第三章 3

 世界の始まりだけでなく終わりまでもが記されているというのは気になるが、この地上が終末を迎えるより先に司書を探し出し、カイロスとの契約を解除する方法を聞き出さすことはできるはずだ。

 もしこの世の物事のすべてが万象の書に記された通りに進んでいるのであれば、タラムスがオリヴィエに捕らえられ、聖賢の剣を持ったメルローズが現れるのを待ち続けていたことだって、必然のはずだ。

 この魔神とメルローズとの邂逅も、万象の書の筋書きどおりであるに違いない。

 司書はすべてを把握した上で、タラムスに聖賢の剣を待つように仕向けたのであれば、タラムスがメルローズに司書の話をすることすら、この世界の管理者である司書の思惑どおりだと思われた。

 そこにどのような意図があるのかはわからないが、自分は必ず司書のところへ辿り着ける、という自信がメルローズの中に芽生えた。


「それに、司書の姿は人の目に触れられるものではない。さきほど、この魔術師が言っていただろう。司書がどのような姿をしているかはわからないと。人は司書を見たことがないから、誰もその存在を語れないのだ」

「え? でも、居場所を探し出せば、ってオリヴィエが……」

「司書の姿を見ることができるのは、魔神や精霊など、古き世界の眷属たちのみだ。人のような新しき世界の氏族の目には映らない。人であっても、君たちのように魔術に繋がりを持つ者であれば、魔神や精霊を介して司書や万象の書の存在を知ることができる。しかし、見ることはできない」

「俺なら見られるということか? しかし、俺は司書の姿は知らないぞ」

「僕が知っている」


 蠱惑的な笑みを浮かべ、タラムスが答える。


「この僕を連れて行くといい」

「――断る」


 数拍の後、カイロスはきっぱりと拒絶した。


「お前のような面倒な奴など連れていけるか」


 明らかに容姿が人ではない。肌や髪の色だけではなく、全身を包む雰囲気も違う。


「ますます鏖殺師から狙われ、司書を探すどころではなくなる。それに俺は、万象の書よりも先に、契約を履行しなければならない。そちらの方が最優先だ」

「わたしは、父との契約なんてさっさと破棄して欲しいし、アルジャナンを返してくれれば一族の繁栄なんてどうでもいいわ」

「そのアルジャナンという男は、君の恋人か何かか?」


 タラムスが興味深げに尋ねてきた。


「違うわ。父のたったひとりの弟子よ。父が死んだ今となっては、父の研究を引き継げるのはアルジャナンただひとりだわ」


 研究の手伝いであればメルローズもしていたが、弟子であるアルジャナンとは知識の量がまったく違う。メルローズは魔術師の血統だというのに、微塵も魔力を持っていない。父の後継者がアルジャナンであることは、重々承知していた。

 なるほど、と相づちを打つと、タラムスはなにか言おうと口を開き掛けた。が、視線を天井に向け、顔を曇らせる。


「地上で妙な気配がする。火の臭いもする」

「なんだと?」


 怪訝な表情を浮かべたカイロスも周囲の気配を探ろうとするが、人の身では無理だったらしい。口を引き結んで目を吊り上げただけで終わった。


「困るな。この島は僕のお気に入りなのに、あの連中はなにもかもを焼き払おうとする」


 誰にということもなくぼやくと、そのまま地面に水が吸い込まれるように、音もなく姿を消した。

 彼が手にしていた聖賢の剣とオリヴィエの首は、数拍遅れて土の上に落ちる。聖賢の剣はそのまま地面に剣先が突き刺さったが、オリヴィエの首は本人の胴体のそばへと転がっていった。


「シトラー。なにが起きているのか見てこい」


 カイロスが黒い狼に向かって命じると、シトラーは軽く頭を下げ、跳躍した。洞窟の壁に向かって突進すると、そのまま壁の岩肌に溶けるように姿が消える。


「ここを出るぞ」


 地面に突き刺さった聖賢の剣の柄に手をかけながら、カイロスがメルローズに向かって告げた。

 聖賢の剣を抜くと、オリヴィエが着ている灰色の貫頭衣を掴んで引っ張る。首がない身体からは、下に着ている麻布の肌着を残して、簡単に衣がはぎ取られる。カイロスは奪った衣で聖賢の剣を包んだ。


「……オリヴィエ、さようなら」


 地面に転がっているオリヴィエの首に向かって、メルローズは別れの挨拶をした。

 父の死と、アルジャナンの喪失に続いた、オリヴィエの無残な死は、メルローズの感情を麻痺させた。

 高齢のオリヴィエは、そう遠くない将来、この洞窟で死を迎えているところを見つけることになるかもしれないと覚悟はしていた。彼からは、自分が死んだらそのまま放置しておいて欲しいと言われていた。土に埋めるのではなく、海に沈めるわけでもなく、洞窟の中で朽ち果ててゆきたいと希望していた。

 その彼も、まさか自分がこのような死を迎えるとは想像していなかったはずだ。

 可哀想とも悲しいとも、メルローズには思えなかった。ただこれが現実だ。


「おい、行くぞ」


 振り返ったカイロスが促す。

 オリヴィエから目を逸らしたメルローズは、黙ってカイロスの隣に駆け寄った。

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