第6話 棘の龍一①

 弁当箱には、豚肉の生姜焼きと味玉、湯がいたブロッコリーに昨晩作った肉じゃがの4品が詰められていて、一段目の白ご飯と合わせて様々な色が混在していた。


 普段は、自分一人で鑑賞するそのお弁当を、今日は他人が覗き込んでいる。


 高校生にしては小柄なその女子生徒は、「うわぁー」と感嘆しつつ目を輝かせている。

 自分とは目の潤いからすべて違う様で、光源の少ないこの踊り場でも、その目はキラキラと少ない光を反射させている。


 この子は椎名こころ。

 以前、電車で痴漢されていたところに居合わせたのをきっかけに知り合っただけの高校一年生。

 にもかかわらず、凶悪な顔面をもつ龍一を恐れず、こうしてお昼休みまで侵食してきた。


 龍一にはこの女の子の本心がよく分からない。

 入学式から既に2週間が経過し、この子にもそれなりに多くの友達が出来たはずだ。そして、その友達や部活動に入っているならばそこ先輩たちから、龍一の噂を耳にしていてもおかしくはない。

 しかし、この子は会うたび龍一に挨拶をして、お昼休みに弁当を持って南校舎へ向かう龍一について来る。

 こうして、屋上へ続く踊り場で昼食をとるようになって、もう3日目だ。


「あの、このお弁当って花田先輩が自分で作っているんですよね?」

「……え、ああ」

「すごいなぁー。あたしも頑張らないと……」


 椎名は自分を奮い立てるようにそう呟く。

 今まで、必要だから続けてきた料理も、こうして誰かに認められると大きな意味を持つものとなる。

 龍一は少し照れ気味に椎名の持つ弁当を見る。


 龍一の持つお弁当箱に比べて幾分か小さいが、中に詰められているおかずはすべて手が込んだものだった。


「椎名の弁当は、こう、いつも豪華だな」

「あたしのお母さん、お料理が大好きで、いつも時間をかけて作ってくれるんです」


 そう言って表情を綻ばせる。

 本当に嬉しいのだろう、椎名は満面の笑みを浮かべている。

 泣き顔もそうだが、龍一にとっては彼女の笑顔ですら心臓に悪いものに思えてならない。


 椎名は自分のお弁当箱と龍一のそれを見る。


「その、私のミニハンバーグを上げるので、先輩の味玉とかえっこしてくれませんか?」

「あぁ、別にいいけど……」


 少女は「ありがとうございます!」とこれまでにないほどの笑顔を浮かべたのに、小さなお箸でミニハンバーグを掴んで龍一の弁当に移し、その帰り道に味玉を一つ持っていく。


 カーネーションのような薄紅色の小さな唇が真ん中で切られた薄茶色の卵を隠してしまう。ほんのり朱色が差したような頬が膨らみ、改めて彼女の美貌に目を奪われる。


 しかし、椎名は「うぅー、おいしいです!」とあどけない表情を浮かべており、彼女の持って生まれた綺麗な顔たちとギャップを生じさせる。


「……あの、どうかしましたか?」


 椎名の大きく潤んだ瞳が真っすぐ龍一を捉えている。

 上目遣いな彼女の視線と龍一の鋭い視線が交わる。普段なら、龍一より先に相手が視線を逸らす。

 しかし、今回は龍一の方が耐えられなくなってしまった。


「え、いや……」


 何秒間、見続けていたのだろうか。

 そんな疑問が龍一の頭を支配する。そして、その疑問が、何か言わなくてはと龍一を急き立てる。


 そもそも、彼女はどうしてこんな場所で昼食をとっているのだろうか。もしかして……。


「……もしかして友達いないのか?」


 龍一は思った言葉をそのまま口に出す。

 しかし、出した後になってすぐに後悔をする。友達の一人もいない自分が、何を言っているのかという羞恥心が龍一を襲う。


 しかし、椎名は特に気にした様子もなく微笑む。


「お友達、居ますよ? 

 しいちゃんとみっちゃんって言って、小学校からの仲が良いんです。高校も一緒で、クラスも一緒なんですよ」



「その子たちと一緒に食べなくていいのか? 

 こんな埃っぽい踊り場でヤンキーみたいな奴と一緒じゃつまらないだろ?」

「そんな事ありません! 

 しいちゃんやみっちゃんとは授業中も一緒ですけど、その、花田先輩は……」


 椎名の言葉は一度途切れる。

 熱く、縋るような視線が龍一に向けられ、龍一の胸は大きく一つ脈を打つ。

 以前、どこかで同じ胸の高鳴りを感じた気がした。本当に遠い記憶で思い出せないけれど、それは自分にとって大事な記憶なような気がしてならなかった。







 ごく少人数が残った教室で、ショートカットの女子生徒は昨日の出来事を思い出していた。


「花田龍一、『棘の龍一』ね……」

「ん、どうしたの?」


 長い黒髪を器用に結った女子生徒は、デコレーションされた爪を眺めながらそう呟く。

 女子にしては短髪の詩乃はバスケ部に所属しているため、爪は短く切りそろえられており、マニキュアなどもできない。

 別に、そう言ったものに興味はなかったのだが、親友の爪を見て綺麗だとは思っていた。


 詩乃は親友の問いかけに、再度昨日の記憶を掘り起こす。


「それがね、昨日新刊のBLぼ――んんっ、新刊を買いに行ったら、偶然花田先輩を見かけてさ」

「……うん、それで?」


 美穂は詩乃の趣味を知っている。

 だから、あえてその部分を掘り下げようとはせずに先を促す。言葉に多少の間が出来てしまったのは、それをこのあけ放たれた教室で話し出したという事への一種の驚きがあったからだった。


 詩乃は一つ小さく頷いて言葉を続ける。


「それでさー……」







 珍しく部活動が休みだった詩乃は本屋を訪れていた。


 ここらではかなり大きな本屋で、ラインナップも充実しているため、詩乃はよくこの本屋を利用する。

 詩乃の趣味はあまり周りからよしとはされないものだったが、別にそれに対して思うところはない。小学校からの親友である二人にさえ拒絶されなければ、彼女にとっては大きな問題ではないのだ。


 詩乃はじっくりと時間をかけて、好みの本を探し出す。

 そこまで多いジャンルの物ではないが、部活動のせいでバイトなどが出来ない分、あまりお金をかけられない。


 詩乃は好みに合う本を数冊手に取って会計に向かう。

 最近、会計もセルフになってしまったので、こういう趣味の持ち主からすると非常にありがたい。


 会計が済んで、暗い紺色のビニール袋とお札が数枚消えただけの財布を手に店を出る。


 店を出た瞬間、強烈な風が詩乃を襲う。その時、後ろから肩を叩かれた。


「これ、落としましたよ」

「あ、ありがとうござ――!!」


 振り返った詩乃は声を失う。

 女子にしては背の高い詩乃を上から見下ろす鋭い目。

 可愛い親友から話を聞いていなければ、その場から逃げ去ってしまっただろうと思えるほど、言い知れない威圧感を発している。


 彼はピンク色のハンカチを持ってそこに立っていた。

 それが自分のものである事は間違いなく、詩乃は小さく頭を下げながらそれを受け取った。


 数人の小学生が騒ぐ声が聞こえる。

 自分は恐怖に身を震わせているというのに、周りはいつもと変わらない日常が続いている。


 騒々しいその声の主を一瞥する。下校中というわけでは無いのか、手ぶらの小学生が何人かの友達に手を振っている。


 やっと静かになる、そう思った矢先、その小学生に猛スピードの車が接近する。

 丁度、その子の近くに電柱があって車の死角に入り込んでしまっている。しかし、小学生はそんな事に気が付かないまま友達に近づいていく。


「――あぶねぇ!」


 さっき感じた風が後ろから吹き付ける。


 大きな背中が鉄の筒から放たれた弾丸のように現場へ飛んでいき、逞しい腕が小さな少年を引き寄せる。

 刹那、その前を猛スピードで車が過ぎ去っていく。あと1秒遅ければ、そこには真っ赤な水溜まりが出来ていたであろうと考えると、身が震える。


「あぶねぇだろ! 前見ろよ!!」


 大きな声が響き渡る。

 大柄な男性の声は過ぎ去っていった車に向けられたものだったが、彼の胸の中に引き寄せられた少年はそれが分からない。


「……ごめんなさい、僕、前見てなくて」

「いや、お前じゃなくて――」

「アキ!」


 若い、綺麗な女性が詩乃の横を過ぎ去っていく。

 そして、学ランを着た大柄な男から「アキ」という自身の子を奪い返すと、親の仇でも見るかのような視線が突き刺さる。


「ちょっと、私の息子に何か!? 大丈夫、何もされてない?」

「お母さん、ちがうよ」

「いいのよ、怖かったねー」


 そう言って、若い女性は少年を抱きしめる。

 すると、ひそひそと周りから声が聞こえだした。


「おい、見たか? 『棘の龍一』が子供に怒鳴ってたぞ」

「誘拐でもしようとしたのかな……」

「うそだろ? 流石にそこまでは……」


 「棘の龍一」と揶揄される彼にも、おそらくその声は届いている事だろう。

 少し寂し気な表情を受けべるその男性は、昔読んだ絵本である『泣いた赤鬼』の一幕と重なって見えた。







「――って事があってさー」


 詩乃は一通りの事情を語り終えて、購買で買ってきたコッペパンを口いっぱいに頬張る。

 実にショッキングな内容なのに、はたから見れば緊張感のかけらもないように見えた。


 美穂は終始微妙な表情を浮かべながら耳を傾け、最後の最後に痛々しいものを見るかのように顔をゆがめた。


「うわー、また変な噂が増えそうだね。うちらの親友は大丈夫かな……」


 噂の男子生徒と埃っぽい踊り場でお弁当をつきあわせているであろう、ここにはいない親友を思いながら、美穂は心配そうにそう言う。


 詩乃も美穂も、親友の想い人が噂ほどの悪人でないことは分かっている。

 しかし、悪評というのは恐ろしい物で、時に事実よりも強い力を持つものでもある。


 新たに付け加えられた悪評が、親友の恋を妨げないように、美穂は祈っていた。



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