第八章 1

 石造りの僧院がこれほど寒いものとは。

 閉じ込められた独房のような部屋の中で寒さに凍えながら、カイロスはくしゃみを連発した。ようやくこの人間の身体に馴染んできたと思ったが、この寒さに震えが止まらないのは不愉快だったし不便だ。着ている服がフロリオ島を出たときと同じシャツとズボンと上着という姿であるのもいけない。気候がまったく違い過ぎる。さらに、このアルジャナンという男は寒さに慣れていないらしく、すでに手足の先が冷えて固まっている。指先の動きが悪く、指を鳴らしてシトラーを呼び出そうにも指が動かない。

 口を開いているだけで煙突のように白い息が流れ出る。

 彼を捕らえた聖職者たちは、彼に外套など羽織る物を与えようとはしなかった。悪魔だから気温など感じないと考えているのだろうか。これまで人の身を案じるようなことはしたことがないのかもしれない。

 身勝手な連中だ、とカイロスが溜め息を吐くと、また白い湯気が立ちのぼった。

 室内には暖炉のような物はない。

 窓もないので、石壁の隙間から寒風が吹き込むことはないが、冷気がどこからともなく漂ってくる。

 この部屋はどのような目的で作られた物なのか、地下牢のような構造になっている。

 僧院へ連れてこられた途端、ここまで連行され、重い鉄の扉で閉ざされた明かりひとつないこの部屋に放り込まれたのだ。

 暗闇は別段恐ろしくないのでカイロスは平然としていたが、耳につくような静寂で包まれたこの部屋は、常人であれば耐えがたいはずだ。

 辺りには妙な気配が漂っている。

 この独房で死んだ人間の魂だろうか。

 あちらこちらから腐臭や人の死臭もしている。死体のような物は見えないが、床や壁に染みついた臭いだろう。僧院だというのに、ずいぶんと血なまぐさい気配がする。

 自分を捕らえた聖職者たちがなにを考えているのかはわからない。

 ただ、こうやって自分を僧院に招いたからには、なにかをさせるつもりだろう。

 丁重な扱いとは言い難いが、粗雑に扱われているわけでもない。閉じ込められてはいるが、縛られたりはしていない。扉は鍵をかけられているが、彼の力をもってすれば破ることもそう難しくはない。いまは面倒なので、黙ってこの部屋でおとなしくしているだけだ。


――連中は、自分たちの思い通りにならない名も無き神を廃し、新しく神座に据える存在を探しているのだろうか。


 聖職者たちの心の中まで読むことは出来ないが、彼らは現在の天主教のあり方に不満を抱いているらしい。彼らは、盲目的な天主教の信者ではない。しかし、この教団の形を正しく理解しているようではある。


――唯一神として君臨している神が、実は古き神々の中でも名すら持たない神であると知っているのだろう。神がなぜ悪魔と呼ぶ他の古き神々を殺させているのか、預言者がどのような役割を果たしているのか。


 あの聖職者たちは、天主教そのものを詳細に研究し、真実の姿を知った上で、新しい神を手に入れる方法があることに気づいたのだろうか。神はこの世界に数多存在し、自分たちが崇めていた神が実は唯一無二の存在ではないことも。

 集団が大きくなれば、やがて派閥が生まれ、分裂する。

 自分をここに招いた聖職者たちは、新たな教団を作るため、新たな神を探していた。そこで、預言者の預言を利用したのだろう。

 預言者は、悪魔がこの地上に召喚されると預言した。

 鏖殺師は悪魔を殺すために預言者から教えられた場所へ向かったが、この預言は鏖殺師ただひとりに告げられたものではないはずだ。預言者の存在はこの天主教でも神に次ぐ立場のため、周囲には常に預言者をかしずく大勢の従者たちがいる。彼らの耳は預言者の預言を聞き、彼らは口伝えに自分を優遇してくれるそれぞれの聖職者たちに情報を流す。

 いまや、この教団は預言者のあずかり知らぬところで密かに大きく動いているといっても良い。

 かつて地上で唯一の神となるべく、預言者となった男とともに教団を興した名も無き神は、配下の聖職者たちの動きを封じることができずにいる。

 人とは利害によって動く存在だ。

 神ですら、その心を完全に掌握し、思い通りに動かすことは不可能だ。

 新しい神を見つけ出した反預言者派の聖職者たちが、現在の名も無き神をカイロスに倒させ、天主教を新たに生まれ変わらせるつもりなのか。もしくは、まったく新しい教団を作るつもりなのかはわからない。


――そんな手伝いをするつもりはさらさらないが。


 契約者でもない者の野望に付き合ってやるほど、カイロスも酔狂ではない。


――神を手に入れたいのであれば、自分たちで召喚すれば良いのだ。そうだ、あの娘から召喚術を教われば、連中は他の魔神を召喚できるようになり、魔術師の一族も再興できるのではないか?


 カイロスは自分を召喚した魔術師との契約を思い出した。

 契約を果たす期限は決まっていないが、そう悠長に構えているわけにもいかない。

 魔術師がこの世界で再興するには、現在のところ天主教の存在が大きな障害となっている。彼らが世界に対して影響力を持ち続けている限り、魔術師は迫害される一方だ。

 天主教の頂点に立つ名も無き神は、自分の存在を脅かす他の神が地上に存在することを妨げるために、魔術を異端とし、魔術師を抹殺している。魔術と共存する世界など、天主教の神にとっては許しがたいはずだ。


――名も無き神と預言者さえいなければ、この教団も力を弱めることになるだろうに。

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