第五章 3
どれくらい時間が経ったのか、目を開けると空は満天の星明かりだった。
「目が覚めたか」
上から見下ろしてきているカイロスの顔が視界に入った。
細い下弦の月明かりの下でも、いつになく気遣わしげな表情がはっきりと見て取れた。
「熱は下がったか?」
訊ねつつ、カイロスは自分の掌をメルローズに額に強く押し当てた。そんなに乱暴にして、熱など測れるものなのかが疑問だ。
「まぁ、大分ましになったようだな」
胸を撫で下ろし、カイロスは硬い表情を緩めた。
「薬が効いたんだろうな」
「薬……」
そういえば寝ている最中に起こされて、苦い薬を飲まされたような気がする。厭だと言ったらアルジャナンが困った顔をしていたような……。
(――アルジャナンの夢を見たんだわ)
カイロスの顔を眺めながら、夢の中でアルジャナンに会ったことを思い出す。
意識が朦朧としていたのでよく覚えていないが、薬を飲むよう言われて、頑固に拒否したのに、結局は飲まされたのだ。
口の中には、まだ苦い薬の味が残っている。
どうやらカイロスによって無理矢理飲まされたようだ。
(わたし、薬を飲んだのよね? だから治ったのよね?)
カイロスがどうやって薬を入手したのかということよりも、どのように薬を飲ませたということの方が気になった。
(なんか、夢の中でわたし、変なことを言っていたような気がするけど。でもあれは、夢に出てきたアルジャナンに対して言っていたわけだし、カイロスに向かって言ったわけじゃないわよね?)
揺れる小舟の中で、おそるおそる身体を起こしたメルローズは、頭の片隅に残る夢の断片が蘇るにつれて、恥ずかしくなってきた。暗闇の中だからわからないだろうとは思ったが、赤面した顔を隠すように、頬に手を当てる。
(わたしったら、アルジャナンに向かってなんであんなことを言ったのかしら。恥ずかし過ぎて、死にそう……)
カイロスが相手であれば構わないというわけではないが、メルローズは恥ずかしさのあまり、小舟の縁に顔を伏せて反省した。高熱でうなされていたとはいえ、うら若き娘とは思えない発言をしてしまったことを、猛烈に後悔した。
「どうした? まだ頭が痛むのか?」
小舟の縁でうずくまるメルローズの異様な態度を気遣い、カイロスが訊ねてくる。
「……わたし、変な
「変な譫言? なんだ、それは」
怪訝な口調でカイロスは問い返す。
「……言っていないなら、良いわ」
そもそも、あんな頼みをアルジャナンが聞いてくれるはずがない。
かといって、カイロスがアルジャナンのように優しくあやしてくれるはずもない。アルジャナンは以前からメルローズを子供扱いするのだが、カイロスはそのようなことはしない。たまにアルジャナンの身体に染みついた記憶がそうさせるのか、頭を撫でて仕草はするが、言動までアルジャナンのようになることはないはずだ。
まだアルジャナンの身体に彼の魂が残っているとはいえ、身体そのものはカイロスに奪われてしまっている。カイロスがいる限り、アルジャナンが自分に話し掛けてくれることはないのだ。
夢の中でアルジャナンに会えたことは嬉しかったが、自分の言動が恥ずかしすぎて、思い返す度に落ち込みそうになる。
あれは夢だから夢だから夢だから、と三回唱えて深呼吸を繰り返し、メルローズは気を取り直した。
落ち着いたところで、顔を上げてカイロスを真正面から見据えてみた。
アルジャナンの身体に憑いているのだから当然だが、容姿はアルジャナンそのままだ。ただ、カイロスという魔神の性格そのものが反映されているため、容姿は同じなのに全身を包む雰囲気は異なる。
しばらくの間、じっくりとカイロスを観察してみたが、上から下まで眺めてみても、やはりカイロスはカイロスだった。アルジャナンの人格の
「大丈夫か?」
メルローズの態度をどう受け取ったのか、カイロスはまた彼女の額に手を伸ばした。
「熱は下がっているようだが……。とりあえず、水でも飲んだらどうだ?」
戸惑った様子で、カイロスは河面を指で示した。
「タラムス曰く、この辺りの川は森を横切っているから、澄んでいて飲むのに適しているそうだ。人家もほとんどないから、あまり汚れていないらしい。お前が寝込んでいる間に、かなり川をさかのぼったぞ」
アルジャナンはメルローズに向かって「お前」などとは言わない。「君」もしくは「メル」と呼び掛けてくる。
カイロスがもし「メル」などと呼び掛けてきたら、と想像したところで、メルローズは背筋に悪寒が走るのを感じた。気持ち悪いどころの話ではない。
熱に浮かされる際に自分を「メル」と呼んだのは、間違いなく夢の中のアルジャナンだ。カイロスがあんな優しげな表情ができるはずがない。
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