第11話 棘の龍一⑥




「――なぁ、一生のお願い!」


 佐藤は目の前のヤンキーに両手の平を合わせて懇願する。

 ただ、ヤンキーと言っても本当のヤンキーではない。見た目ヤンキーのお人好しに、だ。


 龍一は苦笑いを浮かべる。


「まぁ、お前には借りもあるしな」

「おっしゃ、マジ恩に切るわ! もうじき大会でさ、俺レギュラー怪しいんだよなぁ」

「そうなのか、二年なのに凄いんだな」


 龍一は素直に感心する。

 目の前のチャラ男――佐藤翔は自分と同じ二年生なのに、もうレギュラー争いに参戦しているらしい。

 桜ケ丘高校のサッカー部は強豪だと聞くので、それは相当凄い事だ。


 龍一の誉め言葉に、佐藤は嬉しそう頭を掻く。 


「まぁなー! もしレギュラー掴んだら、試合見に来てくれよ」

「あぁ、分かったよ」

「んじゃ! マジサンキューなぁ!」


 軽そうな学生鞄を右肩に引っ掛けて、軽い足取りで廊下を走り去っていく。

 野球部の須郷もそうだが、数少ない友人との時間は、ただ話しているだけなのに幸せに感じる。






 龍一は学生鞄を持って職員室へ向かう。

 北校舎の2階にある職員室に行くのは、これが初めてだった。


 職員室の扉を開けると、一気に視線が龍一に集まる。恐怖、驚き、好奇心……。様々な感情が肌を刺すようだ。


「――あれ? 体育委員は佐藤君じゃなかったっけ?」


 担任の川野先生が小走りで龍一のもとへ来る。


「佐藤は大会が近いから、俺が代わりに委員の仕事をやるって感じです」

「へぇー、仲いいのね。花田くん、ちょっと浮いてたから心配だったんだったの。でも、友達できたみたいで嬉しいわ!」

「――っす」


 本当に嬉しそうな担任に、龍一は曖昧な返答を返す。

 川野先生は沢山の鍵がかかっている壁から一つ指に引っ掛けて、その足で棚から一枚の紙をつまみ上げる。


「はい、用具室の鍵ね。あと、これが点検用紙。ちゃんと、個数も確認してからレ点を入れてね」

「わかりました」


 龍一は川野から鍵と点検用紙を受け取ると、一礼して職員室を後にする。

 以降、面談の時に聞いた話では、あの時恐怖のあまり教頭先生は息をすることが出来なかったらしく、龍一が居なくなった後に過呼吸を起こしたらしい。







 空はどんより曇っていて、今にも雨が降り出しそうだった。

 すぐに終わらせれば、ギリギリ降り出す前に帰れるだろうと、頭の中で考えながら外に出て、小走りで体育館に隣接されている用具室へと向かう。


 割と頑丈な造りの二枚扉が見えてきたところで、ポケットから用具室の鍵を取り出す。しかし、その瞬間龍一は違和感を覚える。


 ほんの少しだが、用具室の扉が開いている。そして、鈍い音が龍一の耳に届いた。


 龍一は全速力で用具室へと走っていき、重い二枚扉を勢いよく開く。

 すると、四人の人相の悪い集団が一人の男子生徒を囲んでいる姿が目に飛び込んでくる。


「――おい、お前ら何やってんだ!」


 龍一は大きな声でそう叫ぶ。

 すると、四人の不良は勢いよく龍一の方を振り返り、顔は驚愕の色に染めあげられる。


「やべ、棘の龍一だ!」

「――なんで、こんな所に!」


 そう言って不良たちは一目散に用具室を出ようとする。

 ここで足止めをするのも一つの手だが、それよりも中でうな垂れている男子生徒が気になった龍一は一直線に中へと入っていく。

 その隙に不良たちは逃げていったが、彼らの顔はしっかりと覚えた。


「おい! 大丈夫か?」


 龍一はその男子生徒の肩を持つ。

 すると、さっきまでうな垂れていて見えなかった顔があらわになった。


 それは、以前教室にやって来て自分を非難した生徒だった。

 一瞬、あの時の苦い思いが脳裏に浮かぶ。しかし、すぐにその感情をしまい込むと彼を背中に背負う。


「――ごめんなさい。ホントにごめんなさい!」


 何に謝っているのか、進藤という男子生徒は龍一の背中でずっとそう言い続けていた。







 保健室のベッドに横たわった進藤は、自分を背負ってここまで連れてきてくれた龍一を見る。本当に鋭い目をしていて、さっきの不良でさえ可愛く見えてしまう。


 保健室の先生は丁度留守にしていて、今は進藤と龍一の二人しかこの場にいない。

 龍一は進藤の怪我を見て、すぐに保冷剤を持ってきて局部に当てるようにと言づける。


 長い沈黙が場を支配する。

 未だに響くような痛さが腹や背中を襲うが、それよりも、目の前のお人好しに言わなければならない事があった。


「――噂流したの、俺なんです」


 進藤は独白する。

 その言葉を聞いて、龍一は一瞬眉を顰めるが、黙って次の言葉を待った。


「俺、椎名さんの事が好きで、その椎名さんと仲がいい花田先輩に嫉妬して……。

 うちの母が、花田先輩のお父さんと同級生で、色々話聞いて、それで……。

 ほんとにごめんなさい。ほんとに……」


 進藤は涙を流す。己の情けなさが恥ずかしかった。


 あれだけの事をしておきながら、未だに救いを求めているのだから、本当に図々しい心をもっている。そんな自分が情けないのに、謝る事しかできないのだ。


 しかし、龍一はそんな彼を見ながら優しく微笑む。


「そうか……、お前は偉いな」

「え?」


 進藤は彼の言葉を瞬時に理解できなかった。

 被害者のはずの人間が、加害者に向ける言葉とは到底思えなかったからだ。


 しかし、龍一はそんな進藤を見ながら少し遠い目を見せる。


「俺はこんな顔してるから、よくあることない事言われる。

 勿論、その中には嘘も交じってる。でも、それが俺にバレても謝った奴はいない。そんな顔してるから、話さないから、誤解されるようなことしてるから――って皆言うんだよ」


 自嘲気味に笑う。

 はたから見れば、悪魔のような笑顔だ。しかし、進藤にはそう見えなかった。


 この人は、弱いんだ。自分が思っているよりもずっと。


 弱々しい悪魔は、進藤を見る。


「お前だって、そうできたはずなんだ。そもそも、黙ってたら俺にはバレないんだからな。

 ……でも、お前はそうしなかった。だから、お前は偉い! ……って、別に全て許したわけじゃないぞ? 俺だってあることない事言われて傷つかないわけじゃない。

 でも、今回のはそんなに傷ついてないんだ。須郷や佐藤、それに椎名だってそうだ。お前のおかげで、信用できる人は何があっても変わらないって分かったからな」




 許されたわけじゃない。

 それなのに、進藤の目から涙が零れ落ちる。進藤は、何を言えばいいのか分からず、ただずっと「ごめんなさい」と言い続けた。







「ただいま」

「お帰りってどうしたの!?」


 左右に変な動きで歩いて来る息子を見て、進藤の母は神妙な表情を浮かべる。進藤に似て、顔はひどく整っている。


「……こけた」

「こけたって、あんた」


 何か言いたげな母の言葉を遮るように、進藤は口を開く。


「ねぇ、花田鉄平てっぺいってどんな人だった?」

「え、なに突然……」


 息子の、突然の質問に怪訝な表情を浮かべる。

 しかし、何も言わずに真剣な眼差しを向けてくる息子から、何かを感じ取ったのか、ゆっくりと椅子に腰を掛ける。


「そうねぇ、色々武勇伝はあるんだけど、本当はとても情に厚い人だったわ。顔もこんな、怖いんだけどね! 

 ただ、いつも喧嘩の仲裁に入って、結局総長に祭り上げられてねぇ~」


 母の変な顔に、一瞬笑みがこぼれる。

 しかし、すぐに母は昔を懐かしむ表情に変わる。


「ほんと、良い人だったわ……」


 きっと、この間「花田鉄平」の話を聞いた時も、母は同じような顔で同じような言葉を言っていただろう。

 その時は、分からなかった。しかし、今ならはっきりと分かる。


「母さん、好きだったんだ」

「……ふふ、もう随分前の事よ」


 そう言って笑う母の顔は、すごく魅力的に進藤の目には映った。おそらく、あの時の横顔もこうだったのだろう。


「そっか、そんなところまで似てるんだな……」


 進藤は小さな声でそう呟く。そして、進藤の初恋は苦い終わりを迎えたのだった。



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