第八章 5

「このような姿になってまで預言者としての高座にしがみつくあなたと、他の神々を否定し、悪魔として古き神々を殺戮してきた神には愛想が尽きたのだよ」


 ラウジー司教は以前から預言者の姿を知っていたようだ。

 骸骨はまだ新しい絹の衣装を纏っているのだから、預言者の世話係やそれなりの地位に就いている者は気づいていて当然だろう。


「神は、我らの主なる神のみぞ」


 預言者の声はどこから発せられているのかは不明だが、頭蓋骨はまったく動かない。

 もしかしたら頭蓋骨に染みついている魔法陣から直接声が出ているのかもしれない、とカイロスは考えた。

 預言者の魂はかろうじて骸骨にしがみついているようだ。それとも、預言者の骸骨にしがみついているのは神そのものなのだろうか。


「あなたが悪魔と呼ぶ存在が、魔術師たちから魔神と呼ばれ、かつてはあなたよりも強大な力を持っていた古き神々であることを私が知らないとでも思ったか? 私はこの三十年間、この僧院で修行をしながら神とあなたの関係について調べ上げた。なぜあなた方が異教を極端に排除したがるのか。悪魔と呼ぶ存在を恐れるのか。取るに足りないはずの魔術師たちを粛清するのか。あなた方が禁忌とした書物を読み漁って研究した結果、唯一神を崇める天主教の教義が間違っているという結論に我々は達したのですよ」

「そなたは、唯一神を否定するのか!?」

「否定しますとも! 神は数多存在する。古き神々と呼ばれ魔術師たちが魔神と呼ぶ神々は、いまでもこの世に御座すのだ。あなた方は他の神々の存在を直隠しにしていたが、実のところはそうしなければ都合が悪かったのでしょう? しかし、我々はあなた方にとっての不都合な真実を曝いた以上、間違いを正さなければならない」


 興奮したラウジー司教は、預言者の礼服の襟首を掴むと、そのまま骸骨ごと床に払い落とした。

 預言者の髑髏は勢いづいて頸椎から離れ、転がる。

 眼窩はぽっかりと空き、前頭骨の中央に染みついた魔法陣の紋様だけが異様な雰囲気を醸し出している。


「預言者よ。あなたは他の神々を恐れるあまり、神殺しに手を染めてしまった。しかも人間を使って鏖殺しようとした。自分たちがいかに罪を重ねてしまっているか、ご存じないようだな」


 ラウジー司教はカイロスを振り返った。


「さぁ、悪魔よ! このような無様な姿になってまで生き存えようとする預言者を始末してはくれまいか!」


 椅子から崩れ落ちるようにして、絹の衣装に包まれた預言者の身体が床に倒れる。

 袖の隙間から見える細い白骨は黄ばんでおり、この姿になってから少なくとも数十年は経過しているように見えた。


「始末、と言われても、いまの俺は人間の魔術師に憑いているだけだ。この肉体ができることしかできない。しかもここは、やたらと魔法を封じる術がかけられている。無理だ」


 周囲をぐるりと見回し、天上を見上げ、カイロスは溜め息をついた。

 広間をやたらと息苦しいと感じるのは、妙な封術がかけられているせいだけではなさそうだ。名も無き神の気配が漂っているせいかもしれない。神同士にも相性はあるが、この僧院に棲む神は他の神々を激しく拒絶しているようだ。


「契約者の望みを叶えるためであれば、この身体が持つ能力以上のこともできるが、お前は俺の契約者ではない。魔神を使役したいのであれば、まずはそこの預言者のように魔神と契約しろ」

「契約だと?」


 怪訝な表情を浮かべたラウジー司教が問い返したときだった。


「契約者、とな。そなたの契約者であれば、そこにいるぞ」


 骸骨が低い声で囁く。

 白い絹の手袋で包まれた指が微かに動き、カイロスの背後を示した。

 振り返ると、鏖殺師イアサントに腕を掴まれたメルローズが広間に入ってくるところだった。


「カイロス!」


 外套を羽織ったメルローズは、カイロスの顔を見るなり甲高い悲鳴に似た声を上げる。

 イアサントの手に聖賢の剣を見つけたカイロスは、わずかに身構えた。フロリオ島でイアサントが握っていたときにはそれほど感じなかったが、いまはただならぬ気配を剣そのものが帯びている。

 タラムスとシトラーの姿はない。


「イアサントよ、聖賢の剣を持って戻ったか」


 骸骨が満足げに声を掛ける。


「はい、猊下。使命をまっとうできぬまま戻ってしまい、申し訳ございません」


 すでに預言者の姿を知っていたのか、イアサントは頭蓋骨が床に落ちていることにも驚きはしなかった。


「よい。ここで悪魔らを始末すれば済む話だ」


 鷹揚に預言者はねぎらう。

 その瞬間――。


「なにが悪魔だ。名も持たぬ神が、豊富な知識と巧みな話術だけで地上においてここまでのし上がったことは称賛に値するが、我々を悪魔と罵るのはいただけない」


 天井からタラムスの声が響いたかと思うと、屋根の一部が激しい音を立ててこわれた。瓦や梁の破片が広間の中に落ちてくる。

 さすがにラウジー司教やイアサントも唖然と天井を見上げていた。

 その天井の穴から、滝のように水が大量に流れ落ちたかと思うと、その水は床に広がることなく、ゆっくりと盛り上がり、人の形を取った。

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