第四章 6

 フロリオ島にただひとつの教会にイアサントが戻ったのは、真夜中のことだった。

 裏口から入ったイアサントは、わずかな蝋燭の明かりに照らし出された教会内の異様な雰囲気にたじろいだ。不安げな表情を浮かべた村人で溢れている中に、気難しげな顔をした司教たちと、落ち着きなく辺りを見回しているこの教会の司祭の姿がある。

 イアサントは無言で司教たちに近づくと、かすかな靴音に気づいた司教の一人が振り向いた。禿頭で顎髭だけが黒いこの司教は、細い目をますます細め、丸一日以上行方不明になっていた祓魔師を睨み付けた。


「しくじったな」


 禿頭の司教が強い口調で叱責する。


「申し訳ありません」


 手元に残った鞘だけを持ち帰ったイアサントは、深々と頭を下げ謝罪した。

 黒い礼服は雨と泥にまみれ、艶やかだった銀髪は汚れ乱れている。顔や手の肌も泥と埃で黄土色に染まり、せっかくの美貌が台無しだ。

 いつもなら彼が姿を現すだけで衆目の的だが、このときばかりは島民の誰一人として彼の容姿に目を瞠る者はいなかった。

 人の熱気で教会内は暑かった。

 悪魔避けの香を焚いているので、独特な甘い匂いが辺りに漂っている。この島の田畑を『浄化』という名目で焼き払っている香油とは異なり、教会内でのみ使用する香木だ。大陸の遠く東方から取り寄せているため、高価な物でもなる。司教たちはこの島の人々のためではなく、自分たちの身を悪魔から守るため、この香木を惜しげもなく焚いているのだ。

 イアサントがこの教会に辿り着くまでに時間を要したのは、聖賢の剣で力を使い果たし意識を失っていたせいもあるが、島の各地が焼かれていたせいでもある。島の地理がまったくわからない彼は、悪魔が召喚された場所から教会へ向かう途中、何度も田畑や家を焼く炎によって進路を阻まれたのだ。

 なにもここまでせずとも、と勢い良く燃え上がる炎に、彼も呆然としたくらいだ。

 悪魔が召喚された島とはいえ、島民たちの日々の糧を育む田畑を焼くとは、無慈悲な仕打ちだ。これで島民たちは当面の間、衣食住を教会に頼らざるを得なくなる。

 司教たちの目的は、食糧不足に陥った島民たちが教会に助けを求め、それに応じる司祭が島の人々に強い影響力を持つ地盤を作ることだ。悪魔が召喚されたことを利用し、司教たちは島の自治権を掌握しようとしている。

 これまで他の地域においても、天主教は常套手段として悪魔を利用してきた。

 いかに悪魔が背徳的存在であり、彼らの日常を乱すかといったことを、司教たちは巧みな話術で説いてきた。

 この島も、数日中に教会の支配下におかれるのだろう。

 司教たちの悪魔退治に絡んだ信徒獲得の活動は、イアサントの本意ではない。彼が悪魔を退治し、司教たちが悪魔の恐ろしさを誇張して語り、あたかも天主教教徒でなければ救われないような口振りで人々を惑わしていく。

 天主教が発足した当初から、唯一神の万能ぶりと預言者の知恵の素晴らしさをわかりやすく伝えるため、悪魔祓いと一緒に布教をすることが恒例だった。いまは、悪魔に対する過剰なまでの畏怖を植え付けるため、イアサントのような祓魔師を司教たちは連れて布教活動をしている。


「島民の中に裏切り者がいた。漁師のひとりが、自分の船に悪魔と魔術師の娘を連れて、オルドリッジへ渡ったそうだ」


 静まり返った教会内の隅々まで聞こえるよう、司教は低い声で祈祷を唱えるように重々しく告げた。

 島民の一部がわずかにざわついたが、お互いに顔を見合わせるだけで言葉は発しない。


「このまま悪魔と魔術師の娘を放置しておくわけにはいかない。オルドリッジにて悪魔の力を振るい、どのような蛮行に出るとも限らない。もし悪魔を大陸に渡らせてしまったなら、この世の終末だと預言者殿もおっしゃっていたではないか」


 聞き耳を立てている人々を脅かすように、司教は一言一句はっきりゆっくりと語る。


「我々は悪魔を追跡し、奴らを祓わなければならない。わかっているな」

「はい」


 項垂れ、イアサントは素直に頷いた。

 この司祭にしたり顔で説教されることは面白くないが、悪魔を放っておくわけにはいかないことだけは確かだ。


「ところで、剣はどうした」


 空の鞘に目を遣り、司教は声を潜め囁くように尋ねる。


「悪魔に奪われました」


 自分の失態を隠すことなくイアサントは報告した。


「なんと愚かな!」


 禿頭の司教の横に立っていた白髪交じりのふくよかな司教が顔を顰める。


「あれは悪魔を倒すには必要不可欠な物。あれがなくても悪魔に取り憑かれた者から悪魔を祓うことはできるが、悪魔を倒すことはできないというのに」


 わざわざ言われずともわかっている、と腹の底から沸き起こる苛立ちを押さえ、イアサントは神妙な顔でさらに平伏した。


「悪魔に憑かれた者がどれほど憐れな末路を辿るものか、そなたは自身の目で見たのではなかったのか」

「はい」


 できることなら思い出したくもない光景が脳裏に甦り、イアサントは顔を大きく歪めた。


「そなたの妹のような憐れな骸をこれ以上増やさぬために、そなたは祓魔師になったのだろう?」

「おっしゃるとおりです」


 頭上から聞こえてくる司教たちの追及に、イアサントは苦々しい気持ちになった。

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