第二章 7

 人間の始祖がこの地上に現れるようになってから、たかだか二百万年しか経っていないと言われているが、人間が文字を使うようになったのは、ほんの三千年ほど前だ。


「エルファ家の古文書によれば、万象の書は司書と呼ばれる者の頭の中にすべて収められているのだという。つまり、司書が万象の書の内容を脳で記憶しているのだ。場所を取らず無限の記憶力を誇る不老不死の司書自身が、万象の書でもあるということだ」

「司書? それは、人の姿をしているということなのですか?」

「人の姿をしているのか、それとも動物の姿をしているのか、半人半獣なのか魔神なのか、もっと異なる姿なのかもわからない。不老不死であるからには司書も神なのかもしれないし、違うかもしれない。そこまではエルファ家の文献にも書かれていなかった。ただ、司書と呼ばれるからには、なんらかの形で万象の書の内容を伝えることができる存在であるはずだ。魔神殿、そなたは万象の書の司書についてなにか知らぬかね」

「知らんな。司書がいるという話は確かに噂を耳にしたことがあるが、俺はてっきり万象の書そのものは、黴と埃にまみれた書物になっているものだとばかり思っていた。実物にはお目に掛かったことがない」


 話を振られたカイロスは、軽く肩を竦めて答えた。


「なるほど。そなたほどの魔神でも、万象の書の司書については噂ていどなのか」

「魔神だからといって、すべての人間よりも多くを見知っているわけではない。俺は確かに神の中でも古い方ではあるが、万象の書は俺よりもかなり古い存在だ。それこそ、この世が創られると同時に万象の書も綴られ始めたと聞いている」


 カイロスの返事に、メルローズは呆然となった。

 魔神でさえ詳しくは知らない物だとは想像もしていなかった。


「万象の書の一部は書物になって地下にも出回っているが、あれはほんの一部だ。それでも五万冊くらいあっただろうか。地下宮殿内にはそれだけを収める図書館があり、高位の神になるためにはそれらをすべて読破し、理解し、遵守することを誓わなければならない」

「もしかして、カイロスはその万象の書の複写の五万冊を読み切ったの?」

「もちろんだ。だからこそ、人間の召喚に応じ契約を結ぶことができる魔神として、ここに存在している」


 胸を張り、カイロスは自慢した。


「魔神は膨大な時間があるのだ。暇潰しで五万冊の書物を読むくらい、造作ないことなのだろう。羨ましい限りだ」


 次は魔神に生まれ変わりたいものだ、とかなり本気の口振りでオリヴィエが呟く。


「カイロスが読んだ五万冊の中には、召喚による人間との契約を無効とする方法は書かれていなかったの?」

「記憶していないから、なかったということだろう」


 かなり曖昧な答えが返ってきたが、嘘で誤魔化されたわけではないと信じたかった。


「万象の書のほんの一部を抜粋しただけで五万冊だ。原本をすべて明文化すれば、それはもう膨大な量どころの話ではないだろう。実際に、万象の書のすべてを把握しているのは、司書だけだと言われている」

「万象の書の司書に聞けば、そこに書かれていることは教えて貰えるの?」

「どのような手段になるのかは知らないが、司書と名乗るくらいだから、訊ねれば万象の書に書かれている内容を公開してくれるはずだ」


 こともなげにカイロスが告げ、オリヴィエも首を縦に振った。


「万象の書の司書を探すというのであれば、面白い。どうせしばらくはお前に付いて回らなければならないことだし、手伝ってやる」

「いいの? でも、その司書ってどこにいるのかしら。魔神みたいに召喚できるの?」


 万象の書が実在するのであれば、アルジャナンだけでも取り戻せるのではないかと希望が湧いてきた。


「万象の書の司書は、呼び出しには応じないはずだ。居場所を探し出して、こちらから司書のところへ出向かなければならないだろう」


 腕組みをして、カイロスは険しい表情を浮かべた。


「問題は、奴が現在どこにいるかということだ。探すにしても、どのような方法で……」


 考え込むカイロスをメルローズが振り返ったときだった。

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