第六章 1
川を遡る小舟を下りてタラムスが指示する方向へカイロスと二人で歩いていると、まもなく農道らしき小径に出た。そこからさらに進んでいくと、三倍くらいの幅の街道と交わる場所へ出た。
周囲は放牧地らしく、道の両側には木の柵や低い石垣が設けられている。丘陵地になっており、ゆるやかに曲がる街道の端を一定の歩調で進みながら、のんびりと草を食む牛を眺める。茶色い毛の牛は、時折間延びした鳴き声を上げている。牛飼いの姿はなく、遠くの木陰で牧牛犬が寝そべっているのが見える。
病み上がりであり、また普段から長距離を歩くことに慣れていないせいもあり、メルローズはすぐに息が上がった。
ふたりは頻繁に道ばたにしゃがみ込んでは、休憩をした。
メルローズよりも体力がないはずのアルジャナンに憑いているカイロスだが、あいかわらず涼しい顔をしている。疲れを知らない彼は、別段急ぐ旅ではないから、とメルローズの体調に合わせて休んだ。
太陽が西の丘の上にかかり始め、メルローズが野宿を覚悟してまもなく、人家の明かりが遠くに点々と見え始めた。食事の支度をしているのか、煙突からは白い煙が立ち上っているのが見える。
途端に、メルローズの顔が輝いた。
日没寸前に、二人は小さい村に辿り着いた。
教会と雑貨屋が一軒、食堂兼旅籠が一軒、民家は十三軒という、村中をすぐに見回せるくらい狭い村だ。村の中心、教会に面した場所に広場がある。街道沿いではあるが、滅多に旅行者が立ち寄らないのか、かなり
食堂兼旅籠の看板が出ている店は、部屋数が三つしかなかった。どれも二人部屋になっているが、すでに二部屋が埋まっていると言われた。
仕方なく、メルローズは最後の一部屋をカイロスと使うことにした。
一階が食堂、二階が宿になっているこの店は、意外にも中は小ぎれいだった。部屋もそう狭くはなく、値段の割には宿泊代も安い。一泊で頼むと、夕食と朝食がつくと女将から告げられた。村の中には他に食堂がないのだ。夜は居酒屋と化すため、飲みにやってくる村人で賑やかになるが、と申し訳なさそうに言われ、了承する。
広場を挟んで教会の真正面に位置する旅籠は、寝室の他に風呂と洗面所がついていた。
雨に降られたり海に落ちたりで、水に浸かっているといえば浸かっているのだが、不可抗力で濡れるのと風呂に入るのとではわけが違う。
「わたし、お風呂に入るわ!」
早速、別料金を払って浴槽に湯を運んで貰う。
意気揚々と白い湯気が上がる浴槽に浸かり、久しぶりの入浴を堪能した。手足を伸ばすと、寝心地が悪い小舟の底で身体をすくめていたために強張っていた筋肉がほぐれていく。
できれば服を洗濯したかったが、着替えがないので諦める。村の中に古着屋でもあれば購入するところだが、女将に尋ねたところ、次の宿場町まで行かなければ古着屋はないのだという。
シトラーに盗んでこさせようか、とカイロスが提案したが、丁重に断った。食べ物ならば胃に収めてしまえばおしまいだが、服となるとその格好で歩き回るのだ。元の持ち主に見られたら、盗みがばれてしまう。服を盗まれても気にならないくらい衣装持ちの家から盗めばいい、と窃盗に罪悪感を持たないカイロスはメルローズを困らせた。
旅費はできたのだから、次の宿場町で旅支度を調えればいい、としばらくは口論する羽目になった。
食堂は、自宅で夕食を済ませた男たちばかりが飲みに集まっていた。
紅一点のメルローズは注目を浴びたが、旅行者だと女将が説明すると、すぐに彼らの意識は余所へ移った。若い男女の二人組ということで冷やかされたが、詮索されることはなかった。
どちらかといえば、食堂の一番奥に陣取っている男二人組の旅行者の方が、食堂内で浮いていた。
黒ずくめの男たちは、食堂の奥で身を潜めるようにして食事をしていた。向かい合って座っているが、会話をする様子はない。黙々と食事をし、その間中、なにやら張り詰めている気配がする。
メルローズとカイロスが店内のカウンターに近い席で食事をしている間、二人組はちらちらと様子を覗うように視線を向けてきていた。厭な気配がする。
カイロスの前に置かれたグラスの中で、緋色の葡萄酒の水面がたぷんと揺れた。
軽く眉を上げたカイロスは、その葡萄酒を一気に飲み干す。
カイロスの上腕部分に入れ墨のように描かれている魔法陣の模様が誰かに見られないかと、メルローズはひやひやした。魔術の素養がなければ、彼の腕についている模様がなにを意味しているかはわからないだろうが、白い模様はやたらと目立つ。この国では、男であっても身体に傷をつけることは良しとされない。古い時代、国内では罪人に対してその罪ごとに
よく見ればカイロスの身体の模様は特殊な染料であることがわかるが、どちらにしても直接肌に描くなど、奇矯なことだ。
村に入る前、メルローズが注意をしたので、カイロスも多少は意識していた。長袖の上着を羽織っているので腕の模様が見えることはないが、腕まくりをしないようにとメルローズは再三カイロスに告げていた。長い袖が邪魔だと言って、彼はすぐに袖をまくろうとしたのだ。
旅籠の料理は川魚が中心だったが、安く量があり、美味しかった。花豆と腸詰めのスープに川魚を丸ごと油で揚げたものと、茹でた馬鈴薯、人参の付け合わせとパンが並んだ。それらをふたりで平らげた。
満腹になったところで、カイロスが村の中を散歩すると言い出した。
この村に辿り着くまでに散々歩いているので、メルローズとしては今日はもう足を動かしたくはなかったが、有無を言わせぬ態度に渋々従う。
すでに空は夜のとばりが降りていた。
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