は気付く。ゆっくりと沈もうとしていた地平線に沈もうとしていた太陽――それが、真っ黒に染まっていることに。
(日蝕……? あれは一体――!?)
私が疑問を抱いた、まさにその瞬間だった。
黒く染まった太陽、けれどその外縁にあたる部分が輪のようになって光っている。
その輪の中心――そこからから飛び出すように何かがこちらへと迫ってきた。
「うわッ!?」
それは私の傍を掠めるように通り過ぎていって、一気に無数の手を通り過ぎた勢いのままに引き千切っていく。
いつの間にか包囲網は食い破られ、私の迫る手は一つとして残っていない。それを成し遂げたのは一人の少女だった。
「――少し諦めが早いんじゃないですか? マルクティアさん」
「――エルシャインッ!?」
そう言って不敵に笑うのは、間違いなくエルシャインだった。しかし、最後に見た時からその姿は変わっていた。
以前の魔法少女時代の衣装をそのまま黒く染め上げた衣装に比べると、どこか大人びた雰囲気に見えた。
裾が揺れるほどに長い漆黒のコート。腰や胸にはベルトを巻いて身体のラインをすらりと見せている。
コートの内側に纏うのも衣装も少女の愛らしさを残しつつ、大人へと背伸びするような印象を感じさせた。
その見た目が式典に参加する騎士たちの正装を思わせる姿で、動揺を隠せなかった。
彼女が持っている杖が槍と見間違うようなものへと変わっているのも既視感を覚えてしまった理由の一つだろう。
「その姿は一体……? いや、そもそも何故ここに!? クリスタルナは!?」
「クリスタルナなら、あそこですよ」
この場に似付かわしくないような笑みを浮かべて、エルシャインは空を見上げた。
釣られるように空を見上げて、そういえばと気付く。――先程から降っていた浄化の雪はどうしたのか、と。
「……なんだ、これは……?」
浄化の雪は、今もまだ空から降り注ごうとしていた。
しかし、その浄化の雪がその途中で〝黒い炎〟へと変わっていた。
雪が炎へと変わり、灯っては消えてを繰り返す。その黒い炎を従えるように、空から黒い光の翼を広げた何かが降りて来た。
「……クリスタルナ?」
クリスタルナもその装いを大きく変えていた。頭上に黒い光輪を浮かべ、黒の光翼をその存在を示すように大きく広げていた。
身に纏うのは、かつて彼女が纏っていた神官服にも似ているけれども、色が白ではなく黒である。
スリットが深く入ったロングスカートからは素足が覗いていて、その上からヴェールのように薄らと透けたスカートが広がっている。
胸元も大きく露出して、神官服という清楚の代表たる服を冒涜したような背徳的で蠱惑的な装いだ。そして、その手にはエルシャインの持つ杖と色違いのようにそっくりな杖を持っている。
「〝白よ 黒く染まれ 慈しみの雪に 嘲りの焔を灯せ〟」
クリスタルナが歌うように何かを呟く。それはすっかり慣れ親しんだ日本語ではなく、かつての世界でも習得しているのはごく一部に絞られる古語によるものだ。
それを呪文のように呟けば、空から降り注いでいた雪が次々と燃え尽きていく。すぐ傍を落ちていく焔に手を伸ばしながら、うっとりとクリスタルナは微笑んでいた。
「あぁ……なんて脆く儚いの。――神の慈悲など、所詮はこの程度だったのですね」
それは、もう私の知っているクリスタルナではないと確信出来る一言だった。
不遜なまでに自信に溢れ、神を見下し嘲笑う者。不意に、私は思い出した言葉をそのまま口にしていた
――〝悪魔〟だと。
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