第八章 2

 魔術師たちは、神がいくら存在していても大歓迎だ。かつて地上に多くの神々が存在していた時代を取り戻したいという気風さえある。


――いずれ、この俺の力でエルファ家が再興し、地上が再び混沌の時代のように神々で溢れる時代がくれば面白いだろうな。


 目的があってクラレンス・エルファの召喚に応じたわけではないカイロスにとって、興味をそそるか否かが重要だった。


――ん?


 石の床の上に胡座をかき、腕組みをしたカイロスは、周囲に耳を澄ませた。

 誰かが近づいてくる気配がするものの、足音は聞こえない。

 人ではない存在だろうか。

 暗闇の中で目を凝らしても、なにも見えない。感覚は研ぎ澄まされているが、視覚は人の能力の範囲でしか見ることができないのだ。

 遠くから微かに狼の遠吠えが聞こえたような気がした。

 雪深い聖山シャンティに狼の群れが棲息しているのかどうかは知らないが、ここまで聞こえるくらいだ。僧院のすぐそばで吼えたのだろう。

 シトラーだろうか、としばらく考えた後、カイロスは踵で床を叩いた。


「シトラー、来い」


 低い声で使い魔に命じると、すぐさま床から闇が盛り上がるようにして、黒い影が姿を現した。

 真っ暗な中に、金色の瞳だけが宙に浮いているように見える。

 シトラーが瞬きをすると、一瞬だけ金の光が消え、すぐにまた現れた。


「なにがあった? メルローズはどうした」


 カイロスが尋ねると、シトラーは跪いて額ずいた。

 そのときになってようやく、彼はシトラーが人の姿をしていることに気づいた。といっても真っ黒な影のようなものなので、人の形をしているが、金の瞳以外は肌も髪もすべてが漆黒で染まっている。


【鏖殺師に捕まりました】


 シトラーは人の言葉ではない言語で答えた。

 狭い独房の中で、魔物の囁き声が不気味に石壁に反響する。


【彼女はこの僧院の中のどこかにいるはずです。私は途中で結界に阻まれ、自力で入ることがかないませんでした】


 僧院の周囲に魔物避けの結界が張ってあることは、カイロスも気づいていた。

 彼ならば障害にもならないような粗末な結界だが、使い魔であるシトラーには簡単に破ることはできなかったらしい。内側からカイロスに呼ばれれば道が開けるので容易く入れるが、メルローズの後を追い掛けることは難しかったようだ。


【聖賢の剣は鏖殺師の手に渡りました】

「メルローズは無事なのか?」

【はい】


 迷わずシトラーは頷いた。


【鏖殺師は、すぐに彼女を殺す気は無いようです。貴方様が自分の仲間によってここへ連れて来られたことを知っていましたが、彼女より先に貴方様を殺すべきと考えているようです】

「賢明な判断だな」


 メルローズが当面は無事だと判断できる状況だからこそ、シトラーが彼女のそばを離れたことは、カイロスもわかっていた。


「タラムスはどうしている」

【わかりません。ラグレーン港で別れましたが、こちらには向かっているはずです】

「まぁ、どうせこの辺りを物珍しげに見学しているのだろう。あいつもなにを考えているのかよくわからないからな」


 タラムスがこの僧院までわざわざやってきたのは、別に万象の書の司書との約束を果たすためではないはずだ。魔神にとって口約束など、契約とは異なり、まったく効力がない。


「聖賢の剣は、いまこの僧院に戻ってきたということだな」

【はい】

「ならば、万象の書の司書が期待するなにかが、間もなく起きるはずだ」


 万象の書の司書がこの僧院に現れる確証はないが、聖賢の剣を巡るなにかが起きることは確信していた。


「強い魔力を秘めた土地であるこの場に、魔神が二柱と、魔術師の末裔がひとり。そして使い魔まで揃っているのだ。なにも起きないはずがない」


 カイロスが聖山シャンティを訪れたのは初めてだが、ここに強力な魔力が集まっていることはラグレーン港から遠くに見えるシャンティを眺めた瞬間から気づいていた。

 ここは名も無き神が聖山と定めただけあり、力をほとんど持たない脆弱な神でも体面を保てるほどの魔力で満ちている。この山の魔力を使って、名も無き神は預言者とともにいまのような力を得たのだ。

 しかし、この山の魔力は名も無き神だけに与えられたものではない。

 人の身体に憑いたカイロスも、強い魔力がまとわりつくのを感じていた。


「この山の魔力は、いささか厄介だな。人間に憑いた状態でこの魔力を利用すれば、身体を蝕むことになるだろうに……預言者はそれをわかっていながらこの場にとどまり続けているのだろうか」


 フロリオ島で祓魔師と対峙した際は、アルジャナンの身体を使って魔術を駆使したが、この場の魔力はカイロスを躊躇わせるものがあった。

 腕の魔法陣の模様を片手で擦り、カイロスは目を伏せる。

 澱んだ空気に混じって感じる魔力は、魔術を使うたびに人間の肉体をすこしずつ喰らっていく。魔力を得る代償として、血肉を与えなければならないのだ。


「預言者とは、いったいどのような姿をしているのだろうな」


 百年以上の年月を、この聖山シャンティで名も無き神とともに過ごしているのだ。すでに人の姿をしていない可能性が高い。

 わずかに空気が揺れる気配を感じ、カイロスは視線を上げた。

 どこから入り込んだのか、漆黒の闇の中で小さなが銀色に輝く鱗粉を振り撒きながら飛んでいた。

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