第五章 2
薬ができたよ、と耳元で優しく囁く声が聞こえた。
メル、良い子だから口を開けて、と誰かがすぐそばで懇願している。
うっすらと目を開けると、アルジャナンが口元に葉の器を突き付けていた。
「……臭い」
父が作る魔法陣用の塗料よりも酷い臭いがした。
「我慢して飲むんだ。飲んだら頭が痛いのも治まるから」
幼い子供をあやすような口調で、アルジャナンはメルローズを説き伏せようとした。
「い、や」
ぷいっと顔を背けると、アルジャナンが困った様子で、メル、と呼び掛けてくる。
「旅を続けるためには、熱を下げないと駄目だろう? これを飲んで寝ていれば、どんな病気もすぐに良くなるって先生直伝で僕がいつも作っていらしたじゃないか」
アルジャナンが作る薬がよく効くことはわかっていた。
魔術師としての才能はいまひとつだが、薬師としての彼は有能だ。薬草を見つけ出すのは上手だし、調合も巧い。これで味も飲みやすければ文句はないのだが、なかなか喉を通らないくらい苦かったり臭かったりする。
以前はよく、薬を飲んだらご褒美に飴をあげるから、と甘い物で釣られていた。
つくづくアルジャナンは自分を子供扱いするのが好きらしい。
もうわたしだって大人なんだけど、とふくれっ面をしたところで、いかにしてメルローズに薬を飲ませるかに頭を悩ませているアルジャナンには伝わらない。
「いまは飴を持っていないけど、今度好きなだけ飴を買ってあげるよ。だからほら」
臭い薬湯を口元に押しつけようとする。
彼には、いまでも自分は十歳にも満たない子供に見えるのだろうか。だとしたら、
なんとかして彼を困らせてやろう。
熱に浮かされながらも、メルローズは頭を働かせた。
「飲んでもいいけど、飲ませて」
「うん。飲ませてあげるよ。だから、ほら」
「口うつしで飲ませて」
「え……!?」
アルジャナンが面白いくらい
「そうじゃなきゃ、飲まない」
駄々っ子のように宣言すると、メルローズは強く唇を引き結んだ。
「メル……女の子がそんなはしたないことを言うものじゃないよ」
しばらくした後、途方に暮れた口調でアルジャナンが呟く。
「わたし、もう大人だもの」
「だったらなおさらだよ」
溜め息をついたアルジャナンは、作ったばかりの解熱剤を手に顔を歪める。
「メル、お願いだから薬を飲んで」
「い、や、よ」
なんとかなだめすかそうとするアルジャナンの態度に腹を立て、ますますメルローズは頑なに拒んだ。
普段ならこれほどの我が儘を言わないが、どうも熱で頭の回転が普段と逆になっているようだ。これも熱のせいだから仕方ない、とメルローズはぼんやり考えた。
「――じゃあ、後で怒らないと約束するなら、口を開けて」
渋々といった口振りで、アルジャナンが提案した。
どういう意味だろう、とメルローズがアルジャナンに視線を向ける。
「ちゃんと飲まないと駄目だからね」
相変わらず子供に言い含めるような口調には代わりない。
いや、と反抗しようと口を開き駆けたところで、唐突にアルジャナンの顔が迫ってきた。
一体何事かと思ったときには、口を塞がれていた。
唇が触れた瞬間、口の中に苦い薬がどろりと流れ込んでくる。
不味い、と飲み込んで喉を通すことを拒もうとしたが、アルジャナンに片手で頬を掴まれていたので、吐き出すこともできない。
押しつけられた唇に意識を奪われた瞬間。
(……苦いっ!!)
口の中に入った薬を嚥下してしまった。
「ちゃんと飲んだ?」
ようやく唇が離れると、開口一番にアルジャナンは訊ねた。
仕方なく、メルローズは小さく首を縦に振る。
「じゃあ、しばらくおとなしく寝ているんだよ」
軽く頭を撫でられた。
やはり子供扱いをされている。
「すぐに元気になれるからね」
胃の腑に到達した薬は、メルローズを眠りへと誘った。
ぼんやりと視界が歪み、微睡みの中へと引きずり込まれながら、もう一度アルジャナンへ視線を向ける。
緊張したような不安げな表情を浮かべているが、頬が薄紅色に染まり、照れているようにも見える。
「メル、大丈夫だからね」
優しい声が耳に心地よく響く。
「……アルジャナン?」
「うん。ここにいるよ。ずっとメルのそばにいるから」
横たわるメルローズの手を握り、アルジャナンが微笑む。
「僕の心配よりも、自分のことを大事にするんだよ」
もう片方の手でメルローズの頭をそっと撫でながら、アルジャナンは優しく諭した。
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