第一章 7

「でも、それじゃあ、契約ってなによ。あなたはアルジャナンの身体を使って一体なにをしようとしているの」


 クラメンスの死体に視線を向け、メルローズは唇を噛んだ。

 父親の魂が目の前の魔神によって喰われてしまったのであれば、どのような蘇生術を施しても生き返らせることは無理だ。諦めなければならない。

 一方で、アルジャナンの魂はまだ彼の身体の中にある。魔神によって肉体を奪われたとはいえ、死んだわけではないのだ。

 なぜ自分だけが無事でこの場にいるのか、メルローズは必死で考えた。

 魔法陣を描き、魔神を召喚したクラメンスは死亡した。彼は、魔神が召喚に応じた際、自分が無傷でいられると本気で信じていたのだろうか。

 魔術師としての研究を異端とされながらも、弟子を迎えた彼は、本当にアルジャナンに自分の跡を継がせる気があったのだろうか。世界の最果ての島に娘と弟子を連れて移り住み、不便な生活を送りつつも研究に没頭していたのは、なぜだろうか。

 魔神を召喚し、クラメンスはなにをしようとしていたのだろうか。


「父は、なにを望んでいたの?」


 魔神カイロスは時を操る神だとされている。この魔神をクラメンスはただ闇雲に召喚したわけではないと、メルローズは考えたかった。

 カイロスが身体に宿っているアルジャナンは、これまでのアルジャナンのような穏やかさが削ぎ落とされている。とげとげしさだけが際立っており、それでいて人間臭く、大いなる力を持つ古き魔神のようには見えない。


「契約者の望みは、一族の繁栄、だ」

「一族の、繁栄、ですって?」


 腹の底から絞り出すような声で、メルローズは問い返した。


「エルファ家の繁栄? 冗談でしょう?」


 苦々しげに顔を顰め、メルローズは思わず鼻で笑った。


「エルファ家の血を継ぐ者はお父様とわたししかもう残っていなかったのよ? そしていま、あなたが契約の代償として魂を要求したためにお父様は死に、わたしひとりが生き残ったわ。この状態で、どうやってエルファ家を繁栄させろというの!? ふざけないで欲しいわ!」


 あまりにも馬鹿馬鹿しい話に、癇癪を起こして魔神をなじらずにはいられなかった。


「エルファ家を繁栄させるというなら、お父様を生き返らせて! 魔術師ではないわたしではエルファ家を盛り立てることなんてできない! いますぐ、お父様と、アルジャナンを返して!」


 完全な八つ当たりではあった。エルファ家の繁栄を望んだのはクラメンスであり、カイロスではない。それでも、カイロスさえクラメンスの召喚に応じなければ、とつい考えてしまうのだ。

 メルローズはこれまで、自分が父の研究を引き継ぐなど、考えたこともなかった。

 父がアルジャナンを弟子として迎えたときから、エルファ家の魔術師としての知識はすべてアルジャナンに受け継がれるものと理解していた。たいした遺産もない家柄だが、古くから伝わる魔術に関しての知識と資料だけは膨大な量を保有していた。

 これらはすべて、世間から迫害を受ける内容のものではあったけれど、エルファ家を語る上では欠かせないものだ。また、世界から多くの太古の神々が姿を消そうとも、彼らが存在していたことだけは後世に伝えていかなければならないのだと、メルローズは父から教えられていた。

 エルファ家の血を残す者と、エルファ家の魔術という学問を後代まで伝える者。

 メルローズとアルジャナンはそれぞれの役割を与えられていたはずだった。

 なのに、魔神の召喚に成功した途端、残されたのはメルローズひとりとは――。

 これでは、父の願いとはまるで正反対のはずだ。

 エルファ家の末裔としては、いかに自分が無能な存在であるか、メルローズは重々承知していた。なのに、最後に生き残ったのが自分だったのでは洒落にもならない。


「わたしひとりで、どうしろと言うの……」


 いまや魔神カイロスの器となったアルジャナンの胸ぐらを掴み、メルローズは打ちひしがれる。堰を切ったように両目から涙が溢れて、止めどなく頬を濡らした。


「……無理よ」


 呆然と呟いたメルローズは、カイロスの胸に額を押しつける。

 抱きつかれる格好となったカイロスは、彼女を押し退けるでもまく、黙ってメルローズを見下ろしていた。

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