第八章 6

「派手な登場だな、タラムス。もっとましな侵入方法はなかったのか?」

「あったらこんな面倒なことはしていない」


 顔を顰めたタラムスは、足下に散らばる瓦や梁の破片に顔を顰めた。


「不本意ではあるが、この僕でも自在に覗けない場所があるんだ」


 タラムスが肩を竦めていると、天井の穴から続いてシトラーが飛び込んできた。こちらも破れ目が見つからなかったために、この部屋までは入れなかったらしい。

 司教に招かれて入ったカイロスでも、この場に立っているだけでなにやら圧力のようなものを感じる。


「この預言者と契約した神は、かつて万象の書の司書に弟子入りしたこともあり、その博識ぶりには定評があった神だ。もっとも、弟子であったのは数百年くらいの間で、万象の書を一通り読むと、自分が神の頂点に立った気分になって出奔したらしい」

「万象の書をぜんぶ読み通したというのか? しかし、明文化されていないのだろう?」

「司書の弟子になれば、万象の書を最初から最後まで読む力が得られるらしい。もっともそれが文字なのかなんなのかは僕も知らない」


 カイロスに比べれば、タラムスも博識だ。


「出奔し、地上で人間の男と契約を交わした。その後、地上で唯一の神となるため、万象の書の知識を生かして活動を始めると同時に、この地上に存在している聖賢の剣を預言者に探し出させ、地上の神殺しを始めた。万象の書を読んだからこそ、それが可能だと知っていたのだ」


 なるほど、とカイロスは頷いた。

 魔神としての魔力は乏しくとも、知識でのし上がることはできる。人間の男を見出し、預言者と呼ばれる存在に仕立てることができたのも、万象の書の知識があってこそだろう。


「悪魔がなにをほざくか」


 預言者の骸骨が床に転がったまま、忌ま忌ましげに威嚇する。


「イアサント! この悪魔を滅せよ! これらは神を冒涜し、人を惑わす悪魔ぞ!」

「かしこまりました」


 命じられたイアサントは、すぐさま聖賢の剣の柄を握り構えた。その瞬間、メルローズの腕を放した。


「やめて!」


 自由になったメルローズが駆け出した。


「この人には魔神が憑いているだけよ! あなたがその剣でしようとしていることは悪魔祓いではなく、人殺しよ!」


 カイロスとイアサントの間に割り込むと、メルローズは叫んだ。


「悪魔に憑かれた人間は、どのように悪魔を祓おうとしても祓えるものではない。悪魔ごと殺さなければならないのだ」


 メルローズの背後に立つカイロスを憎々しげに睨み、イアサントは揺るぎかけた自分の信念を再確認するように呟く。


「これは神によって与えられた使命だ。自分はこの使命を果たすため、祓魔師になったのだ。世界中の悪魔に呪われ、不幸になった人々のためにも、自分は悪魔に憑かれた者ごと悪魔を倒さなければならない」

「ああなると、すでに盲信だよ」


 タラムスが呆れ返ったようにぼやく。

 確かに、と思いつつ、カイロスはメルローズの腕を掴んだ。彼女がイアサントとの間に立ちはだかっていては危険だ。メルローズがいれば、カイロスはアルジャナンが持つ魔力を最大限に使うことができる。彼女の安全確保は、契約者であるクラレンスの望みであると同時に、アルジャナンの願いでもあるからだ。


「シトラー。メルローズを隅に引っ張っていけ」

「カイロス! 危ないことはやめて! これじゃあ、司書に会う前にアルジャナンが死んでしまうかもしれないじゃないの!」


 シトラーが外套の裾に噛み付き引っ張るので、メルローズは困惑した様子でカイロスに抗議する。

 彼女はあくまでも司書がこの場に現れ、なんらかの知恵を貸してくれるものと期待しているようだ。


「俺のような魔神は、神殺しの剣と呼ばれるような物であろうと、そう簡単にやられたりはしないものだ」


 余裕ぶってカイロスはうそぶく。


「ほざけ!」


 迷いを断ち切るように、イアサントは吐き捨てるように叫ぶと、剣を構えて床を蹴った。


「死ね!」

「断る」


 飄々と答えつつ、カイロスはメルローズをシトラーが立つ方向へと押し出した。


「やめて! その人を殺さないで!」


 メルローズが声を張り上げる。

 カイロスは魔法陣の紋様が染みついた腕が熱くなるのを感じた。これならば、名も無き神の結界内でもかなりの魔術が使えそうだ。アルジャナンは自身の魔術の属性を正しく理解しておらず、自分にはほとんど魔力がないと考えていたが、カイロスはそれが間違いであると知っている。

 クラレンスが望む通り、エルファ家再興の鍵になれる男だ。

 カイロスは右腕を上げると、イアサントに向かって振り下ろした。それだけで、風が巻き起こり、相手の身体が横に吹き飛ぶ。フロリオ島のときのように、周囲を破壊するほどの威力は無いが、人間相手ならば充分だ。ここでは、イアサントも剣の力を暴走させることはないだろう。

 床に叩き付けられたイアサントは、呻き声を上げつつも、すぐに剣を手にして立ち上がろうとした。が、右手で掴んでいたはずの柄が手で探ってみても見当たらない。

 悪魔から目を離すのは不本意ではあったが、現在の視界には聖賢の剣がなかった。

 素早く辺りを見回し、剣の行方を捜した。

 広間には預言者と司教の他に、悪魔が二匹と使い魔が一匹、それに魔女がいる。

 気を緩めてはならない。

 ラウジー司教は悪魔に魂を売った人物のようだし、魔女は元々が悪魔を召喚した魔術師の娘だ。

 司教と悪魔たちがいる場所には、剣はない。彼らの手に渡っていないのであれば、大丈夫だろう。

 見ると、魔女の近くに聖賢の剣が落ちている。

 狼の姿をした悪魔が魔女のスカートを咥えて引っ張ってはいるが、魔女は聖賢の剣を手にしようとしていた。あの剣さえなければ、イアサントはほぼ悪魔に対して無力であることを彼女は気づいているのだ。

 拙い、とイアサントは立ち上がり、剣に駆け寄った。

 柄は彼に近い方を向いている。


「触るな!」


 魔女に対して牽制の声を上げ、イアサントは床を滑るようにして聖賢の剣に飛びついた。

 柄を強く握り、そのまま振り上げて構えようとする。

 すぐに体勢を立て直して悪魔に立ち向かわなければ、とイアサントは即座に視線を悪魔に向けた。

 そのとき――悪魔たちの表情が、さきほどまでとまったく異なるものに変わっていることに気づいた。

 嬉々として祓魔師と戦おうという顔ではなく、呆然としている。

 特に、人間に憑いている方の悪魔は、大きく目を見開き、口を開けている。やたらと人間臭い。

 どうしたというのか、と剣を手に悪魔に駆け寄ろうとしたとき。

 剣がいつになく重いことに気づいた。


「なんだ……?」


 思わず剣先に目を遣った瞬間、イアサントは息を飲んだ。

 刃が魔女の胸に深々と突き刺さっている。


「……!」


 厚い外套を羽織っていても、剣は見事な切れ味を発揮して、魔女の胸を貫いていた。

 魔女の側にいた狼が、すぐさま牙を剥きだしにしてイアサントに飛びかかる。

 それを避けようとして後ずさった途端、剣は魔女の胸から抜けた。

 刃には鮮血が滴っている。

 魔女の傷口からは、勢いよく血飛沫があがる。

 誰もが、イアサントが握る剣を凝視していた。

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