第二章 8
ざあぁっと水音が響いたかと思うと、洞窟の隅に置かれていた天上から垂れる水滴を溜めていたコップから水柱が立ち上った。
音に驚きメルローズがそちらに視線を向けた瞬間、水柱は勢い良くオリヴィエとメルローズに向かって突進してくる。
「危ない!」
慌ててカイロスはメルローズに手を伸ばし、頭からかき抱いて水柱を避けようとした。
机の上に置いてあった蝋燭は水柱によって倒され、じゅっと音を立てて火が消える。
一瞬、洞窟内が暗くなったと思うと、水柱が青白く発光した。ぼんやりと辺りは月明かりに照らされた屋外のような、仄暗さに包まれる。
いきなり
それを待ち構えていたように、水柱は渦を巻いて剣を取り上げる。
「剣が……!」
メルローズが声を上げたときには、すでに水柱が剣の柄に巻き付き、鞘から刃を抜いていた。まるで蔓か縄のように水はうねり、剣を振る。
「オリヴィエ! 逃げて!」
剣の動きに気づいたメルローズが悲鳴を上げるが、刃はすでにオリヴィエの首元まで迫っていた。そのまま、剣は素早く真横に動き、オリヴィエの皺だらけの細い首を鮮やかに切断する。
「オリヴィエ!」
大きく目を見開き、メルローズはカイロスに腕の中で絶叫する。
オリヴィエは首の部分ですっぱりと斬られると、首から上の頭部と胴体部分に分かれた。胴体部分は数秒の間、自分の足で身体を支えていたが、すぐに力を失い、地面に倒れ込んだ。
斬られた反動で勢い良く飛んだオリヴィエの首は、洞窟の低い天井にぶつかって、砂と小石が敷き詰められた地面に落ち、軽く撥ねた。さらにころころと転がり、椅子の上に残ったままの彼の身体の足下まで向かい、靴先にぶつかって止まる。天上や床はオリヴィエの胴体側の首から噴き出した血で赤く染まった。
「そこにいるのは、誰だ」
あまりにも衝撃的な光景にメルローズが声を失っている中、カイロスが洞窟の隅の水柱に向かってなじるように厳しい声を投げかける。
すると、水柱は剣を掴んだまま、するすると洞窟の隅のカップへと戻った。
「シトラー、あのカップを割れ」
地面を靴のつま先で二度叩いてカイロスが命じると、砂と小石が盛り上がり、地上で見た黒狼が現れた。イアサントに短剣で刺されたことなど嘘のように傷ひとつない姿で、素早く地面を蹴る。大きく跳躍し顎が外れるほどに口を開け、陶器のカップを噛み割ろうとする。
その瞬間だった。
「相変わらずしつけがなっていない狼だな」
呆れたような声が洞窟内に響いた。
水柱はシトラーの牙を避けるように、自らカップを割って地面に流れ落ちた。同時に、水が固まって盛り上がり、足、胴、顔と順番に人の形を取り始める。剣の柄を握っていた部分は腕となり、刃先をシトラーの鼻に突き付けた。
ぴたりと動きを止めたシトラーは、歯茎を剥き出しにして、水の中から現れた男の姿をした者に向かい激しく威嚇する。
「お前、タラムスか」
ちっと舌打ちをしたカイロスは、水を滴らせた男が怒気を帯びた眼差しで睨む。
「ごきげんよう、カイロス。君とこんなところで会うなんて、奇遇だね」
タラムスと呼ばれた男は、オリヴィエに歩み寄ると、落ちていた首の髪掴み、片手で軽々と拾い上げた。それから顔を上げ婉然と微笑むと、二人に向かって優雅な仕草でお辞儀をする。
「地下宮殿から出てきていたとは知らなかったな。二百年ぶりの地上の空気の味はどんなだい?」
朗々とした声で喋っている間も、ゆっくりと透明に近かったタラムスの身体に色が加わる。肌は白く、床に届くほどの長い髪は青みがかった銀色、目は水色。均整の取れた身体を包む衣服はオリヴィエと同じ白い貫頭衣だ。
「ここでお前に会うまでは、最高だった」
タラムスを見据えたまま、腹立たしげにカイロスは吐き捨てた。
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