08:太陽と月、重なれば闇が来たる

 夜の空には月が浮かんでいる。いつもよりどこか仄暗くて、不気味な月。

 あぁ、何かがおかしい。今日の夜は何かがおかしい。でも、何がおかしいのかわからない。


 息が上がる。乱れた呼吸は戻らず、小さな悲鳴のような声が漏れ続けている。

 それでも走っている。どうして? どうして私は走っているの?

 わからない。わからないけれど、走らなきゃ。走って、逃げなきゃ。



「――どこへ行くの?」



 耳元に囁かれた声に、全ての思考が真っ白になった。

 身体の動かし方を忘れたように止まってしまって、もつれた足が絡んで派手に転ける。

 痛い筈だった。でも痛みがわからない。痛みを感じる以前の話だ。私の頭はただ一つの思考に塗り潰されていたから。


「やめて……やめて……出して……ここから出して……!」


 今日の夜はおかしい。不気味な夜空、怪しげな月、追いかけてくる何か。

 こんなの普通じゃない。だから逃げ出したい。ここから出して欲しい。悪い夢なら覚めて欲しいのに。


「――可哀想に」


 声が、聞こえる。

 さっき私に囁きかけてきた誰かだ。この空間を支配している誰かだ。ここにいてはいけないと私に警告する何かだ。


「なんて可哀想。怖いねぇ、苦しいねぇ、辛いねぇ、止めちゃいたいねぇ」


 これは怖い何かだ。知ってはいけない、認識してはいけない、理解しちゃいけない存在なのに。


「こんなに震えて、どうしちゃったのかな?」


 背後に、何かがいる。

 私の後ろから耳元で囁く誰か。その声にまた身体が固まってしまう。

 息が引き攣る。視界が涙で滲んでいく。身体が動き方を忘れたように震えている。


「もう抵抗しないの?」

「ひ、ぃ……っ、ぁっ、ゆ、ゆる、し、ゆるして、おねがい、だして、ここから、だして、おねがい、おねがいします、なんでも、なんでもするから……!」

「――残念」


 ゆらりと、背後にいた筈の何かが正面にいた。

 空に浮かぶ月。その月の光を背負うように姿を見せたその人は、その月よりも眩く、けれどそれ以上に不気味な金色。

 黒色の衣装に神々しいまでの金色で飾られているのに、どこか禍々しい紋様が描かれている。そんな両極端の印象が更に私を狂わせていく。

 美しい金髪に赤黒いメッシュが入ったツインテールの少女。私を見下ろす瞳は、まるで灼熱の炎のように赤く私を焼き尽くしてしまいそう。


「あ、あぁ……! あ、あなたは、なんで……なんで、どうして――!」

「――ゲームオーバー。夜遊びをしちゃう魔法少女わるいこには、お仕置きが必要だね?」



「いやぁあああああああああああああああああ――ッ!!」



 ――誰にも、私の悲鳴は届かない。

 私の心はただ、誰も来ない闇の中で真っ黒に塗り潰されていった。

 笑い声が聞こえる。もうずっと忘れることの出来ないような、そんな笑い声が。



   * * *



「――やりすぎです。ダメです。大失敗です」

「えー……」

「……はぁ、無力化と暗示で情報を吐かせることは出来ましたが、これではこちら側に堕とせません。だから再起不能な程に追い詰めないでくださいって言ってるじゃないですか!」


 今、私に叱られてふて腐れているのはエルシャインだ。そのエルシャインの横には壁に背を預けるように座らせた中学生ぐらいの女の子がいる。

 今はぐっすり眠っているけれど、その目元には涙の跡が残っていて痛々しい。


 彼女は先程まで、エルシャインが追いかけ回していた魔法少女だ。

 私がちらつかせた囮に食いついた魔法少女に幻を見せて隔離空間に放り混み、そこで幻と合わせてエルシャインが追い込むことで心を折る……というのが今回の計画だった。

 結果はご覧の通り、見事にやり過ぎた。暗示をかけて記憶に蓋をして、ついでに彼女の本名と住所、それから他の魔法少女の情報を聞き出したので成果はあったけれども。


「最近の魔法少女ってこんなに脆いの……?」

「だ・か・ら! 貴方を基準にしないでくださいって言ってるじゃないですか!」

「はーい、私が悪かったですー、つーん」

「つーん、なんて口で言わないでください……」


 唇を尖らせて不服ですと言わんばかりの態度を取るエルシャイン。そんな彼女に私は溜め息が出てしまう。


「……まさか、こんなにノリノリでやり出すだなんて思わないじゃないですか」

「何か言った? クリスタルナ」

「随分と悪役が似合っていますね、と思っただけですよ」

「ホラー映画を参考にしてみたんだよ!」

「最悪の発想。この私ですらここまでしないのに、まさに外道」


 外道、と言われてもニコニコ笑っているエルシャイン。

 以前の彼女と見比べれば、白かった衣装は真っ黒に染め上げられ、汚れもなかった金色の髪には赤黒いメッシュが所々に入っている。瞳の色は更に赤くなり、炎のようにも血の色のようにも見える。

 これがネクローシスの一員となったエルシャインの姿。ただひたすら真っ直ぐ私たちを見つめていた瞳は、今は遊戯を楽しむ子供のようにキラキラと輝いている。


「良いんだよ、これ位やっても。洗脳しても堕とせないなら、魔法少女として戦えなくしてあげた方がこの子のためだよ。暗示で記憶に蓋はしても、心と体は覚えてるんでしょう? なら、この子が魔法少女として復帰する確率は極めて低くなる」

「……それはそうですが」

「数を減らすのにも、この子が普通の未来を歩むにも、魔法少女の力なんて必要ないんだよ。ネクローシスは世界を支配したいけれど、別に今の秩序を壊したいわけでも、地球を滅ぼしたい訳でもないでしょ?」

「……そうですね」

「だったら共存出来る道は用意しておくべきじゃない? 勿論、それでも邪魔をするなら相応の報いは与えるけれど」


 意識を失った少女の頬を優しく撫でながら、慈悲深く微笑むエルシャイン。

 けれど、その目に温もりはない。ただ淡々と必要なことを取捨選択する裁定者の目だ。


「このまま魔法少女を止めてくれるなら、もう怖い思いなんてしない。でも、それも乗り越えて魔法少女であろうとするなら――この子は、私の敵になっちゃうねぇ」


 太陽とは、その姿を直接見ることは出来ない。無理に目にしようとすれば、その光によって目が潰されてしまうから。

 その熱で豊かさと恵みを与える一方で、同時に時に全ての恵みを枯らし尽くす程に強い灼熱の化身。

 その名を冠する彼女は、その太陽の在り方とよく似ているのかもしれない。かつては良い面でしか発露されていなかった個性も、堕ちた今の彼女には無慈悲という一面で顔を出す。


「無事に情報も得られたし、この子を家に帰してあげないとね。意識が戻りそうにないから救急車を呼ぼうか」

「えぇ、そうしましょうか」

「じゃあ、変身を解いて、と」


 エルシャインの身体が黒い光を放ち、その姿が解けていく。

 鈴星すずぼし 御嘉みかの姿に戻ったのを確認して、私も変身を解く。


「お疲れ様、理々夢!」

「……えぇ、御嘉さん」


 処置が終わってから、名字で呼ぶなと駄々を捏ねられたので名前で呼び合うようになった。

 たったそれだけのことなのに御嘉さんは本当に嬉しそうに笑っている。こんな姿を見ていると、とても堕ちているようには見えないと思ってしまう。


「はい、意識を失っている女の子を発見しまして。はい、場所は――」


 救急車を呼ぶためにスマホで通話していた御嘉さんは、その通話を終えて一息を吐く。

 それからくるりと身を翻して私の方へと寄ってくる。そのまま腕を絡めて、甘えるように身を寄せてくる。


「何ですか、急に」

「えー、頑張ったから褒めてくれていいのに」

「やりすぎだって怒りましたよね?」

「あれ、私の説明で納得してなかった?」

「……それとこれとは話が別です」

「えー、私こんなに頑張ったのになー、これもネクローシスのためだと思っていっぱい頑張ったのになー、理々夢は冷たいなー」


 腕を絡めたまま、ぐいぐいと引っ張って来る御嘉さん。

 これが素の彼女なのか、堕ちた影響で精神に変化が出た結果なのか。

 明るく無邪気に距離を詰めてくる彼女に少しだけ困りながらも、まぁ、悪い気はしないのですよね。子犬みたいで可愛いし。


「――理々夢? 今、何か……小さくて可愛いみたいなこと考えなかった?」

「何のことでしょうかね……気のせいでは?」

「ふーん……?」


 ……勘が鋭いところは変わっていない、鋭すぎて刺されてしまいそうだ。


「御嘉さん、今日は頑張りましたね。改善は次回からで」

「うん!」


 誤魔化すように、けれど本心からの言葉を伝えると御嘉さんは心からの笑顔を浮かべてくれた。

 遠くの方から救急車のサイレンが聞こえて来る。こうして今日の夜も暗躍は無事に終わりを迎えそうだった。

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