進展
第12話 クラスマッチ①
熱気と歓声に沸く体育館は、黄色い声援と汗の匂いでごった返していた。
決勝戦は白熱の展開を迎えており、徐々に減っていくデジタルタイマーの数字を横目に、勢いよくボールをバウンドさせる。
コートに立っている10人は既に息が荒く、その壮絶さを物語っている。
大柄の男子生徒は額から流れ落ちる汗に気をやる暇もなく、目の前の相手を睨みつける。パスコースはなく、ドリブル突破以外に勝機はない。
刻一刻と迫る最後の瞬間を肌で感じつつ、限りなく細い一本の筋道を思い描く。ここで決めなければ、敗北が決まる。2点で同点、3点なら……。
荒い息で、彼はコートの空気を支配した。
◇
爽やかな朝。昨日の夜は少し雨が降っていたが、今日は雲一つない青い空が広がっていた。
昨日は大変だった。
泣きじゃくる進藤をなだめ、やっと戻ってきた保健室の先生に事情を話す。
そして、もう一度用具室へ向かって仕事をこなした後、職員室に鍵と点検用紙を提出しに行く。
担任の川野先生に遅くなった理由を尋ねられたので、素直にことの次第を話す。
四人の不良の顔は覚えていたのだが、学年や名前までは分からなかったので適当に特徴だけ伝えた。
川野先生は龍一の言葉に真剣に耳を傾け、最後には「よくやった」と褒め始める。こんな先生は初めてだったので、龍一は少し驚いていた。
何はともあれ、一つの心配ごとが解消されて、龍一の心は穏やかになっていた。
くたびれたスニーカーを脱いで自分の下駄箱に入れる。すると、元気のいい声と共に背中を叩かれる。
「花田ー! おっはよう!」
「おぅ、佐藤。おはよう」
アシンメトリーでさらさらな前髪の青年に、龍一は少し嬉しそうに朝の挨拶を返す。
佐藤は龍一と下駄箱の位置が近いので、こうして朝の時間に挨拶をすることが多い。ちなみに、須郷も下駄箱の位置が近い。
桜ケ丘高校は、3年間下駄箱の場所は変わらない。
一年の最初に決められた下駄箱をずっと使うのだ。一クラスで二段を使い、出席番号順に横に並ぶ。そして、大体半分くらいで次の段に移るのだ。
龍一は1年3組で二段目の丁度真ん中あたりだった。須郷と佐藤は1年4組の一段目で、これまた丁度真ん中あたり。
須郷に関していえば龍一の丁度下に下駄箱がある。
佐藤はお洒落な靴を下駄箱に入れて、上靴を取り出しながら龍一に話しかける。
「てか進藤から聞いたぞー。昨日、大変だったんだってなぁー」
龍一は少し驚いた。
進藤は、昨日の事を部活動の先輩である佐藤につたえたらしい。それは、彼にとってはかなり恥ずかしい事だっただろうことは、龍一でも想像に難くない。
龍一が黙っていると、佐藤は優しく微笑む。
「あいつ、馬鹿だけどさ。あれで、良い奴なんだ。やったことはクズだけど、許してやってくれないか?」
それは、本当に優しい笑顔だった。
龍一は、仮に自分が佐藤の立場だった時に、同じように笑ってお無様に優しい言葉を口に出せるだろうか。
想像するまでもなく、無理だ。
今までだって自分の事で精一杯で、周りに気を配れた試しがないのだから。
「……佐藤って、良い奴だよな」
龍一は小さくそう呟く。今日の朝はやけに爽やかだった。
◇
「――今日は、クラスマッチの出場選手を決めたいと思います!
今年は、男子はバスケ、女子はサッカーね。後は、体育委員に紙渡しておくからちゃちゃっと決めちゃって」
川野先生はいつもの笑顔でそう言う。
彼女は基本的には放任主義で、何か決めなければならない事案は大体生徒主導で行わせる。
といっても、別にさぼっているわけではなく男女の集団を行き来しつつ、口を挟むことはしないが、進行状態は確認しているようだ。
そんな事を考えながら呆けていると、突然話題を振られる。
「なぁ、花田くんってバスケ得意なんだっけ?」
「――え、あぁ」
龍一は反射的にそう答える。
龍一は小学生の時にバスケ部に所属していた。
小学生の時から背が高く、身体能力も飛びぬけて高かったのですぐにレギュラーを奪取し、全国大会で優勝したこともあった。ただ、この顔のおかげで中学からは部活には入れなかったのだが。
去年のクラスマッチも、種目はバスケだったのだが、一試合だけ出ただけで、パスなど一切来なかったのでずっと隅っこで突っ立っていた。
そのため、このクラスの人が龍一の実力を知っているとは思っていなかった。
「得意ってレベルじゃないよ。小学校の時、確か全国優勝したんだよね?」
「……」
少し背の低い栗色の頭をした男子が、龍一の実績を鼻高々に報告する。
周りからは「おぉ!」という歓声が上がっていたが、龍一だけはじっとその人物の顔を見て黙り込んでいる。
記憶に、ない。この男子生徒の名前が一向に出てこない。
龍一のバスケの話を知っているのだから、おそらくは同じ小学校の誰かだろう。確か、磯なんとかだった気がする。
「……磯貝だっけ?」
「磯部、だよ」
栗色の男子は平たんな声で訂正する。
「……なんか、わりぃ」
龍一は素直に謝る。
これまではクラスメイトの名前何て覚える必要はないと思っていたが、これからは違う。ちゃんと覚えるようにしようと龍一は心の中に誓う。
クラスマッチのバスケは、8分の前後半で試合を進めることになっている。
本来はそれの倍以上の時間を使うのだが、クラスの数が多く試合数が必要になるのでスピーディーに進行するようだ。
抽選で4クラスのリーグ戦を行い、そのリーグの1位だけが決勝トーナメントへ進む。リーグ戦は総当たりであるため、少なくとも3試合は出来るという算段だ。
「――じゃあ、花田を主軸に運動部を多めに入れとくか。ただ、全員参加が条件だから、リーグ戦の3試合で全員出場しないとなー」
体育委員の佐藤がすらすらと紙にメンバーを書き込んでいく。
試合の審判はバスケ部が行うため、本来ならばそのバスケ部の日程に照らし合わせながらメンバーを選んでいくのだが、このクラスにはバスケ部員は一人もいない。故に、誰がどの試合に出ようとも時間的な制約はないという事だ。
「――よし、出来た!」
佐藤は一瞬でメンバー表を書き上げる。
龍一を主軸に、という話だったので、メンバー表の内容が気になり覗き込む。すると、全ての欄の戦闘に龍一の名前が書きこまれていた。
「おい、何で全部の欄に俺の名前があるんだ?」
「え、うちのクラスはバスケ部員がいないから、経験者の花田には出てもらわないと困るんだが。流石に疲れるか?」
佐藤はさも当然の様にそう言いながらも、一応龍一の体力面を気遣う。
そういう意図で聞いたわけではなく、他のクラスメイトがいい気がしないのではないかという意図だったのだが、ぱっと他の面々を見ても特に異論はないようで、女子のこの試合には見に行けるだなんだと盛り上がっていた。
「……まぁ、いいけど」
龍一はクラスメイトの反応を見て、そう呟く。思ったよりも、自分がクラスの輪に溶け込めている気がして、嫌な気分ではなかった。
「よし、じゃあこれで決まりだな!」
佐藤はそう言ってメンバー表を川野先生の所へ持っていった。川野先生は一応そのメンバー表に目を通して、嬉しそうに微笑んでいた。
◇
小さな窓から差し込んでくる日差しに少女の明るい髪が照らされて、神秘的な空気を生み出していた。
もう日常になりつつある光景を前にして、相変わらず心臓は強く脈打ち続けている。
「――え!? 全部出るなんて、すごいです!」
その少女は大きな目を見開いて、目の前の大柄な男性に微笑みかける。
キラキラと光る瞳に、屈託のない笑顔。大柄な男性――龍一は、ベージュ髪の少女――椎名こころの真っすぐな賞賛を受けて、少し照れ臭そうに頬を掻く。
「……あたし、運動苦手だから。一試合だけしか出ないんです。
しいちゃん……あ、三田村詩乃ちゃんって言って、あたしの小学校の時からの大切なお友達なんですけど、しいちゃんも花田先輩と同じで全部出るんですよ!」
「そうなのか。……ん? ちょっと――」
龍一の長い指が椎名の頬へと向かっていく。
ゆっくりと向かってくる大きな掌に、椎名は「え、え?」と顔を紅潮させながら体を強張らせる。
薄暗い踊り場で男女二人。
男の長く指が少女の頬に触れ、そして…………ほっぺにくっついていたご飯粒をつまみ上げる。
ん、取れた。と小さな声が椎名の耳に届くと、椎名はさっき以上に顔を赤くさせる。
「……あ、ありがとうございます」
そう言いながら、小さな掌が彼女の小さな顔を覆う。
指の隙間から覗く綺麗な肌は、真っ赤に染まっていた。そこで、ようやく龍一も自分のした行動に恥ずかしさを覚える。
無意識の行動だったが、今思えば相当恥ずかしい気がする。
人差し指と親指でつままれた一粒のご飯粒。
これをどうしていいかわからずに見ていると、椎名はまだ赤い顔のまま龍一を見ていた。
「あの、絶対応援に行きますね。頑張ってください!」
龍一は、「おぅ」と照れながら返答する。
そして、小さな箸がタコさんウィンナーをつまんでいる姿を見つめながら、ちょっと走っておこうかなと心の中で呟いた。
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