第七章 5

「神に、ということですか」

「神ではなく、世界そのものです」


 はっきりとした口調で、ゲアリ司祭は言い切った。


「神ですら、この世界の一部でしかありません」

「そのような恐ろしいことを口にされるとは……!」

「真実です。そもそも、天主教は興ってからたかだか数百年です。神がこの地上に降臨されるずっと以前からこの世界は存在していたというのに、なぜあなたはそのように唯一神を信奉するのですか。数千年前から人々は、この世に存在するあらゆる神々を崇め祀ってきたというのに、なぜその存在を否定しようとするのでしょう」

「それは邪神です」

「この世にずっと以前からあらせられた太古の神々が、新参の神よりも劣ると言うのですか? それは、他の神々を信奉する者からすれば、冒涜でありませんか」

「ゲアリ司祭殿! なんという恐ろしいことを!」


 全身に悪寒が走り、イアサントは足が震えるのを感じた。


「聖賢の剣は、神殺しの剣とも呼ばれています。祓魔師は、魔術師たちからはおうさつとも呼ばれているのはご存じでしょう? 魔術師たちは、太古の神々を悪魔であるとして殺している我々を非難していますが、決して反撃はしない。なぜならば、彼らは知っているからです。この神殺しが本当に正しいことであれば世界はそれを許すであろうし、間違ったことであれば、改められるであろうと」

「改められる?」

「世界を正しい方向へと導く者がいるそうです。私も詳しくは存じませんが、かつて耳にしたことがあります。世界のすべてを記した書物があり、その記された内容通りに世界が運行していなければ、指導者がそれを是正する、と」

「世界を導くのは我々の唯一神です」

「あなたがそう信じたいのであれば、信じ続けるのが良いでしょう。しかし、世界というのはあなたに都合良くはできておらず、ときとして残酷なものです。書物は、正しくは『運命』とでも呼ぶべきかもしれません。どちらにしても、すべては定められた通りに動くもの。誰がどのように行動しようとも、常に水の流れは一方にのみ進むように、世界も必ずたったひとつの道を進みます。それは善悪など関係なく、なにかが滅びれば均衡が崩れた世界はこれまでとは違う未来へ向かうのみです。悪魔が消えたとしても、悪が滅んで善だけの世界になるものではありません」

「そうでしょうか? 世界から悪魔が一掃されれば、神が望まれている平和で豊かな理想郷が完成するはずです」


 世界の理など、イアサントは興味がなかった。

 ただ自分の妹のような犠牲者を出さないため、神の指示を信じて悪魔をひたすら誅するのが役目だと信じていた。


「我々はあまりにも性急に世界を変革しようと動き過ぎた。あなたはラウジー司教殿が悪魔を僧院へ連れて行ったとおっしゃっていましたが、もしそれによって僧院になんらかの異変が起きたとすれば、それもすべて世界の思惑なのでしょう」

「――神をも越える力が働いている、と?」

「そうです。あなたが大切な剣を失ったように」


 イアサントが腰に帯びている空の鞘に目を遣り、ゲアリ司祭は頷いた。

 さっとイアサントは外套で鞘を隠したが遅かった。


「イアサント。性急な行動を取るのはお止めなさい。悪魔が本当にこの世界から滅せられるべき存在であれば、あなたが命を削りながら各地を駆け回って手を下さずとも、必ず世界によって葬られるものです」

「しかし、傍観していれば、犠牲者が増えるものです」

「そうでしょうか」


 ゲアリ司祭は首を傾げた。

 そうだ、とイアサントは大きく頷きたかった。

 しかしなぜか、首は縦に動かなかった。

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