第15話 クラスマッチ④




 佐藤の恋バナと言う名の事情聴取は白熱し始め、次第に暴露大会に発展しそうな勢いだったので、龍一は一旦逃げるようにその場を離れた。

 もうあと少しで決勝戦が始まる時間になるし、その前にトイレに行こうとも思っていたので、それを理由に輪を離れた。


 みんなには先に言っててくれと言ってある。


 トイレに入り、用を足して手を洗っていると、鏡越しに一人の男子生徒と目が合う。普段なら恐怖におののき一瞬で目をそらされるのだが、その男子は違った。


「――花田くん、バスケ上手かったんだね」

「えっと……?」


 龍一は振り返って直にその人物を見る。ふんわりとした髪質で、髪も肌も色素が薄い。

 ただ、半袖の体操服から覗く腕は意外と筋肉質で、何か運動部に所属しているだろうとは想像できた。


 龍一が誰なのか分からずに戸惑っていると、目の前の男子生徒は気持ちのいい微笑みを龍一に向ける。


「僕は柊俊也ひいらぎしゅんや。2年5組の柊、ね。決勝戦で当たるから、声掛けとこうと思ってさ」

「あぁ、そうなのか」


 龍一はただ一言、それだけ答える。名前を聞いてもピンとこないし、何より自分とは対極に位置する微笑みに、少し思うところがあったのも否めない。


 しかし、柊は特に気にした様子もなく、相変わらずの微笑みを龍一に向け、言葉を続ける。


「――ずっと見てたけどさ、どうしてバスケ部に入らなかったのか不思議なくらいだったよ。あれは昔からやってる人の動きだったね。……結構長いんじゃない?」

「いや、小学の3年間だけだな」

「え、ホントに!? ……じゃあ、天才型か」


 小さく聞こえた「天才」という言葉に、何となくとげがあった気がした龍一だったが、特に突っかかるほどの事でもなかったので、何も言わずに流す。


 柊は「じゃあ、体育館で」と言ってトイレを出ていった。

 龍一もその後すぐにトイレを出るつもりだったのだが、もう一度手を洗い直してから出ていった。







 体育館に入ると、思った以上にギャラリーが集まっていることに驚く。

 男子もそうだが、決勝に残れなかった女子たちも集まってきているので、2階部分はほとんど埋まっていた。


 決勝トーナメントになった時からギャラリーは増えているなとは感じていたが、決勝はその比ではなく、特に2年生対決という事もあってか見知った顔が多い気がした。


 龍一が場内を進むと、ひそひそという声と熱狂的な声の両方が巻き起こる。龍一は少し驚きながら、クラスメイト達が待つ場所へと歩いていく。

 すると、さっきトイレであった柊が小さく手を振ってくるのが見える。手を振り返すのはおかしいので、小さく頷いて返事だけはしておく。


 龍一は佐藤たちの輪にはいると、突然の質問を投げかける。


「なぁ、『5組の柊』ってバスケ部の部員なのか?」

「――え、花田くん柊俊也のこと知らないの? 県代表にも選ばれるくらい有名なのに」

「け、県代表!?」


 龍一は少し驚く。

 そう言えば、確かにそんな事を校内放送で言っていたような気もするが、周りを意識できるほど余裕がなかった龍一は、そのことが完全に頭から抜け落ちていた。


 そんな驚いている龍一に、佐藤は追い打ちをかける。


「決勝は柊vs棘の龍一だって、凄い盛り上がってたなぁ」


 いつの間にか、そんな話になっていたようで、龍一は微妙な表情を浮かべていた。






 コート内に出場選手たちが集まる。

 2年3組は青のビブスを身につけており、5組は体操着のままだ。特にどちらでもよかったのだが、サッカー部である佐藤がどうしても10番を付けたいというのでビブスを付けることになったという話だ。


 試合開始のジャンプボールは、龍一の十八番おはこだ。

 ピーッという電子音と共に、ボールが宙を舞う。龍一は思いっきりジャンプしてそのボールを自陣にいる佐藤の方へ弾く。そして、着地と同時に佐藤からボールを受け取り、前を向く。


「――ッ!」


 前を向こうとした瞬間、既にぴったりとマークについていた柊に龍一は驚く。

 おそらく、「ずっと見ていた」というのはこういうことなのだろう。龍一の動きは完全に読まれていた。


 龍一はボールを左右に動かしながら柊の動きを見る。徹底マークというわけでは無いようで、それなりに距離がある。ならば……。


 龍一は即座にシュート体制に入る。

 確実に入る距離ではないが、シュート圏内には入ってきている。柊はドリブルを警戒していたようで、シュートの方はほぼノーマークだったので、邪魔されることもなく龍一の3Pシュートはリングに吸い込まれていく。


 流石にこの距離からシュートを打ってくるとは思っていなかったのか、柊は少し驚く。しかし、その反面で一つの事実に気が付いた。


「……凄いね。でも、テクニックなら僕の方が上みたいだ」


 龍一のドリブルが速いし、テクニックも確かにある。

 しかし、あの場面であえてシュートを選んだという事は、確実に抜けるという確証がなかったからだ。つまり、ドリブルやディフェンスの技術では自分の方に分があると柊は考えていた。


 事実、そこから柊はじりじりと攻撃を始める。

 ここまで全試合に出ていた龍一は既に見えない疲労が溜まっていて、完全なコンディションとは言えなかった

 。そして、中学と高校一年の約4年間、部活動に所属していなかったハンデもある。スコアは切迫していたが、目には見えない部分で確実に差が出てきていた。


 

 前半を終えて、スコアは29ー32。

 5組の方が3点多い状態で折り返すこととなった。決勝はある程度時間に余裕があるからか、前後半の間の休憩時間が多く取られた。

 と言っても、体力が全快するはずもなく、地力の差が顕著に表れている。


 後半開始から、龍一はパス回しに終始する。

 流石に足が限界に近づいてきている事で、ドリブルでは柊と明らかな差が出てきているからだ。時たま3Pシュートを狙うのだが、成功率は五分といったところで、此方にも確実に疲労の影響が出始めていた。


 しかし、何とかスコアは維持できている。そして、デジタルタイマーの数字が一分を切った時、それは起こった。


 ――ピピッ


 短い笛が吹かれる。リングの下で、青いビブスの10番が倒されたのだ。

 シュートを打つ場面だったとして、フリースローが2本与えられた。得点差は3点で、2本とも決めれば1点差となり、通常のシュートを一本決めると逆転できる。


 龍一は荒い息を整えながらその様子を見守る。

 フリースローレーンにはさっきファールを受けた佐藤が立っている。運動神経のいい佐藤ならば、フリースローも期待できる。


 佐藤は一本目をすんなりと決め、この時点で得点差は2点になった。しかし、残り時間が少ない。もしここで決めたら、ボールは向こうの手に渡ることになる。


 緊張感が体育館内を支配する。

 ダムダムという音を立てながら、佐藤は集中力を高める。


 キュッという靴の音を合図に佐藤は二投目を放つ。軌道は悪くない。だが、少しずれたボールがリングに弾かれる。


 ボールの行方を目で追うと、そこには須郷が立っていた。ボールを奪取した須郷と龍一の視線が交わり、須郷は問答なしにボールを龍一に渡す。


「はぁ……はぁ……」


 荒い呼吸で目の前の相手と対峙する。

 汗はかいているものの、呼吸は穏やかでまだ余裕がありそうな柊に満身創痍の龍一がドリブルで勝てるはずがない。しかし、龍一は微笑む。


 素早く相手の右脇を抜けようとドリブル突破を試みる。勿論、柊も龍一の進行方向に体を入れようとするのだが――。


「――!?」


 動かない。

 いや、動けなかった。


 進行方向には青いビブスを付けた、さっき龍一にボールを渡した須郷が立っていた。


 スクリーン。

 相手の進行方向に予め味方を配置することで、相手の行動範囲を制限する戦術だ。

 柊は瞬時に失敗したと思った。まさか、バスケ部のいないクラスがスクリーンをしてくるとは思っておらず、その選択肢が完全に頭から抜け落ちていた。


 しかし、完璧ではない。

 須郷は素人であり、進行方向の制御が少し甘い。そう感じ取った柊は瞬時に体を翻して、スクリーンとして配置された須郷の右側を抜けて龍一が来るであろう位置に先回りする。


 しかし、そこでまた柊は驚く。


 龍一はスクリーンを利用してエリア内に入るのではなく、あえて一歩下がって3Pエリア外に出ていたのだ。刻一刻と迫る最後の瞬間を感じつつ、龍一はボールを放つ。


 ライトブランの球体は綺麗な弧を描き、ブザーの音とともにリングへ吸い込まれた。ブザービーターで、龍一の3Pシュートは成功したのだ。


「……ぃよっしゃぁ――!!」


 体育館の二階部分から、試合には出ていなかった磯部の大きな声が聞こえる。すると、その歓声は徐々に伝播していき、大きな歓声と拍手が響き渡った。


 クラスメイトは疲労をさせれたかのようにはしゃぎまわり、須郷と佐藤が龍一に抱き着く。龍一も、小学校の時に味わった全国優勝の時よりも強い達成感を抱いていた。


 正に死闘ともいえる対戦を終えて、柊が龍一の元へと歩いて来る。

 汗で、ふんわりとした髪は額に張り付いているが、綺麗な笑顔は健在でイケメンの範囲に十分すぎるほど収まっていた。柊は龍一の手を取って握手をする。


「……今回も負けだよ。まさか、あそこでスクリーンを利用して3pシュートを狙ってくるとは思わなかった。流石は花田くんってところだね」

「お、おぅ」


 直球の賛辞に微妙な答えを返す龍一だったが、柊は相変わらずの笑顔で去っていった。ただ、柊の言葉の一つに、龍一は引っかかりを覚える。


 しかし、その疑問は甲高く可愛らしい声によってかき消された。


「花田先輩ー! かっこよかったでーす!!」


 ベージュ髪の少女は誰よりも大きな声でそう叫んでいる。

 恥ずかしいはずなのに、顔を真っ赤にさせながらも一生懸命大きな声を出している少女に、龍一は自然と笑みを浮かべたのだった。



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