33:絶望を貴方に教えてあげましょう

 私とエルクロノスちゃんの道を分けた違いというのは、きっとそんなに多くはないと思う。よく似ている部分もあれば、まったく似ていない部分もあるのだろう。

 鏡合わせという程には似ていなくて、けれど鏡合わせのように対称の位置にはいる。彼女はそんな近くて遠い他人だ。

 

 その違いの中でも最も大きかったものは明らかだ。

 私は〝誰か〟のために戦っていて、彼女は〝世界〟のために祈っている。

 戦いの中で祈りを抱くようになった私と、祈りの果てに戦わなければならないと悟った彼女と。

 思えば思う程、不思議な相手だと思う。この関係を言葉で表すのは難しい。私には妹がいないから確かではないけれど、彼女への気持ちは妹を見るような気持ちに近いのかもしれない。


「はぁあああ――ッ!」


 大鎌を軽々と振り回しながら接近してくるエルクロノスちゃんを見つめながら、私はそんな思考を過らせる。

 戦っている最中なのに迂闊なことをしていると思う。それでも彼女に感じ入るのが止められなくて思考がよく巡る。


「思い切りは良いけど、甘い」

「くっ!」


 大鎌は巨大な武器だ。それを適切に振るうには感覚だけでなくて頭だって使わなきゃいけない。でなければ武器に振り回されてしまうから。

 私は杖で小回りを利かせながら大鎌の動きを妨害する。そして動きが止まったところで駄目押しの回し蹴りを叩き込む。


「うぅ……っ! まだ……っ! 倒れませんっ!」


 エルクロノスちゃんは顔を苦痛に歪めながらも必死に食らいついてくる。

 エルユラナスちゃんにつけられた傷だって痛むだろうに。それでも彼女の目に宿る意志は力強く、諦める気配が見えない。

 ここまで戦いが長引かせられているのは、彼女を包み込んでいる浄化の力のせいだ。浄化の力によって攻撃の威力がうまく殺されてしまっている為、致命傷に至らない。


(これはまともにやってたらジリ貧になるね……)


 魔法は意志さえ途切れなければ幾らでも使い続けられる。けれど体力にも精神力にも限界というものは存在するから、集中が途切れたらそこまでだ。

 逆に言えば、今のエルクロノスちゃんは精神力だけで私と向き合っていると言っても過言ではない。こうして無我夢中になれるからこそ、この子は常識や理屈を簡単に凌駕してくるだろう。


(私がそうだったからね……)


 思い出すのは、魔法少女としてネクローシスと戦い続けた日々。

 平和を脅かす異世界からの侵略者である彼等から大事な人を守るために戦いに身を投じた。

 最初は素人の戦い方でもなんとかやっていけた。でも、幹部の人たちと戦うようになってそれだけでは勝つことが出来なくて、色々な知識を学んだり、武器の扱いを覚えるようになった。

 そうして戦っている内に私の視野も広がり、ネクローシスの人たちがただの悪人だとは思えなくなって、彼女たちの話を聞きたいと思うようになっていた。


(結局、ちゃんと話を聞くことは出来ないまま壊滅させちゃったんだけどね……)


 それこそディバイン・セイルを身につけたばかりの頃の話で、当時は力加減が難しかったから。

 力に振り回されるまま勝利はしたものの、彼女たちを取り逃がしてしまった訳だ。今となっては取り逃がして良かったと思うけれど。


(……あぁ、やっぱり似てる面が多くて懐かしくなっちゃうんだな)


 私がエルクロノスちゃんだったかもしれないし、エルクロノスちゃんが私だったかもしれない。

 それでも、そんなもしもは存在しない。今は今しかなくて、私たちはそれぞれの選択をして向き合っている。


(感傷だ。これは魔法少女だった名残から来る感傷)


 正しい人になりたくて選んだ道。綺麗な夢を見て、無邪気に報われると信じていた。この頑張った日々を心から誇れる日々が来ると。

 それは叶うことはなかった。現実はどこまでも無情で、世界は簡単な善悪で決まらないことを突きつけられた。


(もし理々夢とあそこで再会していなかったら、私は絶望したまま命を断っていたかもしれない)


 私は理々夢と出会えて、彼女にネクローシスに誘われたから今がある。

 それに彼女たちも終われないという絶望を抱えていた。知ってしまったからこそ、救われた恩の分まで返したい。そして叶うのなら、あの居心地の良い日々がもっと長く続いて欲しい。

 これからの日々は魔法少女としてではなく、ネクローシスの一員として彼女たちと歩むために。私には果たさなければならないことがある。

 浮かび続ける感傷を振り払って、接近してきたエルクロノスちゃんの大鎌の柄を掴んで無理矢理動きを止める。


「エルクロノスちゃん、改めて貴方の意志は立派だと思う」

「しま――ッ!?」

「――でも、貴方が世界を守ると選んだ以上は確実に潰させて貰う」


 私には特にこれといって固有の魔法がある訳じゃない。単純に何をやっても凄い、ただそれだけ。

 やっていることは皆と同じことだから、今まで最強の魔法少女だって言われてもいまいちピンと来ていなかったけれど。

 エルクロノスちゃんのように魔法少女の希望になりかねない子がこれからも現れ続けるかもしれないというのなら――最強として、その希望の全て狩り尽くそう。



「エルクロノスちゃん、貴方は強くなった。――でも、私はそれ以上に強い。それが貴方に与える絶望だよ」



 彼女の武器である大鎌を、そのまま握りつぶして破壊する。

 貴方のその願いがどんなに綺麗であっても、何も悪いことをしていなくても、まだ子供であったとしても、もう関係ない。

 魔法少女として私の敵となるのなら、私だってその心を全てへし折ってでも大事なものを守りぬくから。



「――自分の無力さを噛み締めて、堕ちていって」



 私の渾身の一撃が綺麗に決まって、エルクロノスちゃんが勢い良く吹っ飛んでいく。

 そのまま建物を貫通していき、衝撃で建物が崩れ落ちていく。あれ程の力で叩き付けたんだ、これで倒れて欲しいと願う。


(あの子を堕とすのは難しいだろうな。でも自由にはしておけない。……捕らえて隔離して、後はエルユラナスちゃんにでも監視してもらって――)


 ――そんな風に今後のことを考えていたけれど、何か言いようのない悪寒が走って背筋がゾッとした。

 何か良くない気配を感じた。それが何かわからない。でも、間違いなく悪寒を感じさせた何かがここにいることだけはわかる。


(一体、何がいるの――!?)


 周囲を見渡して気配を探る。

 そして、ようやく探し当てた気配はエルクロノスちゃんが埋まった建物の残骸の中から感じられたものだった。



 ――そして悪寒が最大に高まった瞬間、白い光が私の視界を埋め尽くした。



   * * *



 ――少しの間、意識が飛んでいた。

 身体がどうしようもなく重たくて、頭もぼんやりしている。

 身動ぎをしようにも、自分の身体は瓦礫に埋まっているようで動かせない。


(……あぁ、そっか。エルシャインさんに殴り飛ばされて、私は)


 ディバイン・セイルと呼んでいた光輪と光翼はもう消えていた。それを維持するだけの力がもう残っていないのかもしれない。

 もうここまでだ。身体がそう悲鳴を上げているようだった。実際、心の方も折れかけていたのも事実で。


(……今救えなきゃ意味がない、か。そうだよね。それは何も否定出来ない)


 私は、頑張った人が報われる世界であって欲しいといつも願っている。

 流石にそんな綺麗ごとばかりで済む訳じゃないってことぐらい、私にもわかっている。

 それでも、そうあって欲しかったんだ。そうでなければ、あまりにもこの世界には救いがなさ過ぎる。


(……私の選んだ道は、間違ってはいないと思う。これは受け止めるには必要なことだった。たとえ、こうして負けてしまっても。私は、やるべきことをやった)


 全力で受け止めたからこそ、私には一つの考えが浮かんでいた。

 何も、ネクローシスと戦うばかりが女神の望みを叶える手段ではないと思う。

 必要なのは争うことじゃなくて、その意志を確かめ合うことだから。

 お互いが出来るだけ話し合って、そして一緒に未来を歩んでいけるように。

 だって、女神だって皆を救いたいって思っている筈で。それでも実現出来ていないのは、ただ手段を間違えてしまっただけなんだって。

 だから、私がすべきは話し合いの道を見つけること。それなら、ここで抵抗を止めて彼女たちに捕まるのも一つ手かもしれない。……というより、今の私にはそれぐらいしか選べる手段がないと思う。


(……仕方ない、よね?)


 だって、何の反論も出来なかったんだ。

 私にネクローシスの人たちを救う方法なんて思い付かなくて、それこそ一番簡単な道は女神が諦めることだと思った程だ。

 でも、諦めることが正しいと思うのかと聞かれると、きっとそうじゃないと答えると思う。それじゃあ女神だって報われない。そんなのは悲しいから。


(時間が……足りない。きっと、思いを通じ合わせる時間も、お互いの考えを理解する時間も)


 少なくとも女神はネクローシスへの理解が足りていないと思っている。感覚の違いなのか、目を背けたいのかはわからないけれど。

 だから、もしそこで私が間に入ることが出来れば――。


(……なんてね。そんなの夢物語かな)


 私は、出来るだけ頑張った。今は捕まってしまうかもしれないけれど、説得することだけは諦めないつもりだ。

 戦うのは、流石にこれ以上は無理だ。そう思って、目を閉じて意識を手放そうと思った時だった。



「――間に合ったわ! エルクロノス、遅れてごめんね……!」



 そこにいたのは、今にも泣きそうな顔で私の側までやってきたミトラだった。

 手足がろくに動かないので、ただ目線だけを彼女に向ける。


「ミトラ……今までどこに行ってたの?」

「ごめんなさい……私がもっと早く貴方の下に来れたら、こんなに傷つかなくて済んだのに……」

「ミトラ……?」


 労るように私の頬に触れながら、ミトラがそっと微笑む。

 ……あぁ、決してこの子だって悪意があってネクローシスの人たちを苦しめたかった訳じゃない筈だ。ボタンをかけ間違えてしまったかのようにすれ違ってしまっているんだと思う。

 だから、彼女にもっと歩み寄って欲しい。そして、一緒に答えを探して欲しいんだ。その為になら、私は幾らでも力になると決めたから。そう伝えようと思って――。



「――もう安心して。もう貴方一人で戦わせないから」



 ――ゾッとするような悪寒が、私を襲った。

 ミトラが私の胸元に立っている。彼女が足をつけた場所から私に何かが流れ込んでくるような感覚。

 まるで水を身体に直接注がれているような違和感に、私は恐怖を感じてしまった。


「ミトラ、一体何を……!」

「決めたの。もう貴方一人で戦わせないって。そして思い付いたの、もう皆、魔法少女になってもエルシャインが怖くて戦えなくなってしまったでしょ?」


 心の底から、それが良いことだと信じるように無邪気に笑いながらミトラは告げた。

 ただ笑っているだけの筈なのに悪寒が止まらない。けれど、止める術もなくて私はミトラの言葉を聞くしか出来ない。



「だったら魔法少女の力を、もっと一人に注ぎ込んでしまえば良いって。そうしたら貴方が誰よりも強い魔法少女、いえ――貴方は神になれるわ、エルクロノス」

「神に、なる……?」

「えぇ。魂を全て貴方に繋げてね! でも、それだけ大きな力をコントロールするのは難しいわ。だからね――〝私が貴方になる〟ことで解決させるの」

「ミトラが……私になる……? ちょっと待って、ミトラ……!」



「――さぁ、一緒に世界を救いましょう! 誰も傷つかない、平和な楽園を築くために! これからはずっと一緒よ? エルクロノス。……いいえ、白久 真珠わたし



 ――何かが、私の中に入り込んでくる。

 私の意識が流されていく。渦に飲まれ、流れに逆らえず、海の底へと引き摺り込まれるように。

 意識が溺れて、何も感じられなくなっていく。私じゃない何かが纏めて私の中に入ってくる。それが全部溶けて、境界がなくなって、混ぜられていく。



(――ぁ、これ、私が、溶けちゃう)



 ふと、学校の授業で水に色んなものを溶かす実験をやったのを思い出した。

 今の私もそれだ。私の意識という水に限界まで、別の何かが注ぎ込まれている。

 全てが一体になっていく中で、私という意識の境界が消えていってしまう。

 全ては私で、私は全てに。そこに――白久 真珠の意識が残るだけの余白がない。


(――どこまでも薄くなって、私が、私として、わからなくなっていく)


 私が溶けて、見えなくなって、どこまでも広がっていってしまう。

 叫ぼうと思っても、もう声すらも出なくて。完全に意識が拡散する直前、思い出したのは――誰かの泣き顔だった。



(――文恵ちゃん)



 何か伝えたいことがあった。必ず、どうしても、あの子に。

 もう何も思い出せなくて。ただ、彼女の顔だけ思い浮かべていた。

 そして、それが白久 真珠だった私の最後の思考になった。

 

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