第八章 4
「イアサントが戻ってきた。どうやら、我々の動きに気づいたらしい」
「どうせゲアリが入れ知恵をしたのだろう。あの男は麓の教会に閉じ籠もっているというのに、やたらと鼻が利く」
ニーヴン司教が憎々しげに吐き捨てると、ラウジー司教は軽く肩を竦めた。
「イアサントが奥の間に入らぬよう、なんとしても阻め」
「承知」
暗い目をしたニーヴン司祭が頷く。
「預言者には気づかれていまいな」
「それは問題ない」
ラウジー司教の問いに、ニーヴン司教は頷いた。
「では、参ろうか」
ラウジー司教が声を掛けると、ニーヴン司教が両開きの扉に付けられた真鍮の取っ手をそれぞれ掴んだ。足を踏ん張るようにして全身で渾身の力を込めて押すと、ゆっくり音を立てて扉が開く。
扉の隙間から、黴を含んだような独特な臭いが流れ出てきた。
中は、人が百人は収容できそうな半円形の広間になっていた。
壁際にはたくさんの背の高い六股の燭台が並べられ、大きく太い蝋燭の炎で広間は煌々と照らされている。燃えて溶けた蝋が燭台に垂れ、大理石の床にまでぽたぽたと落ちていた。
広間の中央には大きな鉄の香炉が備えられ、甘い匂いの香木が焚かれ白い煙が立ち上っている。
最奥には、緋色の
この椅子に、真っ白い光沢を放つ絹の長衣を纏った男が座っていた。
もっとも、男かどうかは格好だけでは判断できない。天主教は男しか僧になれないため、カイロスは目の前の人間が男だろうと考えただけだ。
白い長衣には金糸、銀糸で刺繍がびっしりと施されている。両手は白い手袋をはめており、足下は長袴で覆われ、靴も絹だ。頭には白い帽子をかぶっている。
そこまでは高位の聖職者であることを示す服装だが、ひとつだけ異様なことに、顔は仮面で覆われていた。蝋を固めたような白い仮面は、目元、鼻、口元だけに穴が開いたもので、顔面に被さっている。
あれが預言者か、とカイロスは高座に腰を下ろし微動だにしない男を眺めた。
蝋燭の炎に集まっているのか、辺りを蛾が数匹、ひらひらと飛んでいる。
「そこにおるは、誰ぞ?」
仮面の奥からくぐもったか細い嗄れた声が響く。とても天主教の最高位に長年君臨している預言者であるとは信じられないような、弱々しいものだ。それでも、静まり返った広間内に声がよく響いた。
「さて、ここにいる者が誰であるか、貴方様でもおわかりになりませぬか?」
ラウジー司教は預言者を真っ直ぐに睨み付け、声高に尋ねた。
「――その声は、ラウジーか」
視力が弱っているのか、預言者は声だけで相手がラウジー司教であると気づいた。
この分だと、靴音や気配などで複数の人間が入ってきたことを察知しているようだ。
「いかにも。しかし、私だけではございませぬ」
「そのようだな」
微動だにせず、預言者は答えた。
「悪魔を、捕らえたか」
満足げに預言者がラウジー司教を労う。
「しかし、ここには聖賢の剣がない。そなたでは、悪魔を倒すことができまい。祓魔師はいかがした? まだ戻らぬのか」
カイロスは黙って様子を窺い続けた。
目の前の高座に座る預言者は、指一本動かさない。喋ってはいるが、本当に預言者が発している声なのか判然としない。
「祓魔師は戻ってはおりますが、ここへは参りませぬ」
ラウジー司教は広間内に響き渡るような声で、宣言した。
「さぁ、悪魔よ」
目を大きく見開き、口角を上げて顔を歪めたラウジー司教が、カイロスを振り返った。
「この預言者と、神を名乗るものを始末してくれまいか? さすれば、天主教の新たな神はそなただ!」
「ラウジー!」
預言者が愕然とした声で叫ぶ。しかし、身体は指一本動かない。
「なにを企んでおるか!」
「企むもなにも、神をすげ替えようとしているだけだ!」
哄笑するラウジー司教の目は血走っている。
「そなた、神殺しを謀る気か!?」
「いかにも!」
靴音も高らかに預言者に近づいたラウジー司教は、右手を振りかざすと、預言者の頬を叩いた。
次の瞬間、預言者の仮面が吹き飛ぶ。
その下から現れたのは、白い骸骨だった。
さすがにカイロスも驚きのあまり、預言者に駆け寄り瞠目した。
汚れひとつない絹の衣装に包まれているが、預言者はすでに血肉の無い骨だけの姿となっていた。名も無き神との契約以降なにがあったのかはわからないが、預言者の魂は存在しているが姿は無残なものだ。
預言者の髑髏の頭頂部に、魔法陣の紋様が描かれている。どうやら預言者の身体の血肉は長い年月を経て失われたが、骨に紋様が染みつくようにして残っているため神との契約は続行されているらしい。まさしく、名も無き神と預言者の妄執の証しだ。
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