第四章 5

「天主教の中でも、魔術擁護派がいるようだよ」


 どこから仕入れてきた情報なのか、タラムスがカイロスに語っているのが聞こえた。


「どうやら、組織が大きくなりすぎて、聖山の預言者の意志が、下位の聖職者たちまで伝わりきらなくなっているようなんだ。かつては彼らの『神』を信仰する者ばかりが集まっていた教会でも、信仰以外の目的で入信する者も増えてきたらしい。聖職者の中には、自分たちが預言者に代わって力を手にすることを欲する者も出てきたようなんだ」

「人が増えれば、邪心を持つ者も出るのは当然だろう」


 ぼそぼそと頭上でカイロスの声が響く。


「だよね。彼らは、預言者がどのようにして『神』を得たか、不死を得たかについて薄々勘づいているようなんだ。そりゃあ、あれだけ派手に悪魔祓いと称して他の神々を殺させているのだから、気づかない方がどうかしているんだけどね。それで、聖職者たちの一部が、自分たちで新たな『神』の力を手に入れようと動いているらしい。彼らは鏖殺師よりも先回りして魔神を手に入れ、それを新たな『神』として祀るつもりなんだ」

「魔神と契約したところで、それが天主教の『神』よりも御しやすいとは限らないだろう」

「そこまでは考えていないんじゃないのかな。魔神のことを正しく知っているようでもないだろうし。魔術師を使って魔神を召喚させるか、すでに召喚されている魔神を捕まえればそれでなんとかなるくらいにしか思っていないんだろう」


 魔神を研究していない者から見れば、魔術師が描いた魔法陣にひょっこりと現れ、自分に都合良く願いを叶えてくれるていどの認識しかないのだろう。魔術師の犠牲や、契約の際の代償など、信者からの無償奉仕が当たり前の聖職者たちからすれば、思い及ばないのかもしれない。


「魔術師と古き神々を抹殺しなければ、天主教の地位は安泰ではないという『神』と預言者の考えは正しい。他の連中は、神々がどのような存在かわかっていないのだ。神とは別段崇高な存在ではなく、お互いに否定しあうのだということも」

「いまとなっては、我々を正しく知る者なんて、この地上にはほとんどいない。君を召喚した魔術師だって、君のことをどこまでわかっていたのかは怪しいものだ」

「あるていどは……わかっていたのだろう」


 ぼそり、とカイロスは答えた。


「俺が魂を要求した際も、迷うでもなかった。ただ、必ず自分の願いを叶えてくれるよう念を押してきた。契約は果たすと約束すると、安心した様子だった」

「じゃあなに!? お父様は自分が死ぬとわかっていて、最初からこうなるとわかっていて、それであなたを召喚したというの!?」


 辛抱できなくなり、メルローズは身体を起こすと、カイロスに食ってかかった。


「俺が見る限り、だが」

「酷いわ!」


 カイロスの上着を掴むと、メルローズは叫んだ。

 上着の袖の間から、いまでも月明かりで腕に刻まれた魔法陣の模様がくっきりと見える。これこそが、目の前にいるのはアルジャナンではなくカイロスであるという証拠だ。


「わたしになにも言わずに勝手に死ぬなんて!」

「父親が死ぬとわかっていたら、お前は止めただろう?」

「当たり前じゃないの! そこまでして魔神を召喚するなんて、わたしは認めないんだから! それに、わたしに断りもなく一族の繁栄を願うってどういうことよ! 娘ひとりに一族の命運を託そうなんて、勝手すぎるわ!」


 将来は細々とでもアルジャナンが父の研究を引き継いでくれれば、それで満足だった。


「わたしは絶対に認めないわ。なんとしても、この契約は破棄して貰うわよ。そのためにも、万象の書の司書を探さなくちゃ」


 口に出した途端、なにをすべきか目の前が開けた。

 そうだ。天主教など、どうでもいい。

 聖職者たちが新たな神を欲しがっていようが、『神』や預言者が古き神々を死に絶えさせたがっていようが、関係ない。

 自分は万象の書の司書を探し出し、魔神との契約を解除する方法を聞き出すのだ。そして、父の魂は無理だとしても、せめてアルジャナンだけでも助けるのだ。彼の身体からカイロスが離れれば、天主教の鏖殺師にだって狙われなくなるに違いない。


「ねぇ、タラムス。あなたオリヴィエの洞窟で、どこにいるかもわからない万象の書の司書に、会うことができないわけではないようなことを言っていなかったか?」


 カイロスの上着を話すと、小舟の縁を掴んでタラムスの方に顔を寄せた。


「探し出す方法がないわけじゃない」


 メルローズの顔を見つめ返すと、タラムスは端正な容貌で微笑んだ。


「以前僕が司書に会った際に言われたんだ。もし聖賢の剣を手に入れることができたならば、持ってきて欲しい、と」

「持ってきて欲しい? でも、聖賢の剣は常に天主教の総本山であるシャンティの僧院に保管してあるのではないの?」

「そうだよ。司書だって、それは当然知っている。なのに司書はこの僕に、聖賢の剣を持ってきて欲しいと告げたのだ。つまり、司書は聖賢の剣をただ手に入れたいわけではなく、鏖殺師以外の者に聖賢の剣を持たせることを目論んでいるんだ」

「なんのために?」

「そこまでは話してくれなかった。それに、聖賢の剣を司書の希望の場所まで運んだからといって、そこに司書がいるとも限らない。司書は常に目撃者になるわけでもない。ただ万象の書の記載どおりに世の中が動くよう監視しているんだ。つまり、聖賢の剣を僕が司書に言われたとおりの場所に持っていったとして、そこで起こる出来事は万象の書に記されていることになるはずだ」

「しかし、持っていったとしてもなにが起きるのか、司書が現れるのかも、お前には一切わかっていないんだろう?」

「わからないよ。だから、面白いんじゃないか」


 カイロスの問いに、タラムスは笑いながら答えた。


「司書が現れるかどうかはわからない。でも、なにが起きるのかを僕は見てみたいし、司書も興味はあるはずだ」


 水面が音を立てて盛り上がったかと思うと、海の中から衣に包まれた聖賢の剣が出てきた。それをタラムスは難儀そうに小舟の中に放り込む。


「探し出しておいた。あと、君のなんでも適当に水の中に放り込む癖はやめてくれないか。せめて一声掛けてくれないと、海の底を探すのはけっこう大変なんだ」


 ごとりと音を立てて舟底に落ちた聖賢の剣は、衣の間から柄の豪奢な飾りが見えた。精緻な銀の装飾は、月明かりを浴びて輝いている。昼間オリヴィエの首を切り落とした血の汚れは一切無い。


「たいして面倒でもないだろう。それよりも、この剣をどこまで持っていけばいいんだ」


 カイロスも特にこの先、どのようにすれば契約を全うできるのか、計画はないらしい。

 メルローズが望むのであれば、まずは司書を探しに出掛けてみようくらいに考えているのだろう。


「それがねぇ」


 もったいぶった口調でタラムスは口元をゆがめながら告げた。


「司書が指定した場所は、天主教の総本山シャンティにある僧院の、預言者の間なんだ」


 水の透き通る身体を揺らしながら、タラムスは楽しげに微笑んだ。

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