第5話 ラブレター②

 昨日と変わらぬ喧騒と、堂々と横たわる緊張感。昨日の今日で崩れることのない無意識化の壁が教室を幾つにも分断していた。

 その中の一つ、女子の中では比較的背が高いショートカットの女子生徒と美意識の高そうな黒髪の生徒は、目の前の小さな少女の言葉に耳を傾けていた。


「……花田先輩ってモテるのかな」

「え、は?」


 ショートカットの詩乃は少し落ち込んでいる親友の言葉に声を裏返す。

 昨日、この親友はあろうことか学校でも有名なヤンキーに声をかけ、真っ赤な顔で帰ってきた。昨日一日で、彼女に抱いていた印象は大きく変わった。


 しかし、まさか彼女の口からそのような情報がもたらされようとは予想だにしていなかった。


 面食らっている親友を前に、ベージュ色の髪の少女は言葉を続ける。


「今朝ね、花田先輩を駅で見かけたからずっと後ろを付いて行ってたの。

 そしたら、みんな花田先輩をみて何か話してるの」

「それは、昨日うちらが話してたような噂話だと思うけどねー……」


 彼女がヤンキーの後を追って学校へ登校してきたというところには触れない。

 これまで男の気配すらなかったのに、どういうわけか彼女は「棘の龍一」なる悪名を持つヤンキーに気があるらしい。

 詩乃や美穂からすれば、何とか諦めてはくれないかと手を尽くしたのだが、彼女は「違うもん!」「先輩はそんな人じゃないもん!」と聞く耳を持たなかった。


 そんな、半ば呆れている親友たちの適当な相槌に眉間に小さく薄い皺を作る。いや、皺が出来ていないのに眉が吊り上がったというべきだろう。


「――でもね、さっき靴箱に白い紙が入ってたの!」

「へぇー、ラブレターじゃん」


 詩乃は少し嬉しそうに、そして茶化すようにそう言うと、ベージュ髪の少女――椎名こころは目に見えてうなだれる。

 まさかそんな反応を見せるとは思っていなかった詩乃は少し焦りながらフォローする。


「まぁ、ヤンキーに惚れる物好きだっているしー、」

「……物好きじゃないもんっ」


 椎名の小さな反論が返ってくる。

 すると、ずっと黙って聞いていた美穂が面白そうに笑って「あらあらあら~?」と、恋バナ好きなおばさんのような反応を見せる。

 美穂のその反応を受けて、椎名は再び顔を真っ赤にさせる。元々小さいのに、今はもっと小さく見える。


 もうすぐ、朝の学活が始まる。そろそろお開きになろうかという時、面白がっていた美穂から爆弾発言が投下される。


「――そんなに気になるなら覗いてみたら?」

「え?」

「おっ」


 戸惑う椎名に楽しそうな詩乃。この後話はそっちの方向へと進んでいった。







 大柄な男子生徒にバレないように、10数メートル後方をついていく2人の女子高生。

 ショートカットで活発な女子生徒は、体育館裏へ入っていく生徒を目で追う。


「――おっ、体育館裏に行った!」


 そう言って足早に駆けていく。

 その後ろを不安そうな表情で付いて行く小柄の少女は親友の手を引きながら小さく声を漏らす。


「ねぇ、しいちゃん。やっぱり後をつけるなんて良くないよ……」

「今朝後ろつけてきたんでしょ? いまさら何言ってんの?」

「――うっ、そうだけど」


 椎名は親友の詩乃からの正論にぐうの音も出ない。朝は殆ど無意識で付いて行っていたのであまり気にならなかったのだが、よくよく考えると今の行動と殆ど変わらない。

 ただ、普通に登校している男子高生なのか告白待ちの男子高生なのかという違いはあるのだが。


 不安そうな少女を眺めつつ、詩乃は「棘の龍一」なるヤンキーと、そのヤンキーに告白するという物好きが来るであろう方向を交互に見やる。


「てか、美穂も来ればよかったのにね――って誰か来た」


 人の足音を聞き、詩乃は瞬時に椎名の手を引きつつ身を隠す。そして、その足音の方を見るのだが――。


「――男、しかも坊主じゃん!」


 やって来たのは坊主の男子生徒だった。

 身長はそこまで高くなく快活そうな雰囲気。その男子生徒はヤンキー花田が待つ体育館裏へと早足で入っていく。


 詩乃は大きく目を見開く。


「え、てことはBL? ねぇ、BLってこと!?」

「しいちゃん、声、声押さえて!」


 のオーラが詩乃からあふれ出る。詩乃の、周囲には見せない一面が予想だにしていない展開を受けて溢れれだしてきたのだ。


 椎名は親友の手を強く引きながら口元に人差し指を当てて、声を押さえるように注意する。

 しかし、のオーラに飲み込まれた親友にはその声は届かない。


 仕方がないので、椎名は詩乃の手を引いてその場を離れる。「男、男……」と親友の呪いのような呟きを聞きながら……。







 呼び出された体育館裏で立ち尽くしていた龍一の元に一つの足音が近づいて来る。

 その方向に目を向けると、予想だにしない人物の姿があった。


 その人物は一直線に自分の元へ駆けよってくると、勢いよく頭を下げて一枚の紙幣を差し出してくる。


「すんません! 是だけしか用意できなかったっす!」

「――は? え、何のこと?」


 龍一は、クラスメイトの奇行に驚きを隠せなかった。

 なぜ彼が紙幣を突き出しているのか、そしてなぜ謝っているのかもよく分からない。


 坊主頭の須郷はばっと頭を上げて、戸惑っている龍一の顔を見る。


「昨日、俺が学級委員になれるように目で佐藤を制してくれたじゃないっすか。あれの見返りです!」

「……いやいや、ただ見てただけだぞ。それに、金なんていらねぇし」

「……え。でも、暴走族って毎月お金徴収されるんでしょ? もし無視したら小指をつめら――」

「――いや、俺暴走族じゃねぇぞ! お金も……いや、知らねぇけど」


 クラスメイトの謎の勘違いを訂正する。亡くなった父親が暴走族だとしても、自分はそうではない。お金についてはよく分からないので曖昧な返答にはなってしまったが。


 龍一の言葉を聞いて、須郷は怪訝な表情を浮かべる。


「え、暴走族じゃないの?」

「あぁ。というか生まれてこの方喧嘩もした事ねぇよ」


 龍一はこれまで人を殴ったことはない。

 些細な口喧嘩くらいはしたこともあるが、龍一に突っかかってくる人間はそうそう居ないので、口喧嘩すらも数えるくらいしかしたことがなかった。


 しかし、龍一本人がこういっても誰も信じないだろう。親が元暴走族というのは事実であるし、加えてこの凶悪な顔だ。誰も信じは――。


「なーんだ。じゃあ、お昼ちゃんと食べればよかったー!」


 須郷は安心したように顔をほころばせる。

 目の前のクラスメイトの反応に、龍一は一瞬面食らった。そして、お昼休み中ずっと机に突っ伏していたであろう須郷の姿が頭に浮かぶ。


「お前、それで机に突っ伏してたのか」

「あはは、ちょっとお金がなくてねー。でも、そうならそうと早く言ってくれればいいのにさ!」

「んな事言われてもなぁ……」


 そもそも、呼び出した主が須郷だとは知らなかった龍一は頭を書きながらそう呟く。

 しかし、その反面でホッともしていた。もし、もし仮にだが女子がここに来ていたら、龍一はその申し出を断るつもりだった。

 自分は悪名高く、一緒にいても楽しくはないぞ、と。そう考えると、須郷がここに来たことは龍一の中でプラス材料だった。

 しかし、続く須郷の言葉によって、その考えは消え去っていく。


「――ってか、花田君何で体育館裏なんかにいたの?

 放課後お金渡そうと思ったら、急いで教室出ていっちゃうし、追っかけるの大変だったんだけど」

「なんでって、お前が――」


 言いかけて、龍一は口を閉ざす。

 須郷はそんな龍一を不思議そうに見てから、はっと何かを思い出したように体を翻す。


「あ、部活行かねぇと。

 まぁ、花田君がヤンキーじゃないって分かったし、昼飯代が浮いたって思えばなんか得した気分! じゃあなー!」


 そう言って須郷は走り去っていく。

 龍一は小さく「おぅ」と右手を上げて彼を見送る。


 須郷が見えなくなると、行き場を失った右手はゆっくりと右のポケットへ向かう。そこに入っている紙の感触が雄弁に何かを語り掛けてくる。


「……須郷じゃない。じゃあ、この手紙って誰からだ?」


 そのあと10分ほどその場に立ち尽くしていたが、須郷以外に誰も来ることはなかった。



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