32:信念の黒、信仰の白
「あぁ……もしかしたらこうなるんじゃないかと思ってましたけど、このタイミングで仲間割れしますか……」
私は眼下の光景を見て、思わず溜め息を零してしまう。
困惑して動けないままでいるエルクロノス。そんな彼女を無視して激しく斬り結んでいるエルユラナスとエルユピテルの二人。
とはいっても、一方的に攻めているのがエルユラナスで、それを完全に捌ききっているエルユピテルという構図なのだけれど。
「仕方ないよ、クリスタルナ。それに、もしものために私たちも待ち構えてた訳だし。……それよりも予想外なのはエルクロノスだね」
私の隣に立っているエルシャインは、厳しい表情でエルクロノスを見つめていた。
彼女の言葉に私も同意するように頷く。まさか、エルクロノスが〝アレ〟を発現させられるなんて……。
「ネクローシスはアレを〝ディバイン・セイル〟って呼んでたっけ?」
「はい。魔法の力は魂の力、その源は意志にあります。その意志が極限に研ぎ澄まされた時、魂が一時的に一段階上の存在へと昇格すると考えられています。ディバイン・セイルの発現はその証明でもあります」
「つまり、エルクロノスは魔法少女として私と同格の存在になりつつあるって考えていいのかな?」
「……そう考えて良いかと思います」
これは予想外であり、そして頭の痛い問題だ。
エルシャインがネクローシス側に寝返ったことで、魔法少女たちも活動を萎縮していたというのに。
もしかしたらエルクロノスがその代わりとして立ち上がってしまうかもしれない可能性が出てきた。
「潰しておくなら今だよね」
「……大丈夫ですか?」
現状、今のエルクロノスを相手に出来るのはエルシャインか、もしくは相良さんぐらいだろう。私なんて肉弾戦に持ち込まれたら瞬殺されかねない。
それに先程の現象を見る限り、エルクロノスの浄化は私の幻惑との相性が最悪だ。恐らく全力で無効化されてしまう可能性が高い。
かといって、エルシャインが負けるなんて想像出来ない。この人こそ最強の魔法少女、まだ覚醒したばかりの魔法少女に遅れは取らないと思う。
……そうだとは思っていても、不安を消すことが出来なくてエルシャインに確認を取ってしまうのだけど。
「大丈夫だよ。私たちはパートナー、私の勝利はクリスタルナの勝利。それなら絶対に負けられないから」
そう言ってからエルシャインは私に軽く口付けをしてきた。軽く唇を重ねてから私を安心させるように微笑む。
……ここまでされて私が怖じ気づいている訳にもいかないですね。それにエルユラナスとエルユピテルの仲間割れを止めないといけませんし。
「エルクロノスは私が、あっちの二人は任せたよ」
「はい、行きましょう」
そして私たちは争いの場となっている公園へと飛び降りた。
エルシャインが杖を構えて、エルユラナスとエルユピテルを引き離すように光弾を放つ。
二人とも、すぐさま攻撃を察知して距離を取る。そして二人の間に割り込むように私たちが公園に降り立った。
「ッ、ご主人様――」
「――何をしているのですか? エルユラナス」
私は出来るだけドスが利くように、低い声で彼女に向けて言い放った。
すると先程まで興奮して赤くなっていたエルユラナスの表情が一気に青くなった。ガタガタと震え出して、先程までの勢いが一切見えなくなってしまった。
「……ぁ、だ、だって……エルユピテルが……」
「言い訳は結構です。私の言うことは聞けますね? でなければ……わかっていますね?」
小刻みに震えながらも、エルユラナスは何度もこくこくと頷いた。
暗示は無事に有効なままで一安心する。これが続く限り、この子の手綱は私が握ったままでいられる。
エルユラナスが落ち着くと、エルユピテルも戦うのを止めてこちらへと歩み寄ってきた。
「申し訳ありませんでした、クリスタルナ様」
「忠義は結構。しかし、独断で動いたことは後で詳しく話を聞かせてもらいます。今は黙っていなさい」
「……」
無言で一礼をしてから、エルユピテルは剣を収めて私の側に控えるように立つようになった。
そんなエルユピテルをエルユラナスが複雑そうな表情で睨んでいるけれど、時折私が怖いのかチラチラと視線を向けて顔色を確認してくる。
「エルシャインさん、クリスタルナまで……」
緊張に顔を強張らせながらエルクロノスが構えを取っている。
そんな彼女の前にエルシャインはゆっくりと前に進み出た。
「ディバイン・セイル。私以外の魔法少女では初めて見たよ」
「……ディバイン・セイル? この光輪と翼のことですか?」
「そうだよ。……だから聞いてみたいな、貴方に。それを発現出来るってことは強い意志が貴方にあるということの証明だから」
「え……?」
「貴方は、何故魔法少女になったの?」
エルシャインはとても静かな面持ちでエルクロノスに問いを投げかける。
戸惑ったようにエルシャインを見ていたエルクロノスだったけれど、すぐに意を決したように表情を引き締めて応えた。
「私がこの世界に迫る危機に立ち向かうことが出来る力があると知ったからです。決して、それが全て事実とは言い切れなかったけれど、それでも私は魔法少女を続けたいと思っています」
「それは私たち、ネクローシスを倒すため?」
「今は、違います」
「では、何故?」
淡々と問うエルシャインに、エルクロノスは芯の籠もった声で返事をする。
「この力を持たないと向き合えない人たちが、貴方たちがいるからです」
「向き合って何をしたいの?」
「話を聞きたいです。何かしたいとは思っても、自分に何が出来るのかも知らない身では確かなことは何も言えません。だから、まずは向き合って知りたいと思います」
「知ってどうするの?」
「出来ることがあれば力になります。止めるべきだと思ったことには説得をしたいと思っています。そして、可能であれば争いを止めたい」
「……争いは嫌い?」
エルシャインが声の調子を変えた。それはまるで彼女を労るかのような声で。
声の変化はエルクロノスも感じたのか、痛みを堪えるような表情を浮かべる。
「嫌いです。でも、時には争いを受け止めることも必要だと思ったんです。争うことでしか思いを形に出来ない人がいて、その人の思いを受け止めるためには力がなければ触れ合うことも出来ないから」
「だから貴方は力を捨てたくない、と」
「手放すとしても、今ではありません」
「もし、そこまでしても救いの道がないとしたら?」
今度は厳しく問い詰めるかのようにエルシャインが問いかける。
その問いにエルクロノスは目を閉じて一呼吸を置く。そして、胸に手を当てながら答えた。
「それでも諦めず、道を探します」
「……この世界に救いはあると思うの?」
「世界を信じられなければ、どうして私たちはこの世界で生まれて、苦しみながら生きていかなきゃいけないんでしょうか?」
それは心から苦しげに、それでも切なる祈りを込めるように。
「今は無理でも、いつかはって思えない世界に生まれたなんて残酷な話じゃないですか? 私はこの世界を残酷なものだと諦めたくないんです」
「じゃあ、もしも道があったとして。貴方が一生をかけてもその道が見つからなくても? それも貴方は救いだったと言える?」
「それでも私に続く誰かが道を探してくれると信じますし、私が頑張った結果で後に続く人が道を見つけられるのなら、それで良いと思います」
「……そっか」
たった一言。エルシャインのその一言が、何故か途方もなく重く感じたのは私の気のせいだったんだろうか。
長く吐き出した吐息。再び息を吸い込んだ時、エルシャインの気が膨れ上がっていく。静かに、けれど確実にその存在感を増していく。
「貴方は世界に希望があると信じている。世界は人に救いを与えると思っている。その願いを心から信じて、多くの苦難と向き合うことが出来る。それは、とても素晴らしいことだと思う」
「……エルシャインさん?」
「――でも、その正しい祈りで救われるのに……あと何年待てば良いの?」
射貫くような視線、突き刺すような問いかけ。エルシャインの言葉を、無防備で攻撃を受けたようにエルクロノスが表情を歪めた。
「いつか世界が良くなるものだとして、いつか皆が良い世界に向かえるのだとしても、それは何年かかる? どうすれば皆が一つの目標に向かって生きていける? ネクローシスの皆に救いが訪れるまで、あと何年?」
「……それは」
「救えないんだよ。いつかが来るとして、そのいつかが来るまで救われないんだよ。あと何年待てば救われるなんて、貴方は言えないでしょう?」
「……言えません」
「一年? 十年? それなら待てるかもしれない。じゃあ、百年は? 千年は? 女神に囚われた彼女たちは死ねないんだよ? 私たちが想像も出来ないような途方もない時間を彷徨わせても、貴方は待ってくださいって言える?」
心臓を握られたように胸を押さえながら、エルクロノスは苦しげに表情を歪める。……そして、私も。
確かにそんな言葉では私たちは救われない。いつかを待ってください? なら、そのいつかっていつですか? もし言われたらふざけるな、と怒鳴り返していたかもしれない。
「エルクロノスちゃん。それは貴方が世界を信じているからこそ抱ける透明な願いだ。でもね、人は透明な生き物じゃないんだよ。もっと複雑で、絡み合って、たくさんの色がついているんだ」
「……エルシャインさん」
「全てが救われる。そんなの本当に全知全能の神様でもいないと叶えられない願いだよ。だからね、私は神様じゃないから目の前の大事な人を救うために力を使う。たとえ、それで多くの人から悪だと非難されても構わない。世界に期待するには、私も救われない経験を多く味わってしまったから」
一つ一つ、噛み締めるように言ってからエルシャインはエルクロノスへと手を差し出した。
差し出された手にエルクロノスが目を大きく見開いて、エルシャインを見つめる。
「全てと触れ合って、傷ついてでも受け入れようとして、全部飲み込もうとする必要なんてない。貴方が世界の傷を背負う必要なんてないんだよ。……だから私の手を取って?」
「……それは」
「貴方も自分のために生きるべきだ。ネクローシスはそれを受け入れる。貴方が世界を裏切っても私たちが受け入れてあげるから」
「……私は」
「魔法少女になって夢を見てしまった私たちに今更ただの人のように戻れなんて、本当に苦しいことだと思う。でも貴方が世界のために生きて、もしも消えてしまったら? 貴方という人を思っている人たちがどんな思いをするか考えたことはある?」
その言葉に、小さく肩を震わせたのはエルユラナスだ。彼女は悔しそうに唇を噛み締めながら俯いてしまっていて、その頬には涙が伝っていた。
……その言葉は、本当はきっと貴方自身が届けたかった筈の言葉だろうね。どんなに歪んでも、どんなに傷つけてでも。
でも、届かなかった。力が足りなかったから。力がなければ、思いを通せない。力を持ってしまったから、ただの思いでは覆せない。……これが魔法少女だ。彼女たちの現実なんだ。
二人の問答を聞いて、改めて腑に落ちてしまった。女神はこの子たちを神様みたいな存在にしてしまっていたのだって。
それは聖女と呼ばれて、女神の代理人として振る舞ってきた私と何が違う? 同じなのだとしたら、魔法少女というのは世界のために捧げられる生贄そのものだ。
自己犠牲は世界に許されてしまう、美しく気高くて、尊いとされてしまう残酷な正義だ。突き詰めれば魔法少女に求められるのは、そんな正義なんだ。そんなの何も教えずに与えて良い正義なんかじゃない。
「今ならまだ、私たちの手が届くから」
エルクロノスちゃんは、そっと目を閉じて手を彷徨わせるように持ち上げる。
その手を――彼女は強く握り締めた。そのまま手を胸に当てて、心の底から申し訳なさそうに微笑む。
「――ありがとうございます。でも、ごめんなさい。自分で進むと決めた道ですから」
「……そう」
それは決別の言葉だった。
エルシャインは差し出していた手を下ろして、大きく深呼吸をした。
次の瞬間、エルシャインの頭上に黒い光の光輪が、背中にも黒い光翼が出現した。
エルクロノスと向き合うその姿は黒と白の対称だ。どうしても相容れない二色が向き合っている。
「貴方が嫌いになれない子で、残念だよ」
「私も、好きになれそうな人で残念です」
互いに微笑んで、どうしようもないと言うように笑ってから宣言し合う。
「――大事な人が待っているのよ、邪魔をしないで。邪魔をするなら全力で潰すわ!」
「――全部受け止めます。だからどうか、その怒りのままに何もかも傷つけないで!」
そして――譲れぬ願いを持つ彼女たちは、互いに踏み込んでぶつかり合った。
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