第17話 お菓子作り②



 放課後。龍一は下駄箱で待っていた美少女を見つけ、少し自分の頬が熱くなるのを感じる。


 今日は水曜日という事もあり、いつもよりも早く学校が終わった。龍一も椎名も部活動には入っていないため、放課後は丸々時間がある。

 普段ならば、図書室で勉強をしたりして過ごしているのだが、今日はそんな事よりも大事な用事が出来た。


 ベージュ髪の少女は、龍一の存在に気が付いて、大きく手を振る。


 ――そう。今日はこの少女の家に行くのだ。







 龍一と椎名は肩を並べて歩道を歩く。

 よくよく考えてみれば、こうして一緒に帰るのは初めてな気がする。毎日の様にお昼休みを一緒に過ごしているのだが、学校の外で会ったのは、入学式のあの時だけだ。


「――放課後、椎名は何をして過ごしているんだ?」


 龍一は少し気になって隣を歩いている椎名にそう尋ねる。椎名の歩幅に合わせているため、スピードは歩く速度は大分遅く、龍一たちの横を何人かがすり抜けていく。中には二度見、三度見してくる者達もいたが、以前ほどは気にならなくなっていた。


 龍一の問いかけに、椎名は「そうですねー」と呟いて、言葉を続ける。


「あたしは、しいちゃんの部活動が休みの時は一緒に帰って、それ以外はみいちゃんと一緒に帰ってます。ただ、みいちゃんがバイトの時は一人で帰ってますね!」

「へぇー、意外だな。友達と遊んだりしないのか?」


 龍一にとってはかなり意外だった。彼女の中身は純粋無垢なのは知っていたが、見た目は美少女でどちらかと言えば派手めなので、帰りは龍一の知らない友達と過ごしているのかと思っていた。


「あたし、友達って少ないんです。みんな話しかけてくれますけど、一緒に遊ぶのはしいちゃんとみいちゃんくらいですよ」


 意外にも友達は少ないらしい。しいちゃんこと、三田村詩乃とみいちゃんこと、高野美穂とはクラスマッチの時に一度一緒にご飯を食べたことがあるのと、椎名の話に頻繁に出てくるので顔と名前が一致している。龍一にとっては珍しい事だ。


 そんな事を考えていると、椎名の顔がぱっと龍一の視界に入っていた。


「花田先輩! 今日は何を作ります?」

「菓子作りはやったことがないからな。最初だから、簡単なものがいいな」


 龍一の返答に、椎名は少し悩む。一番簡単なのは、オーブンを使わないものなのだが、それなら龍一の家でもできる。オーブンを使うもので、比較的簡単なものと言えば……。


「そうですね……、やっぱりクッキーが一番簡単かもしれませんね。チョコ系もありますけど、それならオーブンを使う必要も無いから、花田先輩の家でもできますし……」


 二日連続でのクッキー作りにはなってしまうが、クッキーが一番簡単にできるだろう。しかし……。


「ただ、バターと薄力粉は昨日使い切っちゃって」


 実は昨日のお菓子作りで薄力粉とバターを使い切ってしまっていた。お菓子作りも、多くても一週間に一度くらいのものだったので、おそらく椎名の母も買ってはいないだろう。


「材料費くらいは自分で出したいし、近くのスーパーで買っていくか」


 龍一は椎名の表情を察してそう提案する。そもそも、オーブンを貸してもらうのだから、材料費くらいは自分で出したい。卵や砂糖なども買っていこうかと提案するが、それは流石に断られた。







 龍一の最寄り駅は学校近くの駅から大体5駅程離れているのだが、椎名の家の最寄り駅はその更に1駅離れたところにあった。

 普段は降りる駅を通り越していくのは非常に新鮮で、龍一は少し、ほんの少しだが興奮していた。


 椎名の家の最寄り駅に到着し、駅を出ると見知らぬ光景が龍一を迎え入れる。椎名は普段通りに歩みを進め、龍一はその少し後ろをついていく。


 結構見られているな。


 歩いていると、周囲からの視線が気になる。勿論、それは龍一に向かってくるものが大半なのだが、中には目の前の少女に向けられている視線もある。よく考えなくても分かる。こんな可愛い女の子はそう相違ないだろうから。


 そんな視線に、少しだけ胸が締め付けられる思いを抱きつつ、龍一は小さな背中と時折自分に向けられる笑顔を見つめていた。



 駅から10分弱歩いただろうか、目の前に大きな家が見えてきた。駅に辿り着いた時から思っていたのだが、椎名の住んでいる場所は落ち着いた住宅街で、家も綺麗で現代風なものが多かった。ただ、目の前の家はその中でも大きい部類に入り、ぱっと見ただけでもお金持ちの家だとわかる。


 そして、目の前の少女がその家の前で足を止める。黒いシックな表札には、白い文字で「椎名」と書かれてある。


「――でかいな」


 龍一はそう呟く。二階建てだが、そもそも一段高い場所に家が建っているため3階建て以上に見える。家の外門を開けて中に入っていく椎名の背中を龍一も追う。庭もあり、色とりどりの花々が植えられている。非常にお洒落な空間が広がっているかと思えば、白ベースの上品な家屋が顔を出す。


「お洒落な家だな」

「そうですか? 確かに、ちょっと大きいかもしれませんね!」


 椎名はそう言うが、大きいだけではないはずだ。龍一は目の前の光景に少し怖気づいているが、椎名はお構いなしに玄関の扉を開ける。


「ただいま!」


 明るい、可愛らしい声が家の中に響き渡る。すると、中から綺麗な女性が顔を出す。


「おかえり~。――って、あら?」


 椎名と同じベージュ色の髪色の、少し落ち着いた雰囲気の女性。顔の造りは椎名と非常に似ているが、身長が幾分か高く、大人の女性の魅力を詰め込んだような存在が目の前に現れる。


 龍一は一瞬でその人が椎名の母親だと理解する。しかし、向こうはそうでは無いようで、口元に白い手を当てて可愛らしい笑顔を浮かべる。


「あらあら、こころが男の子を連れてくるなんてねぇー。ねぇ、彼氏? 彼氏なんでしょ?」

「――お母さん! 花田先輩はそう言うんじゃないよ!」


 椎名は母親の背中を押しながら、玄関の中に入っていく。しかし、椎名の母親は尚も言葉を続ける。


「あら、そうなの? 勿体ない、こんなにカッコいい子、そうそう居ないわよ?」

「――もう! そんな事分かってるもん……」


 最後の言葉は小さすぎてよく聞き取れなかったのだが、そんな事よりも椎名の母親が自分のこの容姿を受け入れてくれたことに、龍一は心の中でホッとした。


 椎名を育てた母親だから、何となくそういう期待を抱いてはいたのだが、もし怖がられてしまったらどうしようかと内心ではビクビクしていたのだ。


 母親を室内に押し込んだ椎名が戻ってくると、未だに玄関の外で立ち尽くしている龍一にスリッパを用意してくれる。


「花田先輩、どうぞ、中に入ってください」

「――あ、あぁ。お邪魔します」


 龍一は、初めて誰かの家に足を踏み入れた。


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