第二章 2

「これしきのことで、私をはばめると思ったのか」


 イアサントが銀の三つ編みを揺らしながら剣を振るうと、風までもが切り裂かれる。

 カイロスに命じられるままイアサントを襲った風の精霊たちが声にならない悲鳴を上げ、剣の周囲でいびつな風の渦が巻き起こる。

 黒い皮の編み上げ靴で地面を蹴ったイアサントは、長衣の裾をひるがえし、まっすぐにカイロスに向かって飛び込んできた。

 カイロスの前に立つ格好になっていたメルローズは大きく目を見開き、身をすくめる。


「なかなかしぶといな」


 感心したふりをして、カイロスは再度指を振る。

 ドンッと激しい爆音が轟いたと同時に、イアサントとの間に大きな穴が空く。


(庭が戦場のようだわ!)


 あまりの惨状にメルローズはうちひしがれた。

 なにが起きてそうなったのか、いつの間にかもみの木が激しく炎を上げて燃え始めている。庭に空いた穴を境にして、芝生からも火の手が上がっていた。七竈ななかまどの木は燃えていないが、せっかく実った実は収穫できそうにない。

 もう、文句を言う気力さえ、残っていない。

 いまごろ、村ではエルファ家の方角から爆音が響いたと大騒ぎになっていることだろう。イアサントが港からこの屋敷まで自力で辿り着いたとは考えにくいので、教会の司祭か村の者に道を尋ねているはずだ。すでに祓魔師がエルファ家を訪ねたことは村で噂となっているに違いない。

 ついにクラメンス・エルファがやってしまったか、と村の誰もが想定内の事態に納得していてもおかしくはない。表向きは学者を名乗ってはいるが、魔術を研究している異端者であることは周知の事実だ。これまではクラメンスの研究について知りながら、見ぬ振りをしてきてくれていた司祭も、今回ばかりは黙っていないだろう。

 なにしろ祓魔師を相手に騒ぎを起こしているのだ。


(もっとも、祓魔師と敵対しているのはカイロスだし、その原因を作ったのはお父様よ。わたしは巻き込まれて迷惑をこうむっている被害者なのに、異端者扱いで攻撃されているのって物凄く理不尽じゃない!?)


 考えていると次第に腹が立ってきた。

 穴の向こう側から、土埃や煤をかぶって顔や服が汚れ髪を乱したイアサントが睨んでいる。どうやら、さきほどの衝撃でさすがに動けなくなったらしい。肩を大きく上下させ、荒い呼吸を繰り返している。

 それを一瞥したカイロスがようやく口元から手を離してくれたので、メルローズはまともに呼吸ができるようになった。


「祓魔師って名乗っている割にはとっても乱暴ね。あなたは悪魔を祓うのではなく、悪魔に取り憑かれた可哀想な人ごと悪魔を殺すことが役目なんですって?」


 そう簡単には近づいてこないという安心感もあり、メルローズはイアサントに向かって挑発するように叫んだ。横からの、悪魔ではない、というカイロスの反論は無視する。


「祓えるものなら祓っている」


 カイロスから視線を外さず、イアサントは告げた。


「その悪魔は、器である人の身体から離れた途端、地に潜り、我々の手の届かない地底深くに隠れてしまう。そいつを倒すには、取り憑かれた人間ごと殺すしかないのだ」

「祓うことができないですって? だったら祓魔師を名乗るのはやめなさいな。そもそも、ここに悪魔が現れるって預言があったと、あなたはさきほど言っていたけれど、それなら悪魔がこの人に憑く前にきて欲しかったわ」


 ほぼ八つ当たりに近かったが、メルローズがイアサントをなじる。


「預言、か。まだ神託を下せる預言者がいたとはな」


 ふん、とカイロスが鼻を鳴らして独りごちる。


「預言者?」


 魔術については専門家並みの知識を持つメルローズだが、他宗教についてはほとんど無知に近い。


「聖山シャンティの僧院の奥深くの聖堂で、ただひたすら神の声に耳を傾けているという奴のことだ。そいつは神が託宣を下した際、それを大司教に伝える役目を担っている。神が預言者に語りかけることなど滅多に無いことだからこそ、託宣は奇跡と呼ばれている。どうやら俺がこの場に召喚されるということについては、その類い希なる奇跡によってあいつらの神が知らせたようだが」

「奇跡って、魔神が召喚されることよりも確率が低いのかしら」

「あいつらの神は一柱だ。この世界にどれくらい存在しているかわからない神々の中の、十把一絡げの魔神のうちの一柱が地上に召喚されるよりは、連中の神が託宣を下す方が確率は低いだろう」

「不届き者ども! 神を冒涜する気か!」


 二人の会話を耳にしたイアサントが吼える。


「預言者は、カイロスが召喚に応じることまではあの祓魔師が信仰する神様から知らされたけれど、それを防ぐために早く行きなさいとは忠告してくれなかったのね」


 もしクラメンスの魔法陣が発動する前にあのイアサントが現れていれば、父とアルジャナンは無事だっただろうか、と思わず考えてしまった。


「痴れ者が。預言者は預言をするだけだ。神は確実に起こりうる事象だけを我々に告げられる。預言によって、事態を未然に防ぐために我々が世俗に介入することを神は好まれない。我々は起きてしまった案件について対処するのみだ」


 鏖殺師おうさつしの回りくどい説明は言い訳じみて聞こえた。

 つまりは起きると知っていながら、防ぐ手立てを持たないということではないか。

 天災ならともかく、魔神の召喚を阻止するくらいならそう難しいことではないように思える。クラメンスが魔法陣を描く邪魔をするなり、魔神が召喚された瞬間に魔神を聖賢せいけんの剣で切り裂くなり、なんらかの対処はありそうなものなのに、しないのだ。


「預言でしらされた災厄を防げば、我らは世俗の未来を変えたことになる。それにより、預言で定められていた出来事は起こらなかったとしても、代わりに異なる行く末が現れる。災厄は回避されたのではなく、やがて別の形で姿を現すのだ」


 婉曲な鏖殺師の説明に、メルローズは眉根を寄せて首を傾げた。


「つまり、連中がこの場で発生すると預言された魔神の召喚を妨げたとしても、今度は違う場所で魔神は召喚されると新たに預言されるだけなのだ。魔神が地上に現れることはすでに決定事項であり、確実に防ぐ手立てはない。それならば、初回の預言どおりに魔神を召喚させ、その後で取り憑かれた人間ごと魔神を叩き切ってしまえ、というのが奴らの言い分だ」


 カイロスが簡潔に説明してくれた。

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