第18話 お菓子作り③



 白いフリフリ。確か、フリルとかいう衣服の装飾のことだったはずだ。


 ベージュ髪の女の子が身につければ、それはさぞかし可愛かったことだろう。

 しかし、鋭い目の強面の男子がそれを身につければどうだろう。それはもう、気持ちが悪くて見るに堪えないだろう。


 しかし、今現在、この大きくお洒落な家のキッチンにて、その光景が現実のものとなっている。ただし、思っていた反応とは違い、ベージュが見の少女はキラキラとした目で龍一を見つめ、その母親も何故かうんうんと頷いている。


「とっても可愛いじゃない!」

「……ありがとうございます」


 龍一は、非常に微妙な表情を浮かべる。これなら、笑ってもらって茶化された方が良かったかもしれない。椎名も、いや、こころも嬉しそうにその光景を見つめており、何となくやるせない気持ちが龍一を襲う。


 少し鑑賞して、椎名は満足したのか閉まっていた道具を取り出し始める。その間に、龍一は買ってきた薄力粉とバターを調理場に置く。バターは冷蔵庫に入れた方がいいのかと思ったのだが、すぐに使うから常温にしておくのだと教えられた。


 必要な道具がそろったところで、椎名こころによるお菓子作り講座がスタートした。


「えっと、クッキーって本当は生地を一晩寝かしたりするんですけど、今日は一時間だけ寝かすレシピで作ります! まずは、薄力粉240gとバター100g、それと砂糖を80gを準備してください!」

「おぅ、薄力粉240gにバター100g、砂糖を80gっと……」


 龍一はボールを洗って布巾でこまめに拭きながら薄力粉を240g、また違うボールにバター100gと砂糖80gを用意する。すると、その光景を見ていた椎名の母がキッチンに顔を出して龍一の手際を褒める。


「……手際がいいのねー。もしかして普段からやってるの?」

「えっと、菓子作りは初めてですけど、毎日飯は作ってるんで」

「偉いのねー」


 どうやら、椎名から龍一の家の事は聞いていないようで、「(家の手伝いをして)偉いのねー」というニュアンスの声を声をかけられる。別に話すことでもないので、龍一は「……ぅっす」と曖昧な返事を返す。


 一通りの計測を終えると、こころは少しだけ薄力粉をふるいにかけて見本を見せる。


「薄力粉をこうやってふるいにかけて、バターに砂糖を加えてよく混ぜます」

「こうか?」


 龍一は見本通りに薄力粉をふるいにかけて、バターの入っていたボールに砂糖を投入し、混ぜ合わせる。特に難しい事もない作業なのだが……。


「そうです! 流石は花田先輩です!」

「いや、混ぜてるだけなんだが……」


 龍一は小さな声で突っ込みを入れる。


「それで、卵を3回くらいに分けて混ぜていきます。それで、これくらい交ざったらさっきふるいにかけた薄力粉を投入します!」


 龍一は言われた通りに薄力粉を投入する。最初は思ったよりも粉っぽい気もしたが、少し混ぜていくと次第にまとまり始める。


「最初はヘラで切るように混ぜるんですけど……、これくらい交ざった最後は手で混ぜましょう! 気温が高い時はヘラで混ぜるといいですよ!」

「なるほど、気温によって変わるのか……」


 龍一は新しい知識に少し感動しつつ、手で生地をこねる。あまりこねすぎると良くないらしいので、逐一椎名に確認してもらいながら作業を進める。そして、出来上がった生地をラップに包み、その生地を一旦冷蔵庫の中に入れる。


「これで生地作りは完成です! あとは、こうやって冷蔵庫で一時間くらい寝かします」


 なるほど。結構時間と手間がかかるうえに、生地のコネ具合や纏まり具合を見定める経験も必要になるのか。


 龍一は、心の中で椎名の長年の経験に尊敬の意を称しながら、部屋の壁に掛けられている時計を見る。今が丁度16時半くらいだから、17時半くらいに焼きはじめることになりそうだ。


「……一時間暇になっちゃいましたね」


 椎名がそう呟くと、どこからともなく母親が登場し、龍一たちを手招きする。どうやら、リビングにお茶を用意してくれたようで、そこで休憩しましょうと誘ってくれていたようだ。


 龍一たちはいかにも高そうなティーカップに注がれた紅茶で喉を潤しながら、一時間が過ぎるのを待つ。――のだが、椎名の母はそういうつもりで龍一たちを呼んだわけでは無かったらしく、楽しそうな笑顔で龍一と椎名を見つめていた。


「じゃあ、二人の出会いから根掘り葉掘り聞いちゃおうかな?」


 出会い。


 龍一と椎名は、入学式の朝の出来事を思い出す。出会いは、この忌々しい顔によって出来た縁だった。しかし、こうして時間を共にするようになって、龍一の中では少し薄れかけていた記憶でもあった。


 龍一としては、少し気恥ずかしさのある出来事だ。しかし、椎名の表情は固まっており、視線が右へ左へ忙しなく動き出す。


 椎名の母は、椎名の変化に目ざとく気が付く。


「……あれ? こころ、何か私に隠し事?」

「……」


 椎名は黙している。ただ、龍一のような気恥ずかしさによる行動ではなく、また違った理由で口を閉ざしていたのだ。


 椎名の母はじっと彼女の顔を見て、小さな声で呟く。


「――臙脂色えんじいろ、ううん朱色しゅいろかな? これは何か焦ってる証拠ね……」


 龍一は何を言っているのか分からなかった。臙脂色やら、朱色やらと色の名前を言った後に、椎名の今の心情を予測する。すると、椎名は観念したように口を開く。


「実は――」


 椎名は入学式の朝の出来事を全て話す。しかし、学校に着いてからの事は、意図的なのかは分からないが話を伏せていた。ただ、電車での経験とそこに居合わせた龍一によって自分が救われた事、そしてそれをきっかけに仲良くなったことなどを話す。


「――はぁ。で、龍一くんと仲良くなったわけね?」

「……はい」


 龍一にとって、椎名のしょんぼりしている姿は新鮮だった。しかし、別に黙っているようなことでもないように思えて、椎名の本心が見えてこない。


「なるほど。……だからあの日はピンク色だったのね」


 また、色の名称が出てくる。椎名の母親は少し考えて、一つの決断を下す。


「……やっぱり、電車通学はやめた方がいいかもしれないわね。そういう時に、自分で何とか出来ないんなら、お母さん心配だもん」

「で、でも、お母さんは体が弱いし。お父さんも忙しいし……」


 そこでようやく、龍一は椎名が何故この件を黙っていたのかが分かった。


 ぱっと見ではそこまで体が弱そうには見えないが、椎名の母親は身体的に不安定らしい。そして、椎名の父親は仕事に熱心らしく、椎名はその事を気にかけていたのだ。実に椎名らしいと思えるが、母親からすれば心配であることに変わりがない。


「こころが心配してくれているのは知っているけど、あなたがひどい目に遭う方がお母さんは悲しい」


 その言葉に、椎名は何も言い返せなくなる。おそらく、自分の事で両親に負担を掛けたくないというのが彼女の本心だろう。しかし、それを押し通しても、その事で新たな心的負担を両親にかけることになる。


 それが、椎名にとっては辛い事なのだろう。自分がいかに嫌な思いをしても、両親には負担を掛けたくないという心意気はとても健気で応援したくなる。


 だからだろうか、龍一は自分でも思いもよらない言葉を口に出す。


「俺が一緒に登校しましょうか?」

「――え?」

「まぁ!」


 驚く椎名と、嬉しそうに微笑む椎名の母親。二人の視線が自分に向いて、ようやく龍一は自分が口に出した言葉を認識する。


「……あ。えっと、俺、一駅むこうだけど、この顔の男が近くにいれば何もされないだろうし……」


 自分で言っていて悲しくなるが、実際に一度見ていただけで痴漢を撃退している実績がある。本当に悲しい事だが……。


 龍一の提案に、少し頬を赤らめていた椎名だったが、すぐに深刻な表情に変わる。


「で、でも。迷惑、ですよね?」


 この愛らしい顔で上目遣いにそう言われて、迷惑だと言える男がいるだろうか。勿論、椎名はそんなつもりはこれっぽっちもない。それに、龍一自身別に迷惑だとも感じていないのだが、その愛らしさに、無条件で肯定しそうになるのは男の性だろう。


「別に、迷惑って程じゃないぞ。椎名には、その、俺も色々恩があるし……」


 龍一は少し視線を逸らしながらそう答える。すると、黙って話を聞いていた椎名の母が龍一に近づいて来る。


「――龍一くん」


 そう言って、椎名の母は真剣な表情で龍一の前に立ったかと思うと、さっと両手を前に突き出して龍一の大きな掌を優しく包み込む。


「あなたならこころを任せられるわ! これからよろしくね!」

「お、お母さん!?」


 母の一言に、椎名は顔から火が出そうなほどに顔を真っ赤にさせる。龍一も同じで、女性の柔らかな手が自分の大きくゴツゴツとした手を包み込んでいるという状況に、何となく恥ずかしさを覚える。


 目の前の女性は、一つ下の女の子の母親だ。しかし、何故か温かく、それでいて優しい。


「――はい」


 龍一は、頬を紅潮させながら優しく微笑む。彼は自分では分かっていないのだが、それは本当に自然な笑顔だった。


 龍一の言葉に安心したのか、椎名の母はすぐに龍一を解放し、鼻歌交じりに自分の席に座る。そして、優雅にティーカップを傾けるのだが、心なしかさっきよりも若々しく見える。


 龍一が放心状態でその光景を見つめていると、制服の袖を小さな手が引く。そして、その手の主はさっきと同じ上目遣いで龍一を見つめていた。


「あの、明日から、よ、よろしくお願いします!」


 龍一は、頷くことも忘れてその可愛らしい顔を見つめ続けていた。







「――で、直径3㎝、厚さ5㎜の円形に型抜きして、170℃のオーブンで15、6分焼くっと」


 古いアパートの一室で、ノートに真剣に何かを書き込む男子。いつもと違うのは、その一室には甘いお菓子の香りが漂っていることくらいだろう。


 龍一は、椎名と二人で作ったクッキーを一枚つまんで、口に入れる。


「やっぱり、美味しいな」


 椎名が一人で作った方が上手に出来るのだろうが、初めて自分で作ったお菓子は、それだけで美味しく感じる。それに、あの可愛い女子と一緒に作ったのだという輝かしい記憶までついているのだから、このクッキー1枚についている付加価値というのは幾倍にも膨れ上がっている。


 ふと、あの時の言葉が頭に浮かぶ。


「……『明日からよろしくお願いします』か」


 龍一は、初めてのお菓子作りと、初めての友人宅への訪問。そして、初めての登校の約束を果たしたのだった。



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