後日談:今、この一瞬ですら触れていたくて
春も過ぎ去り、夏を間もなく迎えそうといった頃。
女神の分霊であるミトラが消滅し、女神イヴリースによる地球への干渉は目に見えて減っていた。
それを機にネクローシスの再編を進めている日々は忙しいけれど、そんな日々の中で私たちはささやかな喜びを噛み締めていた。
「……それ、嘘じゃないよね?」
「はい、本当ですよね?」
御嘉が緊張を滲ませた声で、疑い深く聞いてくる。
それに対して、私は微笑みながら彼女にもう一度伝える。
「おめでとうございます、身長が1cm伸びてますよ」
「やったぁ――ッ!」
御嘉が喜びに満ちた声を上げながら私に抱きついてきた。それを抱き留めながら、私は御嘉の頭を撫でる。
ネクローシスの一員となってから数ヶ月。御嘉の身長が僅かとはいえ伸びていたのは、御嘉を喜ばせるには十分な話題だった。
「本当に本当だよね? 嘘は言ってないよね? 誤魔化したりしてないよね?」
「はい、本当ですよ」
「そっかー……そっかー!」
今にも鼻歌を歌い出しそうな御嘉は、本当に心の底から喜んでいることが伝わってくる。
最古参にして最強の魔法少女だった御嘉、それ故に少女のまま成長を留められていた。この記録はその縛りが解けつつあることを示す証なのだ。
「一年も経てばもっと伸びるかな……?」
「えぇ、きっとすぐに」
「胸も大きくなるかな」
「……人には個人差があるので」
「どうしてそこは目を逸らすのよぉ!」
「いたたたっ、止めてください、御嘉! それは人体の可動範囲を超えていると何度も言ってます! 一応、まだ私は頭脳派のつもりなんですよ!」
「ふーんだっ! いいもんね、これからちゃんと立派な大人として相応しいおっぱいに育てるんだもんっ!」
いーっ! と歯を剥いて威嚇してくる御嘉。何やっても可愛いなぁ、と眺めていると今度は胸を鷲づかみにされた。
「何? 余裕の嘲笑なの? 普段はこんなもの隠してるもんねェ?」
「あの、そんなつもりは一切ないので捻るのは止めてください……! そうです、落ち着いて話し合いましょう……! 私たちは言葉という素晴らしい文化を持っている筈です!」
「悲しいね、それでも人は分かり合えないんだよ……持つ者と持たざる者の壁は高くて厚いんだ……!」
「バッドコミュニケーション……!」
私の胸を人質に取って興奮する犯人と交渉すること数分後、私たちはソファーに並んで座っていた。
御嘉は鼻歌を歌いながらファッション雑誌を眺めていて、私はそんな御嘉を眺めながら時間を過ごしていた。
(二人しかいないと静かなものですね……)
今、私と御嘉が住んでいる部屋は元々私が住んでいた部屋ではなかった。
私が相良さんと住んでいた部屋には、今は瑪衣さんが住んでいる。私たちはその隣の部屋に住まいを移していて、私たちとは逆隣に文恵さんと真珠さんが暮らしている部屋がある。
人数も増えたし、文恵さんと真珠さんが傍に住むことが出来て、私たちがサポート出来るように引っ越しをしたのだ。今では用事がある時や夕食の時は自然と相良さんの部屋に集まるようになっていた。
朝食と昼食に関してはその日によってバラバラなので、今日は午前から夕食の時間まで御嘉と一緒に自分たちの部屋で過ごすと決めていた。
「えへへ、来年にはどれだけ身長が伸びてるかなぁ。着たかった服が似合うようになっているといいなぁ」
「本当に嬉しそうですね、御嘉」
「勿論! だって、ずっと夢だったもの!」
ニコニコと笑いながら御嘉は雑誌を楽しそうに見つめている。でも、その目は真剣な色も見受けられた。
これは本当に身長が伸びた時、買い物が凄い長時間になりそうだと思った。
「理々夢はどれが似合うと思う?」
肩を近づけて、私にもファッション雑誌を見せるように近づけてきながら問いかけてくる。
距離が更に近づくとシャンプーの香りが届いた。それは私が使っているシャンプーと同じ匂いの筈なのに、何故だか別物のように感じる。
そのまま私は御嘉の方に顔を寄せて、耳に吹きかけるように息を吐いた。
「ひゃっ!?」
突然の刺激に驚いたのか、御嘉が身を離そうとしたのを肩を抱いて逃がさない。
そのまま肩を抱いた手を滑らせて、抱え込むように御嘉と密着する。そして御嘉の首筋に顔を埋めるように寄りかかって、首筋に息を吹きかける。
「……もうっ! 急に何なのさ!」
「御嘉は可愛いなぁ、と思いまして」
「むぅ……」
私が可愛いと言えば、御嘉は不満そうに唇を尖らせる。そういった仕草もまた可愛く思えてしまうので、どうしても笑いが込み上げてきてしまう。
そうして私よりも小さな御嘉の身体を抱え込んでいると、ある考えが浮かんできてしまう。
(――このまま御嘉が大きくなっていくとして、私はどうなるんでしょうね……)
私と相良さんはこの身体を手に入れた頃から姿が変わっていない。いずれ御嘉の成長が進んだら私を追い抜く日が来るのだろうか。
女神の呪縛はまだ解けた訳ではない。それは御嘉にも言えることだけれど、私の場合はもっと強力な呪縛に囚われている。
(もし女神の影響を断ち切れなかったら、もし先に御嘉が力尽きるようなことがあれば)
そんな不安を一度、感じてしまうと怖くなってしまう。
誤魔化すように御嘉の腰に手を回して、甘えるように身を寄せる。
「もう、くすぐったいってば……まだ昼だよ?」
仕方ないと言うような表情を浮かべているけれど、その頬に赤みが差している御嘉。
その顔を見ると堪えきれなくなって、首筋に埋めていた顔を上げて御嘉の唇を奪う。
ばさり、と御嘉の持っていたファッション雑誌が虚しく音を立てて落ちる。
御嘉の身体をソファーへと押し倒しながら、彼女の息すら丸ごと飲み込んでやろうとしていると――無粋な着信音が聞こえてきた。
「……理々夢、スマホが鳴ってるよ」
私と唇を離した御嘉が濡れた唇を拭いながら言う。私は渋々と身を起こしてスマホを確認する。
通知から開いてみると、それは相良さんからのメッセージだった。「昼食どうする?」と陽気なスタンプマーク付きでのメッセージに思わずイラッとしてしまったのは、間が悪かったからだろう。
「相良さんから? 昼食のお誘いだね、でも今日は夕食まで二人で過ごすって決めてたよね?」
「……そうですね」
いつの間に起き上がって私のスマホを覗き込んで来る御嘉。
私は返信しようとスマホを操作して、ふと思いついた文章を流れるように入力した。
――今、御嘉を構うのに忙しいので夕食まで呼ばないでください、と。
「なにそれ、私が子供みたいに! あーっ! 本当に送信したー!?」
「これで夕食まで時間が出来ましたね」
私はそう言ってから御嘉の肩に手を置いて、彼女に覆い被さるようにソファーへと押し倒す。
「理々夢、待った。まだ日が高いし、せめてベッド」
「待てません」
「なんでよぉ!」
何でと聞かれても、今の貴方に触れることが出来るのは今しかないから。
少しずつ大人になっていくだろう貴方の全てを、この指に覚えさせておきたい。
触れて、撫でて、いっそ溶け合ってしまえれば良いのにと思いながら貴方に焦がれていたい。
「……ダメですか?」
「……ッ、その顔は狡い……!」
「そうですか。この顔で良かったです、本当に」
頬を朱色に染めて涙目で睨んでくる御嘉にどうしようもない満足感を覚えながら、私は彼女の文句を塞ぐように唇を重ねるのだった。
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