第七章 2

 シャンティへ近づくにつれて乗合馬車の客の数も減り、車内が寒くなってきたせいもある。毛皮の外套の中に更に体温が高い子犬を抱いていると、行火あんかのようで温かい。魔神の使い魔であっても見知った存在がいることがこれほど心強いとは、これまで考えたこともなかった。

 乗合馬車が最後の宿場に着いても、目的地はまだまだ遠かった。

 目の前に聖山シャンティが白い雪をいただき、そびえ立つ姿は見えるが、僧院は影も形も無い。

 その日宿泊した旅籠の女将によると、僧院までは山道を三日は歩かなければならないのだという。途中には、かつて修道僧たちがいおりとして利用していた小屋があるらしいが、どれも手入れされず放置されたままなので、かなり荒れているという。

 僧院までの道は、限られた聖職者のみしか馬車や輿を使うことを許されていないらしい。

 もちろん、巡礼者は徒歩のみだ。

 徒歩で三日と聞いて目を剥きかけたメルローズは、呻き声をかろうじて飲み込み、女将の説明に対して「まだまだ僧院までは距離があるんですね。頑張ります」と早く巡礼を達成したい信者のように取り繕った。


(普通に歩いて三日ってことは、山歩きなんかしたことがないわたしでは四日はかかるわよね。しかも山の頂には雪が積もっているし、まるで雪雲をかぶったように山の裾野も霞んでいるし、大丈夫なのかしら)


 乗合馬車の旅でさえ、長距離の移動に慣れないメルローズにはかなり厳しかった。

 腰と尻は血行不良で痛くなるし、足もんでいる。一日中同じ姿勢で座席に座っているせいか、肩も凝っていた。身体がひたすら振動で揺れているせいか、馬車を降りても地面が揺れているようで足下が覚束無い。ひたすら車輪が街道を走る音を聞かされていたせいで、頭痛もする。途中から紙切れで両耳に栓をしていたが、それでも騒々しかった。

 旅籠の女将によれは、この季節の巡礼者はまったくいないわけではないが、ほんとうに稀だという。

 死んだ母が夢枕に立って巡礼して欲しいと言ったものだから、取るものも取りあえず巡礼にきてしまったのだとメルローズはもっともらしい言い訳をした。遠くからきたのでこの時期が巡礼に不向きだとは知らなかったのだと告げると、旅慣れないメルローズの格好に女将は得心がいった風だった。

 翌朝、メルローズは旅籠を出て、聖山シャンティの中腹に建つ僧院を目指すことになった。シトラーは子犬の姿から元の狼に戻り、彼女の隣を歩く。

 カイロスがすでに僧院へ連れていかれたのかどうかは、不明だ。ラグレーン港ではカイロスが乗ったとおぼしき蒸気船を見つけることができなかったのだ。

 このまま僧院へ向かったところで、聖賢の剣を持っているからといって万象の書の司書に会えるかどうかもわからない。

 なにもわからないまま冬山の僧院を目指すのは厳しい。

 それでもメルローズは、闇雲に向かうしかなかった。

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