第六章 4

 カイロスからはぐれて以降、メルローズはシトラーと二人で旅をすることになった。

 若い娘と狼一匹の旅では、追い剥ぎや掏摸に狙われ身ぐるみ剥がされるのではないかと最初は警戒していたが、なぜか無事に二日が過ぎた。途中、なんどか荷馬車に乗せてくれる親切な人にも会えた。

 そうこうしているうちに、大陸へと向かう船が出るバッコス港に到着した。


「大きいわね。それに、人がいっぱいだわ」


 フロリオ島と本土を繋ぐ港とは規模が違う。

 港湾で働く人で溢れ、昼夜を問わず明かりが灯っている。

 灯台も大きく、汽笛があちらこちらからひっきりなしに聞こえてくる。

 大小様々な船が出入りし、中には海賊船かと疑いそうなくらい古い帆船や、沈まないのは不思議なくらい襤褸い漁船まである。燃料や食糧の補給のために立ち寄ったのか、メルローズが見たことない肌や髪、瞳の色をしている者もいる。奇妙な服装をしている者もおり、全身を布で撒いていて目元以外は隠している者もいれば、短い腰巻きで腰を隠している以外はほぼ肌を露出している者もいる。

 ジエルラントは比較的外国人に対して寛容な国だ。天主教教徒が大陸に比べて少ないのも、外国人を頻繁に受け入れることで国益に繋げている部分が影響している。宗教に縛られていては儲け話を逃してしまう、というのがこの国の姿勢だ。魔術であろうがなんだろうが、国に利益をもたらすのなら排除されないし、不利益となれば徹底的に排除する。

 それでも最近は天主教の活動が活発になってきた。

 政府の中に天主教教徒が増えてきたためだ。

 国では政教分離を唱えているが、やはり天主教に対して配慮した政策や条例も増えてきている。

 魔術師たちに対する迫害などは、その最たるものだ。

 かつてはエルファ家も王家お抱えの魔術師を輩出した家柄だというのに、いまやすっかり落ちぶれている。王家に優遇された魔術師だからこそ、余計に目を付けられたという考え方もあるが、どちらにしてもエルファ家が没落したことに代わりは無い。

 代々エルファ家の当主たちは、王都での栄華よりも、自分たちの研究を優先してきていた。財産などには興味が無かったが、研究費は必要なので、王家に保護を求めていた。科学などというものが発達し、魔術に対する畏怖や尊敬は薄まり、魔術師の役割も変わってはきているが、魔術が消滅したわけではない。

 いまでも無数の神々が天上や地上や地下には存在している。それは魔神に限らず、精霊であったり、太古の神であったりするが、古くから人々の生活に根付いた神々が連綿と信仰されている。

 唯一神を唱える天主教の教義は、ジエルラントではまだ浸透していない。

 特に港がある町では、古くからの自然神信仰はまったく失われていない。見守るだけの神ではなく、自分たちに手を差し伸べて、助けてくれる神を彼らは求めているのだ。

 人でごった返す港の光景に目を瞠りながら、メルローズはシトラーにスカートを引っ張られつつ進んだ。途中の屋台で食べ物を買い、食べ歩きをして腹を満たす。食事は摂れるうちに摂るべき、というのはこの数日間で学んだことだ。いつ追っ手に追われて身を隠すことになるのかわからない。食べたり寝たり、という基本的な生活すらできなくなるなど、メルローズのこれまでの人生では経験したこともなかった。

 なんどかシトラーにも食べるか訊ねたが、狼は首を横に振り、不要だと答えた。

 港では、なぜか大道芸も行われていた。

 旅客船の桟橋がある埠頭で、旅行者たちの懐を狙っての興行らしい。松明の火を投げて回したり、炎を口から吹いてみたりと、芸達者で盛り上がっている。

 楽しげに拍手喝采している人々の後ろを通り過ぎ、メルローズはシトラーに誘導されるまま人混みを掻き分けて港の中を歩いた。

 しばらく進むと、人がまばらな場所へと出た。倉庫がたくさん建ち並んでいる様子は変わらないが、船は少なく、旅行者らしき人の姿は見られない。船も中型くらいの物が多い。

 そのうちの一艘に、黒尽くめの衣装を身に纏った集団が向かっていた。

 誰もが口を開かず、固まって船へと続く桟橋を上がっていく。

 そのうちのひとりに、見慣れた男の姿があった。


(まさか、アルジャナン!?)


 メルローズが立ち止まると同時に、シトラーが彼女のスカートを口にくわえて引っ張り、すぐ側に積んであった木箱の山に身を隠させる。

 潮の香りと魚の臭いを含んだ木箱の陰に座り込むと、メルローズは男たちを観察した。

 黒い衣装は紛れもなく天主教の聖職者たちの礼服だ。衣装に施された刺繍によって階位が示されるらしいが、遠目で彼らがどのような位の聖職者なのかまでは判別できない。フロリオ島からオルドリッジに渡ってきてすぐの港で待ち構えていた者と同一人物かどうかも、後ろ姿からはわからなかった。

 彼らは自分が聖職者であることは隠していなかったが、粛々と船に乗り込むというよりは、できるだけ人目につかないよう行動しているように見える。

 アルジャナンの姿をしたカイロスは、聖職者たちに囲まれているが、乱暴なことをされた様子はない。


(あの林でわたしたちとはぐれた後、彼らに捕まったのかしら。それとも、自分から彼らのところへ行ったのかしら)

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