第一章 9
「父が急死したなんて、どうやって説明すればいいのかしら。そうだわ。あの実験小屋を見られてもまずいわ。さすがに小屋のあの惨状から、魔神の召喚に成功したなんて誰も想像しないでしょうけれど、なにが起きたのかくらいは勘ぐられるでしょうし、もし父が魔術を研究していたことが明るみに出たら、村の墓地に埋葬してもらえなくなるかもしれないわ。いえ、埋葬は教会の墓地でないほうがいいわ。確か、村には古い共同墓地があると言っていたわね。いまはほとんど使われていないようだけれど、ひとり分くらいは空きがあるんじゃないかしら」
ぶつぶつと声に出して呟きつつ、メルローズは台所の中をひたすら回り続けていた。
あまりにもぐるぐると回り過ぎていささか目眩を覚え、足下がふらつき始めたところで彼女は硬すぎない壁にぶつかった。
顔を上げると、アルジャナンの顔をしたカイロスが立っている。
一瞬、アルジャナン、と呼び掛けようとして口を開いたが、声を出す前にそのまま唇を強く引き結んだ。
「人間とは面倒なものだな」
呆れ返った口調でカイロスがぼやく。
「死んだくらいで、遺された者がそこまで手をわずらわせなければならないとは」
「誰のせいだと思っているのよ!」
かっと頭に血を上らせ、メルローズは噛み付いた。
「墓が要るなら、その辺りに穴を掘って埋めればいいじゃないか」
「動物じゃないのよ!? そんなことできるわけないじゃないの!」
相手が人間の常識が通用しない魔神であるとわかっていても、メルローズは怒鳴らずにはいられなかった。
「なぜだ」
「お父様の遺体をそんな粗略に扱えるわけないわ! お葬式は無理でも、せめて棺とお墓は必要よ!」
さきほどからずっと葬儀、棺、墓のみっつが彼女の頭の中で渦巻いていたが、葬儀に関しては諦め始めていた。信徒でないどころか、唯一神を信仰していない者の葬儀を教会が執り行ってくれるはずがないし、そんな無理難題を頼む方が間違っている。クラメンスだって、学会から排除されて以降は次第に教会を毛嫌いするようになっていた。教会で葬式をするくらいなら、と魔神に魂を喰われることを選んだことも考えられる。
どうせ葬儀に参列してくれるような知人や友人もいない。
散々悩んだ挙げ句、葬式はなしということでメルローズは決心した。
問題は棺と墓だ。
「カイロス。あなた、魔神なんでしょう? 棺とお墓くらい、用意できない?」
とりあえず、駄目元でメルローズは訊ねてみた。
目的のためには手段を選ばないのが信条だ。順応性が高いところも長所である彼女は、使えるものは魔神だろうがなんだろうがすべて利用することにした。
「……お前、魔神をなんだと思っているんだ」
唐突な提案に一瞬唖然となったカイロスは、まじまじとメルローズを凝視した。
「魔術師みたいに、呪文を唱えたり魔法陣を描いたりして、棺を取り出したり墓を建てたりできないの?」
「できるか! 俺は時を操る魔神だ!」
目を吊り上げ、カイロスが声を荒らげる。
「できないの……そう……残念だわ」
頬に手を当てたメルローズは、すっとカイロスから視線を外し、わざとらしく大きなため息をついた。
「魔神にだって、できることは限られている。望みの物をひょいひょい出せるような便利で万能な神など、どこにもいない!」
「いいわよ。言い訳しなくても。わたしが勝手に、魔神ってよっぽど凄い魔力を持っていて、なんでも思うがままにできるんだろうって誤解していただけだから」
「――わかった」
歯噛みしながらカイロスがメルローズを険しい眼差しで睨み付ける。
「棺と墓を用意すればいいんだろう!」
ほとんど自暴自棄の域でカイロスが叫ぶ。
「え? できないんじゃなかったの?」
もしや力を出し惜しみしていたのか、とメルローズは怪しんだが、次の瞬間、自分の耳を疑った。
「土を掘る道具を貸せ! その辺りにいくらでも墓穴を掘ってやる!」
「……あぁ、掘るわけね」
「墓を掘るくらい、造作ないっ!」
魔神がシャベルを握ってせっせと穴を掘る姿を見せられることになるとは、想像もしなかった。
「それならついでに、棺も作ってくれる? それとも、大工仕事は不得意かしら。アルジャナンは屋根瓦の葺き替えから小屋の建て増しまでできたのだけど」
ひとまず庭に墓穴を掘ってもらおうと考えつつ、メルローズは訊ねた。
手先が器用だったアルジャナンは、魔術師の弟子としての仕事よりも大工としての腕前の方が優れていた。この屋敷に移った当初、あちらこちら痛んでいた住居部分を修理したのも、アルジャナンだ。
「できるとも!」
胸を張って自信満々にカイロスが応える。
その態度に、メルローズは疑問を抱いた。
この男、実は魔神でもなんでもなく、あの魔法陣から発生した竜巻で飛ばされた際に壁か床で頭を打って記憶喪失になっただけのアルジャナンではないだろうか。
人間と契約した魔神が嬉々として大工仕事を引き受けるなんて聞いたことがない。
クラメンスの魔法陣で魔神の召喚に成功するよりは、充分ありえる話だ。頭を強打した衝撃でアルジャナンが自分をカイロスと思い込んでいるだけの方が、納得がいく。だとすれば、時間が経てば、やがてはアルジャナンの記憶も元に戻るかもしれない。
(そうだと嬉しい……いえ、是非そうであって欲しいものだわ)
父とアルジャナンの両方を失ってしまったと悲嘆に暮れていたメルローズに、一縷の希望が湧いてきた。
「シャベルや大工道具は納屋にしまってあるから、案内するわ」
カイロスの手を掴むと、メルローズは再び台所の勝手口から出て、すぐ脇にある納屋へと向かった。捲り上げた袖口から腕に絡みついている魔法陣の模様が見えたが、できるだけ意識から除外しようとした。都合の良い説明なら、いくらでも思い浮かぶ。
(あれは、床に転がった際に、アルジャナンの腕に塗料が付着しただけよ。お父様も、よく手に付けては十日や二十日間くらい石鹸で毎日洗わないと落ちないってぼやいていたじゃないの)
納屋からシャベルを取り出しカイロスに渡すと、二人で庭に向かった。
途中で立ち止まったメルローズは腰に手を当て、庭を見回すと、父の墓穴をどこに掘ってもらうか悩み始めた。
「あそこの
庭の中央に植えられている樅の木を指で示したときだった。
樅の木の奥の、膝丈までしかない山査子の垣根の向こう側に、黒い装束を身に纏った青年が立っていることに気づいた。
銀の長い髪を三つ編みにして肩から胸に垂らし、金の縁取りがされた漆黒の長衣の襟元や袖口には真っ白なレースがあしらわれている。手には白い手袋をはめており、首から下はすべて布で覆われている格好だった。
「――どなた?」
青年に近づき、メルローズは声を掛けた。
白銀の長い睫に彩られた碧く澄んだ輝きを持つ瞳をした青年は、よくよく見れば白皙の美貌を纏った男だった。
「やはり、預言どおりだったか」
相手の問いには答えず、青年は低く唸ると、腰に手をやった。
「悪魔を召喚したか。異端者め!」
さっと青年が握りしめた右手を振りかざしたその手には、銀の長剣が握られている。
(まるで芸術品のように美しい剣だわ。でも、装飾が多くて、とても重そう)
メルローズは思わず男が持つ剣の優美さに見惚れる。
そんな彼女の様子には構わず、男は速やかに剣を振るった。
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